ピアニストな女性から小さな会社員への嘆願生活
ちょっと精神的に不安定になっていましたが、なんとか気を持ち直し、後日の仕事は実に身が入りました。というより、先日、私がやった仕事内容を確認してみると、
(…これ、本当に私がやったのですか?)
頭が痛くなるほどのミスの多さであった。
漢字、片仮名、平仮名のミスは当然のように存在し、一桁の簡単な計算も間違っている事にも驚いた。なるほど、これでみなさんは私の異変に気付いたのでしょう。工藤先輩が気付くくらいです。この仕事を全うしていた時も、何かしら様子がおかしかったのでしょうね。それにしても、これらの書類全部が受理されなくてよかったです。誤字や計算ミスだらけの書類が受理されてしまうと…考えなくても大変なことになる、ということは容易に想像できます。こんな間違いだらけの書類を全部訂正しつつ、自身の仕事をこなしていく。
そして、
「この後、午後の仕事を終わらせれば、いよいよ明日は休日ね、優君!」
「そうですね。」
待ちに待った休日です。今週は色々と考えさせられましたからね。休みの日くらいはゆっくりとしたいものです。ですから、今週はいつも以上に休日を楽しみにしているんですよね♪
「優さんは今週末、何をする予定ですか?」
「そうですね…、とにかく今週はゆっくり休みたいですね。」
「なるほど。橘先輩はどう過ごすのですか?」
「俺は…掃除だな。」
「お、マメだな。俺なんか休日の予定なんかずっと酒飲みに使っちまうぞ?」
「もうこいつは手遅れのようね。アルコール中毒にかかって、最悪の場合は…、」
「死を匂わせるような発言をするなぁ!?俺だってな、少しは摂生している、つもりだ。」
工藤先輩、語尾が急に弱くなったのですが、自信がないのですか?
「ほぉ~?休日は一日どれくらい酒を飲んでいるのかしら?」
「…ビールは3リットル。日本酒だったら5、6合。焼酎は500ミリリットル。ワインなら1リットル。これぐらいか?」
「「「・・・。」」」
3人とも、引いていた。まさか、今羅列されたお酒の量全部1日で飲み干しているのでしょうか?だとしたら、アルコール中毒の危険性があるのではないのでしょうか?
「か、勘違いするなよ!?ビールの日、日本酒の日、焼酎の日と、きちんと日ごとに飲み分けている。だから、そんな悲しそうな目で俺を見るな!俺はアル中なんかじゃない!!」
と、言われましても…。工藤先輩の健康は危ういです。
「工藤先輩。」
「何だ、橘?」
「お酒以外の楽しみ、見つけませんか?」
「お、おおう。善処するよ。」
これはもう、駄目なのでは…?いえ!私が諦めるわけにはいきません!とはいえ、お酒を飲んでいる工藤先輩は本当に楽しそうですから、止めるのもどうかと思いますし。少し、悩んでしまった私である。
そんな昼休みを終え、仕事も順調に進んでいた。一昨日も、昨日も、そして今日も、菊池先輩と課長は口論していた。おそらく、あの菊池先輩のふざけた規格について話し合ったんでしょうね。いい加減、却下すればいいのに。課長も真面目ですね。そして、そんな様子を見て、
「菊池先輩があそこまで熱心に話し合っているところ、初めて見ました。」
と、桐谷先輩は感心していた。菊池先輩は熱心に取り組むところ、間違えていますよね。いつも通りというかなんというか…。ですが、あれでもかなり仕事が出来、多くの人から厚い信頼を獲得しているわけですから、本当にすごいです。私に対しても、もう少し穏やかに、優しく接してほしいものです。と、これ以上は我が儘、というものですかね。自重しなければなりません。注意しないと。
終業時間になり、
「「お疲れさまでした。」」
「「「お疲れさま。」」」
橘先輩と桐谷先輩が先に帰る。
「優。お前は今日、もう帰れるのか?」
「あ、もう少し資料整理に時間がかかるので、後…三十分かかると思います。」
「そうか。それじゃあ俺は、帰る準備でもするか。」
と、工藤先輩は帰る準備を始める。
「優きゅ~ん♪私と一緒に…、」
「あ、まだ時間がかかりますので、先に帰っていてください。」
「…ぶぅ。」
菊池先輩は不機嫌な顔で帰って行った。…私の言うことを聞いてくれたのは嬉しいですが、あそこまで不機嫌な顔をされたら、こっちが複雑な気分になります。
そんな時、電話音が鳴った。どうやら工藤先輩の電話が鳴ったみたいです。終業時間を過ぎているから、電話に堂々と出ても問題ないでしょう。工藤先輩、本日の仕事は終わっていますしね。
「はい。・・・はい。・・・はい?・・・はぁ。・・・。」
…なんか、工藤先輩が急にこっちを向いて、何か言いたそうにしているのですが?私にはどうすればいいのか分かりません…。とりあえず、紙とペンで意見を書いてみた。
“どうしたのですか?”
