第98話 邪竜覚醒
乾ははるか遠方にニーズヘッグを確認した。
それは惑星表面から急上昇してくる、青く輝く星に見えた。
それははやくも高度百キロに達しようとしていた。大気圏と宇宙空間の境界付近だ。
早く宇宙まで上がって来い。その方が好都合だ、と乾は思った。惑星へのダメージを気遣うことなく重力波砲を遠慮なくぶっ放せるからだ。
それにしても、化け物じみた加速だった。
以前戦ったギガバシレウスたちはここまで速くなかった。尾部のブースターの能力が段違いに強化されていると見て間違いなかった。どうやら海の底でじっとしていたのは、ただ傷を癒やしていただけじゃなかったようだ。これほどの高速で激突されたら、恒星船など一撃で木っ端微塵だろう。まったく途方もない怪物だ。
だが、この怪物の命ももう終わりだ。
たった今、ドラゴンスレイヤーは最適な射撃ポイントに到達した。
乾はニーズヘッグを照準の中心に捉えていた。それは拡大された視野の中でぎらぎらと輝いていた。
さらばだ。乾は重力波砲を発射した。
だが、緑色の重力波ビームはむなしく虚空を貫いたに過ぎなかった。
ニーズヘッグはそこから忽然と姿を消していた。
「馬鹿な。いったいどこに消えた!」乾は叫んだ。
機体各所のカメラやセンサーから送られる、前後左右上下、全方位の映像を急いで確認する。
「下だと!?」
ほんの一瞬前まで約百キロの彼方にいたニーズヘッグは、いつの間にかドラゴンスレイヤーの真下、十キロ下方に回り込んでいた。いまやズーム機能を使わずともその姿をはっきり視認できるようになった巨竜は、ドラゴンスレイヤーめがけてまっしぐらに突っ込んできた。
下に向けて重力波砲を撃てばニーズヘッグを貫通し惑星を破壊してしまう。
とっさに乾はドラゴンスレイヤーの両脚部に装備された反物質ミサイルを発射した。
急迫するニーズヘッグめがけ、多数の小型ミサイル群がくっきりと航跡を描いて飛翔した。
直後、対消滅による大爆発が起きた。目もくらむような閃光が走り、多数の火球が膨れ上がった。ドラゴンスレイヤーの視覚系統は一時的にブラックアウトした。
「ふぅ……、まったく焦らせやがる」乾は言った。
数秒後、ようやく爆発の残光が消え去り、視界が晴れだした。
乾は周囲をスキャンした。ドラゴンスレイヤーのセンサー類は爆発で発生した強力な電磁パルスによるノイズで乱されていたが一応は機能していた。周囲に敵の姿はない。
やったか。
その時、青い閃光が走った。同時に強い衝撃。
左腕部重力波砲に深刻なダメージ。使用不能。再度の閃光。続けて背部装甲にダメージ。微小な穿孔発生。おびただしい警告表示が押し寄せた。
「くそっ、やられた」乾は舌打ちした。
ニーズヘッグは健在だった。それはドラゴンスレイヤーから数十キロ離れた上空を飛んでいた。
反物質ミサイルが直撃したように見えたが、敵は無傷だった。
乾は映像をズームアップした。黒い巨竜は三本の尾部推進器官の噴射だけで飛んでいた。残りは触手のようにうごめかせている。
その一本の先端が閃光を放った。直後、白熱する雷撃がドラゴンスレイヤーをかすめた。
実験用無人機を撃墜した例のプラズマビームだ。おそらく反物質ミサイルはあれに迎撃され、本体に命中しなかったのだろう。
狙いはかなり正確だった。じっとしていたら狙い撃たれる。
以前とは比較にならない加速力に加え、飛び道具まで使ってくるとは。生物の範疇を超えてやがる。まるで生きた殺戮兵器だ。
違う。あれは怪獣だ。宇宙の深淵から現れた、人間の理解を超えた怪獣だ。
「こいつは面白くなってきたぜ」乾は不適な笑みを浮かべて言った。
宇宙怪獣相手に人類の力が、俺の力がどこまで通用するか見せてやる。
乾は破損した左腕部の重力波砲をパージした。プラズマビームの直撃で砲身には大きな穴が開いていた。
高速で飛行しながら、まだ機能する右腕の重力波砲で反撃する。だが急旋回で回避された。広角照射に切り替え緑色のビームの帯で空をなぎ払う。当たらない。なんて速さだ。
ニーズヘッグは乾の攻撃をかわしながら、恒星船へとぐんぐん接近していった。
恒星船は船尾の推進ノズルから盛大にプラズマジェットを噴射しはじめた。急加速でニーズヘッグから逃れるためだ。黒い竜王もそれを追ってさらに加速。
奴の狙いはあくまであの船だ。かつて自分を傷つけた恒星船のことを今でも執拗に恨み続け、攻撃しようとしているのだ。なんて執念深い野郎だ。
その時、恒星船の井関から通信が入った。
「乾、下がれ!アトラトルを発射する!」
乾は逆噴射で急減速をかけた。
直後、恒星船からアトラトルが発射された。亜光速の弾頭がドラゴンスレイヤーの前方の空間を切り裂いて通過した。
