第99話 第六惑星
乾は死んだ。
ドラゴンスレイヤーはニーズヘッグの翼により上下に切断された。操縦席のあった胴体中央部は衝突により瞬時に圧壊していた。即死だったに違いない。破壊された機体の残骸は高速で弾き飛ばされ、宇宙の闇に消えていった。回収は不可能だった。
だが、今は彼の死を悼んでいる余裕はなかった。
ニーズヘッグが再び恒星船を追って加速しはじめたからだ。
敵を振り切るため、清月総隊長はスタードライブの起動を命じた。恒星船は光速の数パーセントという相対論的な速度で惑星あさぎり周辺の宙域から離脱していった。
二十時間後。恒星船は第六惑星の付近にあった。
船はすでに減速を完了し、スタードライブを停止していた。ニーズヘッグははるか内惑星系の彼方だった。安全確認の後、船内の戦闘態勢は一時的に解除された。ブリッジの衝撃吸収用の高粘度ゲルは回収され、非戦闘員たちは耐G槽の外に出ることを許された。
船外ではさっそくニーズヘッグのプラズマビームで損傷した外壁の修理が開始された。
恒星船のすぐ近くには第六惑星のふくれあがった巨体が浮かんでいた。
謎に包まれた巨大なガス惑星。ギガバシレウスたちの大群の出発点と目される星だ。その姿は太陽系の木星に似ていたが、全体的な色調は緑色を帯びていた。暗い灰緑色をべースに、赤褐色、黒褐色、淡黄色、それに白といった様々な色彩の雲が複雑に渦を巻いて混ざり合い、表面に不気味な紋様を描き出していた。それは病的なセンスの抽象絵画を思わせ、じっと見つめていると精神が不安になってくるようだった。
その周囲には岩石や氷からなる多数の衛星が周回していて、中には直径が地球の月の五倍ほどもあるかなり大きなものもあった。
この惑星に何があるか調べるため、六ヶ月前に科学調査部が無人探査機を送り出していた。しかし探査機は二ヶ月前に消息を絶っていた。事故か、何らかの故障が発生したのか、その原因は不明だった。
ブリッジでは安全保障班や恒星船の操縦にあたる航宙士たちが今後の方針を議論していた。
「暗黒兵器の力をもってしても、たった一体のギガバシレウスを倒せないとは。重力波砲も、アトラトルも、ドラゴンスレイヤーも、奴の前には無力だった……。いったいどうすれば奴を倒せるのだ。誰か何か考えはないか」井関が言った。
「…………」平岡と橘は黙っていた。何も考えが浮かばなかったからだ。それに、乾の壮絶な死の衝撃が醒めやらず、まだ頭がぼんやりとしていた。
航宙士の吉崎が遠慮がちに発言した。
「あの、しばらく何日かここに隠れているというのはどうでしょう。そのうち諦めて去って行くのではないでしょうか」
「ハッ、だとしたらどんなに気が楽か。これを見ろ」井関は大型モニタに映像を表示させた。
そこには星の海を背景に、ひときわまばゆく輝くひとつの青い星が映っていた。
「一時間前に撮影された映像だ。何だかわかるか。ニーズヘッグの噴射炎だ。奴はまだ我々を追い続けている。このまま加速が続けば、三日後にはここに到着するだろう」
それを聞いて一同は口々に言った。
「そんな馬鹿な」「なんて執念深さだ」
「同種の仲間たちが三百日かけて来た道をたった三日で。百倍の速さだぞ。ありえない」
「あいつはいったい何なんだよ」
「……おそらく、この星系のどこに逃げようとも奴は必ず追ってくるだろう。そして、この船を破壊するまで決して諦めないに違いない。奴を倒すしか、我々がこの星系で生きのびる道はない」井関が言った。
清月総隊長は腕を組んで隊員たちの議論を聞いていた。
その背後のモニタには、第六惑星表面を横切る巨大な渦巻きが映し出されていた。暗赤色と橙赤色の雲が螺旋をえがく不気味な大気の渦は、まるで惑星レベルの超巨大生物の目玉のようだ。
その時、ブリッジのドアが開き、一人の男が入ってきた。
ヨヴァルトだった。
「私も参加させて頂いてもよろしいでしょうか」ヨヴァルトは言った。
井関は総隊長を見た。清月はうなずいた。
「いいだろう。何か言いたいことがあるのか」井関は聞いた。
「はい。ニーズヘッグを倒す方法について、私にひとつ考えがあります」
「聞かせてくれないか」井関は言った。
ヨヴァルトは説明した。
新生ニーズヘッグで最大の脅威となるのはその機動力だった。あまりにも速すぎて遠距離からの攻撃が当たらないのだ。重力波砲も、亜光速弾頭アトラトルも、威力としては圧倒的だが命中しなければ何の意味もない。だから、乾が最後に取った戦法は基本的には間違いではなかった。できるだけ奴を近くまで引きつけて、回避不能な至近距離から攻撃を加える。ただ、敵の機動力が想定を上回っていたため彼は敗れたにすぎなかった。
