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寧洲

寧洲のひとびと   心穏やかな人びとの国

作者: 恵美乃海


 寧洲は、西太平洋上に浮かぶ四百余りの島で構成される国である。


 その島の内、ひとの居住する島は八十余り。


 主要四大島とその他の島の陸地面積と人口は、


 東大島 47,723平方キロ。1,707万人。


 西大島 25,630平方キロ。1,318万人。


 中大島  8,956平方キロ。  258万人。


 南大島 19,563平方キロ。  492万人。


 その他  4,397平方キロ。   86万人。


 合計 106,269平方キロ。3,861万人。


東大島、西大島は温帯から亜熱帯気候。中大島は亜熱帯気候。南大島は亜熱帯から熱帯気候。


 首都は金田(東大島、人口213万人)。

最も人口の多い都市は、豊栄(西大島、419万人)。

それ以外で百万人を超える人口を持つ都市は、

肥田(西大島、138万人)。

福田(東大島、114万人)。

小城(南大島、103万人)である。


 文化的には日本と密接な関係があり、国民のほとんどは日本人と同民族であり、使用言語、文字は日本と同一である。


 国家元首は大公を称する蘇我家がその座にあった。ゆえに寧洲の正式な国号は寧洲大公国である。議会は国民議会のみの一院制であり、定数は四百。


 無信仰を標榜する国民はほとんどいない。仏教が最も優勢であるが、キリスト教、神道の信者も一定割合を占める。


 だが、この国において特徴的なのは謙受教という団体の存在である。教と称しているが、謙受教は宗教ではない。


「三静(静思、静語、静行) : 静かに思い、静かに語り、静かに行う」


「謙抑、受容、中庸、無私の四つのこころにより、静穏で快き精神に達し、保持する」


「創造することに心を煩わせず、学ぶことを重んじる」


「劇的なものを求めず、日常生活を重んじる」


といった教えを中心とする思想団体である。


この団体の頂点に立つ人物は教主と称され、大伴家が世襲している。


国民の大多数は自らが信仰する宗教以上に、謙受教徒である、という意識が強い。


 この教えの影響により、寧洲国民は総じて穏やかである。と同時に変化を好まない保守退嬰的な性格も形成された。


 国民議会においては、この謙受教の教えのもとに生活することを理念とする静穏中庸党が八割を超える議席を占め、政権を担っていた。


 尚、寧洲大公国旗は、横長に四分割された上から黒、赤、黒が1:2:1の割合を占める黒赤旗。


 大公旗は、横長に五分割された上から黒、灰色、黄、灰色、黒と並ぶ黒灰黄旗。


 謙受教旗は、横長に三分割された上から、黒、灰色、茶色と並ぶ黒灰茶旗である。


この国においてもうひとつ特徴的なのは、男女の関係が相当におおらかである、ということである。

ほとんどのひとは、一定の年齢に達すれば、最終行為を楽しむが、単一の相手では無く、同時に複数の相手とそのような関係をもつ、というのが普通である。


 結婚後もそれは続く。配偶者以外とも自由に男女の関係を持つ。

 世間ももちろん、そのことに関しては寛容である。ただ配偶者以外の相手との間に子を作ることは、平穏な家庭の継続が困難になることにより望ましくないこととされる。


寧洲大公国の現在の大公は五十五歳となる蘇我氏親であるが、本年四月をもって一人息子で、十八歳になる氏興に大公を譲位し、自らは太上大公(略称、上公)となり、第一線を退くことを宣言した。


 寧洲大公国において国民の生活信条を担う存在ともいえる謙受教の現在の教主は大伴久治、三十歳。

 

が、かつて教主の座にあった七十一歳になる祖父、久国。


四十九歳になる父、久康も健在であり、今はそれぞれ大太上教主(略称、大教主)。太上教主(略称、上教主)と称されている。


 大伴久治も本年四月をもって一人息子であり、十四歳になる久継に教主を譲位する旨、宣言した。


 譲位後は、久治が上教主。久康が大教主となり、久国は、総大太上教主(略称、総教主)と称されることになることも同時に宣せられた。


大公家、教主家の共通の悩みは、直系の嫡子が各々ひとりしかいないということである。


 新たに教主となる久継の母、節子の父は、現大公、蘇我氏親。久継は、大公の内孫でもあった。節子の母、君子は既に故人となっているが、氏親と君子の間にできた子は、節子のみであった。


 君子が亡くなった二年後、氏親は、当時の教主(現大教主)久国の娘、現上教主の妹である、泰子を後妻に迎えた。結婚の翌年、房子が生まれ、さらに五年後、氏興が生まれた。


 大公、蘇我氏親の子は、節子、房子、氏興の三名である。先妻との間の子、節子は、現教主久治の妻となったが、ふたりの間に出来た子は、久継のみであった。


大公家、教主家の直系を絶やさぬように、との配慮から、氏興、久継の結婚は急がれた。譲位に先立ち、本年一月、盛大な式典の中、氏興、久継はともに妻を迎えた。


 氏興の妻となったのは、二十二歳の大伴俊子。

現大教主、久国が四十九歳のとき、妻以外の女性との間に生まれた娘である。

 氏興の母、泰子の二十四歳違いの異母妹にあたる。血縁の上から言えば、氏興は自分の叔母にあたる女性と結婚したことになる。


 久継の妻となったのは、二十三歳の蘇我房子。氏興の同母姉であり、久継の母、節子の十歳違いの異母妹でもあり、久継もまた自分の叔母にあたる女性が、妻となった。


 氏興にとって、四歳年下の大伴久継は、義兄でもあり甥ともなる。


 久継にとって、氏興は、義弟でもあり叔父でもあり、大叔母の配偶者ともなるわけである。


妻を迎えても、氏興は、寧洲国民の例にもれず、数多な女性との恋愛をそのまま楽しんでいた。


 継続的に相手を務める女性としては、教主、大伴久治の妹で、結婚後一年足らずで夫を亡くし、二年前に二十四歳の若さで未亡人となった、新田峰子。

 

 美貌の誉れ高い、二十一歳の人妻、吉川静代。


 超上流階層に属する男性のみが、その相手となる高級娼婦、十九歳の高木好美。


 財閥当主令嬢である、十六歳の豊満な美少女、小川多美子。の四名であった。


 が、その四名の女性も、氏興のみが男女関係の相手であったわけではない。


 久継は、男女の関係については、まだ、その入口に入ったばかりであり、氏興ほど、豊富な女性関係を持っているわけではない。

 が、既に、妻以外に十八歳、十六歳、十五歳の三人の貴族令嬢と男女の関係を持っていた。


蘇我氏興も、大伴久継も、学業は、際立って優秀というわけではない。氏興は、通っている高等学校でぎりぎりに優等グループに入るかと言う成績であり、久継は、中等学校で、中の上といった成績であった。ただ、この評価自体、その身分に対する配慮があった可能性も否定できない。


 が、氏興も久継も、自らの出自に疑念をもつことはなく、素直に寧洲的価値観を受け入れる、穏やかで素直な性格であった。

 

 何よりともに美少年と称してもおかしくない優れた容姿をもっていたので、国民の間での人気は高かった。


 若く、美しいふたりの新たなリーダーの誕生を迎え、大公、謙受教を基幹とする、その体制はゆらぐことなく継続していくであろう、と思われた。


しかし、


四月一日の教主就位式、翌四月二日の大公就位式をまもなく迎えようとする三月十七日。


 ふたりは、万人の絶対平等の思想を持つに至り、大公、謙受教体制を憎悪する元警察官の凶弾に倒れ、ともに同日、逝去したのである。





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