ニーズヘッグは……なおも健在。恒星船の斜め後ろにピタリと付けていた。
あの距離で放たれたアトラトルを回避するとは、ありえないことだった。
続く第二射目のアトラトルも避けられた。ニーズヘッグは二本の尾部からプラズマビームを発射して反撃。それは恒星船に命中した。
「船体外壁に損傷発生。今のところ航行に支障はない。だがこのまま攻撃を受け続けると危険だ。敵のプラズマビームの有効射程距離はおそらく数十キロメートル。我々は加速を継続し、可能な限り奴との距離を広げる。君は牽制を行い、あいつをこの船からできるだけ引き離してくれ」井関が言った。
「了解した」乾は言った。
「井関班長、私も出撃させてください」安全保障班の平岡が割り込んだ。
平岡はドラゴンスレイヤー三号機の操縦者であり、戦闘に参加する資格はあった。
だが、あいつはドラゴンスレイヤーでの実戦経験がなかった。それにこの黒いニーズヘッグは他のギガバシレウスとは根本的に違う。暗黒兵器をもってしても、経験不足のあいつが戦えるほど生やさしい相手ではない。確実に命を落とすことになる。
「ダメだ。お前は出るんじゃない。俺に任せろ」乾は言った。
「しかし……」平岡は反論しようとした。
「お前の気持ちはわかる。あいつとは因縁があるからな。自分の手でけじめを付けたいんだろう。だが、今はダメだ。あいつは以前とは比較にならないほど強くなっている。今のお前じゃ倒せない」乾は言った。
「ですが」
なおも食い下がる平岡に、井関が命じた。
「乾の言う通りだ。今のお前は冷静ではない。感情に流され無謀な行動に出るおそれが高い。よって出撃は許可しない」
「……了解」平岡は不承不承、命令に従った。
乾は恒星船とニーズヘッグを引き離しにかかった。
重力波砲のモードを拡散照射に切り替え、広範囲に重力波ビームのシャワーを浴びせかける。黒い竜王はジグザグに飛んで無数に分散したビームを避けていたが、恒星船を追うのを邪魔されて明らかにいらだっているように見えた。
やがて、いらだちが限界に達したのか、奴は回避行動をやめると、遠ざかりつつある恒星船めがけてやみくもに突撃しはじめた。極細の拡散ビーム数本に接触し、外皮を刻まれても意に介することもない。
すさまじい加速だが、直線的で動きを読みやすい。チャンスだった。
乾は狙いを定め、重力波砲を撃った。
それは竜王の尾部推進器官の一本に命中し、根元から断ち切った。
胴体中央を狙ったつもりだが、若干後ろに外れたか。次こそは命中させる。
だが、その時、ニーズヘッグは急反転した。
乾のいる方向に向かってくる。
傷つけられたことで、憎悪の対象が恒星船からドラゴンスレイヤーに変わったのだ。
奴は残るすべての推進器官を加速に回し、全速力で真っ正面から襲いかかってきた。口を大きく開き、四つの顎に並ぶ鋭い歯列をむき出しにしている。あれに直撃されたら終わりだ。
だが、奴を仕留める絶好の機会でもあった。
乾は重力波砲の砲身を全開放し、ブラックホールシリンダーをむき出しにした。
全ビームを収束し、最大出力照射で迎え撃つ。
「乾、何をしている!早く逃げるんだ」井関が叫んでいた。
「……何言ってるんすか。今こそ最大のチャンス到来じゃないですか。限界まで引きつけて口の中に叩き込んでやります」乾は言った。
「無茶だ。狂ってる……」井関は言った。
「たしかにそうかもしれないっすね」
こいつは道理が通じる相手じゃない。勝とうと思えば正気を捨てるしかない。
乾は全神経を敵に集中した。この一撃に全てを賭ける。
予想される接触時間まで、あと十秒。
まだだ。限界まで耐えろ。
視野のほとんどを凶悪な口が覆い尽くす。
あと五秒。四、三……。
今だ。
乾は巨大な口腔の中央に最大出力の重力波ビームを撃ち込んだ。
しかし、渾身のビームは回避された。
乾の搭乗するドラゴンスレイヤーのすぐ横で巨大な顎が噛み合わされ、百メートル足らずの距離を猛スピードですれ違っていった。
直後、前方から迫るニーズヘッグの黒い翼がドラゴンスレイヤーに直撃。死神の鎌のように両断した。
結局、あの時からずっと、自分は死に場所を求めていたのかもしれない。乾は思った。地球での戦争で自分だけが生きのびたことの罪悪感からは逃れられなかった。
最期の瞬間、乾の脳裏に浮かんだのは故郷の雪景色だった。十七のとき、中国大陸に渡る船上から見た景色だ。十数年ぶりに降った雪は富山酸素ドームの屋根とその背後にそびえる北アルプス連峰を白く染めていた。捨てた故郷のことなんて今までずっと忘れていたのに。変だな、と乾は思った。