「…ちょっと待って。今本人がいるから聞いてみる。」
と、受話器を離し、私に話しかけてきた。
「?どうかされましたか?」
「…優。毛利って人、覚えているか?」
「毛利さん、ですか?」
私の記憶が確かであれば…、
「先週のピアノ教室の方、で問題ないですか?」
「ああ。そいつから、何か緊急?の要件があるらしいんだ。明日、先週と同じ場所に来てほしいと。」
「えっと…、それは構いませんが、工藤先輩は大丈夫ですか?」
私が行くとなると、工藤先輩が車を運転し、目的地まで行ってもらう必要があります。そうなると、工藤先輩に苦労をかけてしまうことになります。いや、私が公共の交通機関を使えばいいだけですね。
「俺か?そうだな…、」
工藤先輩は何か少し考え…、
「・・・・・・。」
何か小言で毛利さんと話を始めた。そもそも、電話の相手はあの毛利さんなのでしょうか?毛利さんの母親とか、娘さんとか…。そもそも、あの毛利さんは結婚しているのでしょうか?聞いていなかったので分からないですね。家の中もある程度見ましたが、一人で暮らすには少し広かったような気がします。気がする、というだけなので、実際のところはわかりませんが。
「…ああ。というわけで、そっちもよろしく頼む。」
と、私が色々想像していると、工藤先輩の電話が終わったのか、電話を切った。
「それで、話というのは何だったのですか?」
「ああ、それはな…。」
「それは…?」
「明日、教えてくれるって。」
「…明日、ですか?」
今教えてくださったわけではないのですね。
「何でも、電話で話す内容じゃないから、明日、毛利に会ってほしいんだと。」
「はぁ。」
電話で話す内容ではない、ですか。聞くからに、何か大事な予感がします。できれば断りたいところですけど、工藤先輩の友人、なんですよね。その方のお願いを無下にするわけにはいかないですよね。
「もちろん、俺も行くから大丈夫だ。それに、」
「それに?」
「…いや、これは明日になってから話すとしよう。それで、どうする?」
「どうする、とは?」
「明日、俺と一緒に来てくれるか?」
「・・・。」
即答、出来なかった。
私だって、今週の初めに色々あったので疲れましたし、今週の週末は休む予定でした。なので、急にこんな予定を入れられて何も思わない、なんてことはない。ですが、これも工藤先輩に恩を返すためです。頑張らないとです。…いつの間にか、自分中心的思考になっていました。疲れていると、つい自己中心的思考になりがちです。これは反省事項ですね。きちんと反省し、後に活かすとしましょう。今はとりあえず、
「…ま、無理に連れて行くつもりはない。どうしてもと言うなら…、」
しまった!?答えていなかったから、工藤先輩が誤解を…!
「だ、大丈夫です!行けます!」
私はすぐに返事をする。若干声が大きくなってしまいましたが、そんなことは気にしていられません!