ヨヴァルトの考えはそれをさらに突き詰めたものだった。
すなわち、至近距離からの狙撃よりももっと近く、ドラゴンスレイヤーで敵の体に直接取り付き、近接戦闘により倒す。
「不可能だ。そんなことできる訳がないだろ。あんな速い相手にいったいどうやってしがみつくんだ」平岡が言った。
「たしかに平岡さんには無理でしょう。しかし、私ならできる自信があります」ヨヴァルトは言った。
「何だと……」平岡はあ然として言った。
「そこでお願いがあります。私もドラゴンスレイヤーを操縦できるよう、処置を受けたいのです」
「し、しかしだな、……それには時間がかかる。平岡や橘だって、万能医療機での手術だけで丸一日、その後も度重なる調整や追加処置、訓練で一ヶ月以上かかったのだぞ。あれはすぐに乗りこなせるような代物ではない」井関は言った。
「そうでしょうか。乾さんの時はもっと短期間で済んだのではなかったですか」
「確かにそうだが、あの時はドクターがいたから……。まさか。お前」井関は言った。
「はい、今は非常時です。ドクターの凍結を解除し、私の手術に当たらせてもらいたいのです」
「馬鹿な事を言うな!そんな許可が出せるわけないだろう!奴は殺人未遂事件の犯人なんだぞ」井関は言った。
ヨヴァルトはため息をついて言った。
「あなた方は否定ばかりだ。では、どうすると言うのです。別の恒星系まで逃げますか」
「…………」誰も何も言い返せなかった。
その時、これまで黙って話を聞いていた清月が口を開いた。
「……いいだろう。ヨヴァルトの案を採用しよう」
「しかし総隊長!」井関は反論しようとした。しかし清月はそれを制して続けた。
「ドクターについては問題ないだろう。彼の目的は人類をあさぎりに移住させることだからな。現在の危機的状況を説明すれば喜んで協力してくれるだろう。念のため、医務室以外にアクセスできないようにすれば安全だろう。作戦そのものについては非常に危険だが、現状、他に有効な手も存在しない以上、ヨヴァルトを信じて賭けるしかないだろう」
「ありがとうございます」ヨヴァルトは頭を下げた。
「だが、ひとつだけ私から条件がある」清月がヨヴァルトの目をまっすぐ見つめて言った。
「はい、なんでしょう」
「絶対に死ぬんじゃない。必ず生きて戻れ。作戦が失敗に終わっても構わん。その時は自分の生命を最優先にしてすぐに離脱しろ。乾のように死ぬことは絶対に許さんからな。これが私からの唯一の、そして絶対の条件だ。守ってくれるな?」
「はい。承知しました。必ずや奴を倒し、生きて帰ります」
「頼んだぞ」
そう言った清月総隊長はひどく悲しげだった。
居住区跡の墓前での誓いに反し、隊員からひとりの死者を出してしまった。それも同じ敵を相手に。清月はそれを悔いていた。
医務室ではソフトウェア班による厳戒態勢の元、ドクターの解凍作業が進められた。
医務室に通じる回線は必要不可欠ものを除いて切断され、残ったわずかな回線には何重にもセキュリティが設定された。無線通信機能のある電子機器の持ち込みは禁止された。その他、ドクターの「脱走」を防ぐために考え得る限りの対策が取られた。
隔離された記憶媒体に保存されていたドクターの人格を医務室のハードウェアにインストールしていくと、やがてモニタ画面に見慣れた顔が現れた。眼鏡をかけた初老の医師は画面の中で微笑んでいた。
「これはこれは、お久しぶり、清月総隊長殿。……うん?まだ半年しか経っていないじゃないか。思ったよりずいぶん早いな。何かあったのかね」ドクターが言った。
清月は言った。
「君に頼みたい事がある。ヨヴァルトにドラゴンスレイヤー搭乗用の身体改造処置を施してもらいたい。事情はこのファイルを読めばわかる」清月は小さなメディアをハードウェアの端子に挿入した。一秒後、ドクターはその内容をすべて読み終えていた。
「なるほどね。そこで私の力が必要になったと。たしかにこれはこの船の命運に関わる一大事だね。……いいだろう。さっそく手術を始めるとしよう。ヨヴァルト、服を脱いで万能医療機に入ってくれ」ドクターは言った。
ドクターに言われた通り、ヨヴァルトは裸になり、万能医療機の浅く窪んだシートの上に横たわった。上から蓋をするように医療機の上半分がゆっくりと降りてきて、ヨヴァルトを内部に閉じ込めた。蓋がロックされた。筐体表面に並ぶ青いライトが点灯した。
「これより手術を開始する」ドクターは言った。
静かなうなりをあげて万能医療機はヨヴァルトの肉体を作り替えはじめた。