第96話 降臨の祈り
牧野たちは着陸艇で洞窟の上空まで舞い戻った。
峡谷に轟音がこだまし、噴射の強風が森の植物をなぎ倒した。
末裔たちの村は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。そんな中、ジェシカだけは毅然としていた。
着陸艇は洞窟の前の広場に降り立った。
「……我々を許して欲しい」
搭乗口から降りた牧野に対し、ジェシカが開口一番に言った。そして地面にひざまづいた。
「セルゲイのこと、知っていたのか」牧野は言った。
「ああ。彼らが飛び出していくのを止められなかった。済まない。長である私の責任だ。誰か怪我をさせてしまったか」
「大丈夫だ。こちらに被害はない」
「あの程度の原始的な武器では我々には傷ひとつ付けることもできない」橘が言った。
「やはりそうだったか……。まったく愚かな男だ。機械を持つ相手に勝負を挑むとは」
ジェシカがため息交じりに言った。そして続けた。
「自分が今まで信じてきたものが崩れていくのを許せなかったのだろう。あの後、セルゲイはあなた方との接触を止めるよう仲間たちに訴えかけた。だが、聞き入れられないとわかると、考えを同じくする五人と一緒に武器を持って出て行ってしまった。自分たちは始祖の教えを最後まで守ると言い残して」
「変化を受け入れられない人間は常にいる。仕方のないことです。それより、立って下さい。私たちは別に怒ってなどいません。むしろ謝るべきはこちらの方です。我々の不用意な接触があなた方の社会に混乱と対立をもたらしてしまった」鳥飼が言った。
「彼の言う通りです。私たちはセルゲイのことを警告しに戻ってきたのです。ひょっとしたら彼はあなたを倒し、この村を乗っ取ろうとするかもしれないと思って」牧野は言った。
「ご忠告に感謝する。しかし、あの男にはそこまでの度胸も力もないだろう。それに仲間たちの支持もな。信仰では文明とは堕落であり罪とされているが、文明世界の快適な暮らしの言い伝えはたくさん残っている。ここでの生活は厳しく貧しい。誰もがこの生活から抜け出したいと考えている。ほとんどの者があなた方との交流に前向きだ。仮にセルゲイが私を倒したとしても、あの男に付いていく者は少ないだろう」ジェシカが言った。
その時、村人たちが何やら騒ぎはじめた。
みんな、洞窟の入り口のはるか上方を指さして叫んでいる。
牧野は彼らの指し示す先を目で追った。村の入り口の洞穴は高さ百メートル近い切り立った崖の下端に位置していたが、崖の中腹にもう一つの洞穴が口を開けていた。そこは数時間前ジェシカたちに案内されて訪れた、通信施設の残骸がある岩屋だった。
その岩屋の中に数名の人影があった。そのうちの一人は濃い顎髭を生やしていた。セルゲイだった。
「あいつ、いつの間にあんな場所に」ジェシカが言った。
彼女が気付かなかったことから、おそらく、山の裏側へ迂回して、山頂から崖を下ってあそこに侵入したに違いない。その岩屋からトンネルを下って村の中に入り込むつもりだろう。
だが、奇妙なことにセルゲイたちはそれ以上動く気配を見せず、岩屋の中に留まっていた。
「彼ら、いったい何をするつもりなんでしょう」鳥飼が言った。
やがて、セルゲイは崖の縁にまで歩み出てきた。そして下にいる牧野たちにむかって叫んだ。
「これより我々は降臨の祈りを捧げる。偉大なる神の化身を召喚し、その力をもって邪悪なる者どもとその宇宙船に裁きの鉄槌を下す!」
「馬鹿な。通信機はすでに壊れているんだぞ。アヴァタールに祈りを届けることは不可能だ」ジェシカはセルゲイにむかって大声で言った。
「愚かなり!我らが一族とアヴァタールとは聖なる絆で固く結ばれている。これは単なる通信機などではない。聖なる祭壇だ。機械の力を用いずとも、聖なる絆を通じて我らが祈りの声は聞き届けられるのだ!誰にも邪魔はさせんぞ!」セルゲイはわめき立てると、岩屋の奥に引っ込んだ。