「お、おぉ。そうか。でも、本当に無理なら、無理せず断ってくれても…、」
「大丈夫です。何なら今からでも行けるくらいです!」
これはちょっと盛り過ぎましたね。ですが、これくらい元気である、ということを意志表明していないといけないですからね。
「…分かった。それじゃあそう伝えてくよ。明日は身一つでいいらしいから。」
「分かりました。」
それにしても、毛利さんからのお願い、ですか。一体、何の用があるのでしょうか?私は気になりつつあるものの、いつも通りの夜を過ごし、約束の後日を待った。
後日。
「優。なんか悪いな。俺の友人が迷惑をかけて。」
「いえ。これぐらいなんともありませんよ。」
実際今、車に乗せてもらっているだけですので、私には何の苦労も仕事もしていません。むしろ、工藤先輩に運転をさせているので、私が少し申し訳なく感じてしまいます。
「まだ時間がかかるから寝てていいぞ?優も疲れているだろう?」
「…それじゃあ、お言葉に甘えさせていただきます。」
私はこうして、工藤先輩の運転の元、3人で目的地に向かう。
「・・・。」
「ふふ♪優君の寝顔、素敵♪」
「…おい。もう着いたぞ。優を起こせ。」
「…は~い。優君、時間よ。」
「・・・ふぁい。」
…もうそんな時間なのですね。私は寝ぼけ眼をこすり、
「んんー。」
背伸びをし、体を起こす。
「…起きた?」
「はい。…ところで、何で菊池先輩がここに?」
そういえば、菊池先輩はいつの間に車に乗っていたのでしょう?記憶が曖昧なんですよね。つい先刻のことでしたのに…。私もかなり疲れているのかもしれません。
「それはもう、優君が心配だからに決まっているじゃない!」
と、親指を立てて言い切った。そこまで心配かけていたのですか。私も早く大人になって、一人前になりたいです。
「心配していただきありがとうございます。ですが、私は大丈夫ですので安心して…、」
「それは駄目よ!」
と言い切った後、工藤先輩の方を向き、
「誰かさんは優君のこと、何も分かっていないから、優君の弱みに付け込むかもしれないじゃない!!」
工藤先輩に対し、指を向けながら言う。
「…それで、本音は?」
「優君がピアノを弾いている姿を一目見たくて、つい。」
「「・・・。」」
・・・ま、これぞ菊池先輩、という理由で納得です。
「ですが、私がここに来たからと言って、ピアノをまた弾くとは限りませんよ?ピアノも上手じゃありませんし…、」
猿真似、いえ、クオリティーだけなら誰でも出来るありふれた演奏でしたので、菊池先輩に聞かせるほどの素晴らしい演奏じゃないのですが…。
「優君のそういったところ、私は大好きよ!」
と、私の頬に菊池先輩の頬が接触する。菊池先輩は人の話を聞いていたのでしょうか。
「俺は、優の演奏は凄いと思ったけどな。」
「工藤先輩まで血迷った発言を…。」
まだ私の演奏を聞いていない菊池先輩はともかく、演奏を聞いた上で工藤先輩はそのような評価をしてくれるなんて…。お世辞にも嬉しいものです。
「さ、そろそろ目は覚めたか?」
「はい。」
「じゃあ一緒に行きましょうか、優君?」
「分かりました。」
「…お前が仕切るなよ。」
工藤先輩の愚痴は、菊池先輩に届かず、家まで歩き、チャイムを鳴らす。
「はい。」
聞き覚えのある声が聞こえる。きっと、毛利さんの、でしょう。
「俺だ。」
「…ああ。部屋は今開けたから、入ってきて。」
と、聞こえた。
「分かった。」
と、工藤先輩は言い、扉を開ける。すると、毛利さんの言う通り、扉は開いていた。
(・・・?)
