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第100話 竜を屠る者

 青白い炎に乗り、真空の宇宙空間を驀進(ばくしん)する黒き巨竜、ニーズヘッグ。

 砕いた黒ダイヤを敷き詰めたようなその外皮に星明かりが映り込む。


 逃げた「敵」を追って巨竜はすでに百時間近くも全力噴射を続けていた。

 絶えざる加速により、いまやその飛行速度は尋常ならざるものになっていた。


 それはギガバシレウスという種にとっても常軌を逸した行動だった。

 超高温のプラズマを長時間噴射しつづけた結果、その推進器官は焼けただれていた。噴射口周囲の鱗は赤熱して溶け、蒸発してプラズマとともに宇宙空間に飛散していた。組織の炭化はいまや皮下組織深部にまでおよんでいた。きわめて頑強な巨竜の肉体ではあるが、これほどの長時間、超高温に曝されて耐えられるようにはできていなかった。

 さらに、核融合器官とそれを駆動する発電器官に膨大なエネルギーを注ぎ込み続けたため、体内の貯蔵物質はとっくに枯渇していた。今は細胞を構成する素材を分解しエネルギー源として流用している段階だった。それは自分の体そのものを焚き付けとして燃やしていることを意味した。巨竜は急激に痩せ細りつつあった。


 そこまでして、なぜニーズヘッグは飛び続けるのか。

 黒い巨竜を駆り立てているのは「敵」への激しい怒りだった。

 その激しさは熱傷と飢餓がもたらす苦痛をはるかに凌駕していた。

 もちろん、巨竜には人間のような知性も自意識もない。だから、なぜ自分が盲目的な怒りにとらわれているのか疑問に思うこともなかった。


 始まりは、一年以上前、ニーズヘッグが「敵」の炎に全身を焼かれた時だった。

 あの時、死に瀕した巨竜の内でひとつの遺伝子が目覚めた。

 それは何億年も昔から巨竜の種族のジャンクDNAの中に眠り続けていた古い遺伝子配列だった。その遺伝子は巨竜が超高熱および高エネルギー粒子線によって全身に深刻なダメージを受けた時にのみ発現するようプログラムされていた。その遺伝子がマスタースイッチとなり、多数の遺伝子群からなる連鎖反応系(カスケード)が活性化した。そして、巨竜の肉体は細胞レベルで作り替えられはじめた。

 その過程が完了した時、巨竜は以前とはまったく異なる存在に変容していた。

 代謝機能、反射速度、核融合器官の出力、外皮の防御力、攻撃性、いずれも著しく強化されていた。

 だが、最も変わったのは巨竜の存在目的だった。

 それまでの巨竜は、自己を維持し自らの遺伝子を将来に伝えること至上の目的とする点では通常の生物にすぎなかった。

 だが、変容の後でそれはすべて打ち捨てられた。

 生まれ変わった巨竜の目的はただ一つ。

 「敵」の殲滅。

 その目的を達成するためには、自己の生命を犠牲にすることすら厭わない。

 それはもはや一つの独立した生物というより、生きた戦闘機械だった。

 太古の昔に埋め込まれた命令に従い、巨竜は文字通り怒りの炎でその身を焦がしながら、黒曜石の矢のように虚空を貫いて飛んだ。


 やがて前方に第六惑星が見えてきた。巨竜の感覚系を通して見ると、第六惑星は様々な波長の電磁波で明るく輝いて見えた。この付近で「敵」は行方をくらませた。まだ近くに潜んでいるはずだとその直感は告げていた。

 必ず見つけ出し、破壊する。

 巨竜は猛烈な逆噴射をおこない、一気に減速しはじめた。




 そこから数十万キロ離れた、第六惑星のとある衛星。

 その星は氷に覆われていた。

 そこは太陽系の衛星、エウロパやエンケラドスに似た世界だった。地表は分厚い氷に覆われているが、第六惑星の潮汐力で衛星内部の氷が溶け、地下に巨大な海が広がっていると思われた。地表の氷原には無数の亀裂が走り、至る所で間欠泉のように地下の水が噴き出していた。水滴はただちに氷結し、微細な氷の粒子となって宇宙にまで立ち上っていた。それは遠くから見ると白い霧の柱のようだった。