「あの男、狂ってるな」橘が言った。
セルゲイは儀式を執り行いはじめた。
捕獲してきた小動物の腹部を刃物で裂き、内臓と体液を壊れた通信機のコンソールに振りかけているようだった。下からではよく聞き取れないが、呪文のような言葉も口にしていた。「霊力」や「精神感応」と言った言葉に混じり、断片的に「通信プロトコル」や「ギガヘルツ」などの単語が聞こえてくる。おそらく通信機の操作手順が呪術的な文言に歪められて伝わっていたのだろう。
村人たちはその様子を不安げに見上げ、ジェシカに判断を仰いだ。
「気の済むまで好きにさせてやれ」彼女は悲しげに言った。
「おそらくあの男が実力行使に出ることはもうないでしょう。現実を受け入れられず、呪術という幻想にすがることにしたようです」鳥飼が言った。
セルゲイの様子に牧野は哀れみを覚えた。
「……そうだな。帰るとするか」
万一、何かあった時のためにジェシカに小型通信機を渡すと、牧野たちは着陸艇に乗り込んで引き上げた。上昇する途中、通信設備のある岩屋の中が見えた。セルゲイたちは髪を振り乱し、狂ったように踊りながら一心に祈りを捧げていた。岩屋の前を通過する一瞬、彼は着陸艇にぎろりと憎悪に満ちた視線を向けてきた。
着陸艇は恒星船とランデヴーするため宇宙空間へ上昇していった。
眼下にオッドエリアが小さく縮んでいくのが見えた。
牧野はセドナ丸の末裔との遭遇を思い返していた。
エデンの書によると、ギガファウナ信仰に目覚めたセドナ丸の生き残りは文明を捨て、自然との共存を謳ったという。それは楽園のはじまりになるはずだった。
だが、彼らの子孫の状況はどうだろう。お世辞にもあそこは楽園には見えなかった。彼らは貧しく、痩せ細り、病に苛まれていた。
おそらくテクノロジーと医療があれば容易に助かるような些細なことで命を落とし続けてきたのだろう。それどころか、彼らは自然のもたらす豊かさも十分に享受できていないように見えた。多くの者が明らかに栄養失調の兆候を示していた。果実や動物の肉が豊富に得られる環境なら、あんなことにはならなかったはずだ。
あの場所は土壌の栄養分が乏しく、ほとんど食虫植物しか生育していなかった。おそらくあの地域は惑星あさぎりでも例外的に生産力が極めて低い場所に違いない。それに加え、金属に汚染されたオッドエリアの周辺に位置していることから、その影響も受けていることだろう。
何故、彼らはこんな劣悪な環境に住むことを選んだのだろう。この星には豊かな土地は豊富に存在するというのに。
いや、選んだのではない。彼らは選択の余地なく、あそこに住まざるを得なかったのだ。文明を捨て、非力な存在になった人類が唯一生き延びられる場所。それがあの地だったのだ。重金属に汚染され、栄養分に乏しい特殊な環境、他の生物が見向きもしない場所が。
一般的に、高山や孤島、あるいは深海や洞窟などの辺縁的な環境には進化から取り残された古いタイプの生物、いわゆる遺存種が住んでいることが多い。文明を喪失した人類はこの星の苛烈な生存競争を勝ち残れるほど強い生物ではなかったのだ。巨大生物に追われて逃げ込んだのがあの場所だったのだ。
自然との共存。言葉は美しいが、しょせん綺麗ごとだ。人間はテクノロジーを捨てて生きられるほど強くはないし、自然も甘くはないのだ。
将来的に、セドナの末裔たちはテクノロジーの力を再び手に入れた後、あの場所を去ることを選ぶだろう。
着陸艇は大気圏を離脱し、惑星周回軌道を飛びながら恒星船に接近していった。
その時、恒星船から通信が入った。
その内容は牧野を深い物思いからただちに現実に引き戻すものだった。
「たった今、北方群島の水中ドローンから警報を受信した。ニーズヘッグが深海から浮上を開始した」