確か、最初来た時はわざわざ玄関まで来て開けてくれたと記憶しているのですが、今回は何故インターホン越しに話を済ませたのでしょうか?偶然、でしょうか?それとも、でられない理由がある、とか?そんな思考を行いつつ、今回の用事について考えていた。
入ってみると、前に入った玄関とほぼ変わらない玄関であった。1、2週間で玄関を変える、なんてことはリフォームしたり、引っ越ししたりしない限り、ほとんどないでしょう。
「こっちよー。」
言葉が聞こえる方向、玄関に入って右、でしょうか。その方向には1枚の扉があり、その扉の中から聞こえた気がした。
「ここか。入るぞー。」
と、工藤先輩が扉を開ける。その部屋には、
「ほー。」
工藤先輩が感心していた。
「・・・。」
菊池先輩は何も言わないものの、少し周りを見た後、視点は一点に集中している。
(み、見えない…。)
工藤先輩、菊池先輩の後ろを付いてきたせいなのか、2人の足、体、頭等で部屋の間取りが見えなかった。…ほんと、小さいと色々不便で仕方がありません。早く大きくなりたいなぁ。
「あ、優君ごめんね。はい。」
と、菊池先輩が気を効かせてくれたのか、少しどいてくれた。この気の使い方は、これはこれで傷つきます…。私も結構面倒くさいなと思いつつ、そう思わざるを得ないです。
「!?」
え?あの人は確か毛利さん、だったはず。
「…あ、いらっしゃい。今日は急な呼び出しにも関わらず、来てもらってありがとうね。」
と、左手を振って挨拶してくれた。
「ど、どうも。お邪魔しています。」
もちろん、挨拶も礼儀を忘れることなく行い、頭も下げる。それにしても、
「やっぱり、優もびっくりするか。」
どうやら工藤先輩も気付き、驚いたようです。菊池先輩も少しは驚いたみたいです。
「ああ。やっぱりこれ、気になっちゃう?」
「…はい。」
毛利さんは、右腕を少し上げる。その右腕には、包帯がグルグルと巻かれ、固定されていた。
「それで、あなたが工藤君の言っていた…?」
「初めまして。優君の愛人、菊池美奈です。」
「・・・え?…え??え???」
はぁ~~~・・・。菊池先輩、初対面の方にそういう誤解を間違いなく生む発言はしないで欲しいものです。ですが、してしまった以上、毛利さんは信じられないような目で菊池先輩と私を交互に見る。年齢差もあるようですし、相当奇異なことを言っていたのでしょう。多少聞き慣れている私達でも聞き流すことなんてほとんどないわけですから、初めて聞いた人なんかは、時間が止まってしまうかもしれません。当の菊池先輩はというと、
「ねぇー優君?私達は将来、結婚するんだもんね♪」
と、爆弾発言をまたも繰り返す。…人がフォローを入れる前にこの人は…。
「えっと・・・どういうこと?」
毛利さんは工藤先輩に聞く。ま、当然の事ですよね。
「はぁ~~~・・・。病気、みたいなものと思ってくれ。一応、優を心配してきてくれたんだ。」
「…うん。優ちゃんを心配していることだけは伝わってくるよ?でも…、」
毛利さんは私達2人を見る。視線が痛いです。そんな視線を浴びているにも関わらず、
「うふふ~♪」
私に笑顔を向けてきます。本当、菊池先輩は世間の目を気にしないですよね。良い意味でも、悪い意味でも。ほとんどが悪い意味で、ですが。
「これは菊池先輩の妄言ですので、気にしないでください。」
「ええ!?」
毛利さんは、なるほど、といった感じで納得してくれましたが、菊池先輩が、
「私とは遊びだったの!?ひどいわ!!」
と、またも誤解を生むような発言をされています。こんな時くらい、発言を控えて欲しいものです。
「…なんか、工藤君も優ちゃんも苦労、しているのね。」
…哀れみの目を向けられてしまった。毛利さんに気をつかわせてしまったようです。