 白く凍てついた平原に黒い人型兵器が佇立していた。

 ドラゴンスレイヤーだ。

 その上空では、ひときわ強い輝きを放つ青い流星が高速で移動していた。


「……ついに来たか、ニーズヘッグ」操縦席でヨヴァルトが言った。



 ドクターの手術を受け、彼は無事ドラゴンスレイヤーを操縦する能力を手に入れた。

 彼はまたたく間に機体のシステムに適合し、この三日間で自分の体そのもののように何不自由なく動かせるまでになっていた。

 ヨヴァルトの乗るドラゴンスレイヤーは二号機だった。本来、橘が乗る予定だった機体だ。

 そのドラゴンスレイヤーの装備は変更されていた。両腕に装着されていた巨大な重力波砲は取り外され、かわりに人間の手のような汎用マニピュレーターになっていた。

 その手には一本の長大な槍が握られていた。長さは約五十メートル。ドラゴンスレイヤーの身長よりも長い。

 ヨヴァルトはこの槍でニーズヘッグに挑むつもりだった。

 扱い慣れた武器の方がいいという彼の希望で急遽作られたものだった。



「奴の噴射炎を確認しました。そちらはどうですか」ヨヴァルトは言った。

「ああ、こっちからもよく見えてるぞ」平岡が応答した。


 平岡はドラゴンスレイヤー三号機に搭乗していた。しかし、彼がいるのは氷の衛星ではなかった。彼の乗る三号機は氷の衛星と並行して第六惑星を周回する軌道上に浮かんでいた。

 平岡のドラゴンスレイヤーの武装は変更されておらず、両腕に長大な重力波砲を装備していた。

 今回の作戦は、ヨヴァルトと平岡の二人が組んで行う計画だった。


「平岡さん、準備はいいですか?」

「ああ、こっちは万全だ」


「では、始めてください」ヨヴァルトは言った。

「了解した。予定通り、カウント五の後で開始する」平岡は言った。

「……幸運を」ヨヴァルトが言った。

「お前もな」平岡は言った。



 平岡の三号機は電波を放射しはじめた。ギガバシレウスを強く刺激する1.5ギガヘルツの周波数だ。

 たちまちニーズヘッグが反応した。軌道を変更し、まっしぐらに三号機に向かってくる。


「さっそく食いついてきやがった」平岡は言った。



 平岡がギガバシレウスと戦うのはこれで三度目だ。一度目は居住区でまともに戦うことなく尻尾を巻いて逃げ出し、二度目はテュポーンとの戦いでヨヴァルトをヒト型重機に乗せて飛んだ。

 三度も相手をすればいい加減慣れると思うかもしれないが、そんなことはまったくなかった。今回もやはり恐ろしくて仕方がない。

 いや、恐ろしさの度合いでは今までで最悪だ。なぜなら以前の二回では、彼はギガバシレウスに敵と認識されていなかったからだ。全長千メートルの竜王に対し、彼がそのとき乗っていた戦闘用ヒト型重機は三メートル。身長百八十センチの人間に置き換えて考えると、たった五ミリ程度しかない。せいぜい身にたかる五月蠅いハエのようにしか思われていなかったことだろう。

 だが、今回彼が操縦するドラゴンスレイヤーは全長三十メートルはある。人間にとってのハツカネズミくらいの大きさだ。しかも奴らが不快に感じているらしい電波を放って挑発しているのだ。今回は明確に奴の敵意の焦点にいるのが感じられた。恐ろしくて当然だった。