「ああ。俺も社会人になって、色々と苦労しているんだ。主にこいつだけどな。」
最後の方は聞き取れませんでしたが、社会人になって色々と苦労するのは分かります。仕事の事、家庭の事、キャリアアップのための資格取得の事、その他諸々。実に色々と行いましたからね。
「…それで、そっちも話してくれるんだよな?」
工藤先輩は毛利さんの右腕に視線を集中させる。
「ええ。そのために来てもらったんだから。」
こうして、私達4人の話し合いが始まる。
「私がお願いしたいのは、とあるイベントに、私の代理として出て欲しいの。」
「毛利の代理というと、ピアノ関係、ということか?」
「ええ。事の発端は、とある交通事故よ。」
「「交通事故???」」
毛利さんはこくりと頷く。
「ええ。つい最近起きた事故なんだけど、覚えている?」
と言われましても、私は最近の出来事を把握しきれていないので、詳しいことは…、
「…確か、コンビニ突っ込んできた自動車の事故、でいいかしら?」
「!?え、ええ。その通りよ。」
「?その事故の詳細を聞いてもいいか?」
「いいわよ。先日の深夜、とある自動車がコンビニに突っ込み、店員を含めた数人が怪我を負った事故、だったらしいわ。事故に遭った人達の詳細なプロフィールは記載されていなかったけど、女性2人と男性1人、それと店員が2人、計5人が事故に遭った、と書かれていたわ。」
「そう。そのうちの一人が私ってわけ。私の被害は右腕一本で済んだけど、酷い人は両足と左腕をやられた人もいたらしいわ。」
「へぇ。」
「それは、不幸な出来事でしたね。」
思わずこんな言葉をかけてしまいましたが、大丈夫でしょうか?変な発言はしていない、はず。なんだか自分の発言が心配になってきました。
「慰めてくれてありがとうね。」
と、毛利さんは私に笑顔を向けてくれた。よかった。私の発言は毛利さんの怒りをかったわけではなかったようです。
「それで、その事故と今回の呼び出しがどう関係してくるんだ?」
「実は先ほども言ったけど、来月の頭にイベントがあって、そこにピアニストとして出演することが決まっていたの。」
「「「・・・。」」」
私達は黙って毛利さんの話を聞く。
「だけど、事故でこんな腕になっちゃったから、弾けないのよ。怪我が治ることにはイベントも終わっている頃だし。それで、代理の人を頼もうと、私の持てる人の伝手を徹底的に当たってみたところ…、」
と、ここで言い淀んでしまっているようだ。
「なるほど。全滅した、というわけか。」
「…そうなの。この時期、何かとイベントで弾く人が多いらしくて、ね。それでどうしようかと悩んでいたところ、つい先日の事を思い出したの。」
「それが、私のピアノ教室だった、ということですか?」
「ええ!優ちゃんなら、私の代理にふさわしいんじゃないかと思ってね。どうかしら?」
「・・・。」
…正直、私にも分からない能力をかい、このように頼ってくれることは嬉しいです。私を信頼しているからこそ、こういう頼みごとをなされているのでしょう。
ですが、私にももちろん予定があります。それに、私にはこういう…芸術方面?と言えばいいのでしょうか?そういう面に関しての知識が一切ないので心配なんですよね。私みたいな無知な子供が、プロが集う場にて演奏をする、なんてことはおこがましいのではないでしょうか。それに、
「私以上にふさわしい方がいると思います。そちらの方を優先させた方がよろしいかと。」
毛利さんであれば、きっと他にもピアノを教えている方がいるはず。その方に代理として出演させるべきでしょう。私なんかが出ては、そのイベントは失敗する事間違いなしでしょう。私が断ると、毛利さんは少し苦い顔を晒す。一体、何故…?