 平岡ははるか彼方から急速に接近するニーズヘッグに狙いを定め、重力波ビームを撃った。

 それは当然のように回避された。

 平岡は背を向けると一目散に逃げ出した。


 平岡のドラゴンスレイヤーが逃げ込んだのは氷の衛星だった。

 少しずつ高度を下げながら、氷原の上をかすめるように高速で飛行する。その背後からはニーズヘッグの黒い巨体がぴたりとついてくる。徐々に距離が縮まってくる。

 数十キロ以内に接近されれば奴のプラズマビームの射程内だ。距離を稼がなければ後ろから狙い撃たれる。


 ドラゴンスレイヤーは氷の間欠泉の中に突っ込んだ。まるで吹雪の中を飛んでいるようだった。可視光の視野がホワイトアウトし、下から吹き上げる微細な氷晶が機体に当たってチリチリと音を立てていた。彼を追って巨竜も白い世界に飛び込んできた。

 ほどなく氷の間欠泉を突き抜け、視界が晴れた。


 そこでドラゴンスレイヤーは進路を転じ、上空に向かった。

 そして、衛星の地表に向けて重力波砲を撃った。緑色の光の柱が氷原を貫き、真円の穴を穿った。

 直後、ニーズヘッグも間欠泉から飛び出してきた。

 その時、重力波砲で空けられた穴から一気に大量の水が噴出し、ニーズヘッグに降りかかった。


 極寒の宇宙空間を飛び続けてきたため、ニーズヘッグの体の表面はプラズマで加熱された推進器官付近を除いて氷点下百度以下にまで冷え切っていた。そのため、体に浴びせられた大量の水はたちまち氷結した。眼も、顎も、頸も、棘も、爪も、翼も、鱗も白く塗り固められた。巨竜の全身は氷の塊で覆われた。

 当然、この程度の攻撃では時間稼ぎにしかならない。動きを封じることはできないだろうし、ましてやダメージなど期待できない。

 だが、それで十分だった。


 氷に覆われたまま、まっすぐ飛び続ける巨竜の前に、もう一機のドラゴンスレイヤーの姿があった。

 ヨヴァルトの操縦する二号機だった。


 彼はずっとそこで待っていた。

 平岡の放った一撃のタイミングは完全だった。噴出した水はニーズヘッグの目を塞ぎ、棘状のレーダーアンテナ器官を氷で覆い、奴の感覚を奪った。

 彼は完璧に役目を果たしてくれた。今度はヨヴァルトの番だった。


 ヨヴァルトのドラゴンスレイヤーは両脚に力を込めると、氷原を打ち砕いて跳躍した。同時に両脚部のスラスターに点火し、最大噴射で加速した。そして、迫り来るニーズヘッグの頭部に真っ正面から飛びかかった。


 ニーズヘッグは全身の鱗を激しく振動させ、付着した氷を払い落とした。それとともに視界を閉ざしていた分厚い氷の膜も剥がれ落ちた。

 ようやく回復したそれの視界に映ったのは、まっすぐ自分の方に向かってくる黒い人型兵器と、それが抱え持つ槍の、鋭くとがった切っ先だった。あまりにも近すぎて回避も迎撃も間に合わない。巨竜はとっさに首を横に反らした。

 黒いギガバスレウスの首筋に槍の先端が深々と突き刺さった。

 相互の相対速度がもたらす運動エネルギーを乗せた槍の一撃は積層した外皮を砕き、皮下組織を貫き、頸骨を粉砕し、その髄を走る中枢神経系にまで達した。


 ヨヴァルトの槍の内部には小さなカプセルが仕込まれていた。

 槍の先端が二つに分かれると、小さなカプセルはその隙間を通ってニーズヘッグの体内に射出された。 

 衝撃から厳重に保護されたカプセルの中に封じられていたもの、それは百グラムの反物質の塊だった。


 白い閃光を放ち、ニーズヘッグの頸部が爆発した。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ニーズヘッグの変化はバッタが群生相になるのと少し似てますね 外傷と飢餓、攻撃と移動と、その原因や発現の方向性は違いますが
[良い点] いつも楽しく拝読しています。100話到達おめでとうございます!展開も非常に面白く、常にも増して次話の投稿が待ち遠しいです。宇宙空間での超巨大生物との戦闘は、非常に読んでいて想像が難しくなり…
2021/10/23 13:48 退会済み
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[良い点] 今回の戦闘シーンが秀逸すぎる 客観的で淡々とした描写なのに光景が目に浮かぶようだった!
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