「…優君に頼みたい理由が他にあるんじゃない?」
ここで菊池先輩が口を開く。
「そうなのか?」
工藤先輩が確認の意味を込め、毛利さんに確認をした。この工藤先輩の言葉に軽くうなずいた。
「ええ。あの時のピアノ教室で、私が弾いた曲を数回聴いただけであれほど上手く弾けていたでしょう?」
「そうなのですか?」
私としては、毛利さんの猿真似以下のクオリティーだと思っていたので、そこまで上手く出来ていない、というのが自己評価なのですが。
「そうだな。素人の俺からすれば、優の演奏は毛利の演奏とそう変わらないように思えたぞ?」
と、工藤先輩がオーバーに評価してきた。私の演奏をそこまで評価してくれるのは嬉しいですが、それは褒めすぎです。
「ま、優君だもんね♪」
菊池先輩は、工藤先輩の評価に納得しているようだった。ま、この二人の評価は当てにならないようですし、毛利さんに聞くとしましょう。
「私の演奏は、毛利さんとは比べ物にならないほど低クオリティーだったと記憶しているのですが?」
「そんなことないわ!あそこまで私の演奏を再現出来た人なんていなかったもの。」
それは…きっとあれです。毛利さんの演奏を再現しようとする人がいなかったか、素人の方が再現しようとし、失敗したから、ではないでしょうか?プロの方が毛利さんの演奏を再現すれば、きっと毛利さんの演奏と遜色ない素晴らしい演奏を聞けることになるでしょう。今回、そのプロの方々に頼めないということでしたので、私の考えは却下でしょうが。プロ、ですか…。
「でしたら、プロではない方に代理をお願いしてみてはいかがでしょう?」
「プロではない方?」
「はい。確か、そういう方がいるはずです。プリではなくアマ…、」
アマ、何でしたっけ?言葉が出てきません。
「アマチュアね?」
「あ、はい。それです。」
さすが菊池先輩です。私の知らない単語も把握しているのですね。
「なるほど。その手があったか。それで実際はどうなんだ?」
工藤先輩は私の意見に納得し、毛利さんに聞く。
「…残念だけど、それも考えて、周辺の同好会、趣味サークル等、色々まわったけど…、」
どうやら、私の考えは既に考慮済みだったようです。そうなると、
「私しか選択肢がない、ということですか。」
「うん。そういうことなの。ごめんね。」
「いえ。ですが、少し考えさせてください。」
「もちろんよ。」
と言い、毛利さんは私に考える時間をくれた。
・・・ふむ。さて、受けるか受けないかですが、どうしましょう?
私が受けないとなると、毛利さんは他の伝手を探すんですよね。その伝手もほとんど使ってしまったわけですし、一から探すことになる、ということですよね。きっと探せば見つかりますよ、なんて言葉を安易にかけるわけにはいきません。となると、他の案を提案する方がいいでしょう。私の他に適任者がいれば、私に頼む理由もなくなりますし。かといって、私の知り合いに、プロのピアニストなんていませんし。となると、ピアノを少しでも弾ける人に頼みますか。…いえ、毛利さんが求めているのは、プロと遜色ない技術もつピアニスト。であれば、ピアノを少しかじった程度ですと、毛利さんのおめがねにかないませんね。
となると、私が受ける、と言った場合、毛利さんにとっては一番喜ばしい結果になるんですよね。となると、私のメリットが無いんですよね。最も、メリットの有無でこれまで行動してきたことなんてほとんどないのですが。菊池先輩や工藤先輩に対する恩を返そうと必死にお願いを聞き、全力で事案解決に励んでいたんですよね。
・・・いや、待てよ?これはもしかしたら、お二人に恩、お礼をするいい機会になるかもしれません。確か先ほど、工藤先輩は私の演奏のことを褒めて頂きました。私の個人的意見はともかく、工藤先輩が喜んでいただけるのであれば、喜んで受けるとしましょう。
「…菊池先輩は、私の演奏を聞きたいですか?」
私は菊池先輩に聞いてみる。菊池先輩は、私が多大な恩を感じている一人です。であれば、この機会にお礼と称した演奏を、菊池先輩に聞いてほしいですね。自分からは恥ずかしくて言えませんけど。
「そうね。優君の演奏姿。想像するだけでうっとりしちゃうわぁ♪」
…菊池先輩は私の演奏を聞きたい、という解釈でいいんですよね。間違っていなければ、ですが。
「工藤先輩はどうですか?」
「俺か?」
「はい。」
工藤先輩にも、菊池先輩と同じくらい恩を感じている先輩の一人です。この先輩にも、お礼と称した演奏を聞かせたいです。工藤先輩が聞きたいのであれば、私は…、
「そうだな…。優の頑張る姿は、見てみたい、かな?」
と、言い終えた瞬間、
「へぇ~。あんたが酒以外に興味を持つなんてね。」
「…おい。俺がこんなこと言っちゃ駄目かよ。」
「べぇつにに~。」
「・・・仲、いいみたいね。」
「そうですね。あのお二方は特にそうです。」
「それで、決まった?」
「…最後に、そのイベントの日にち等の情報を教えてくれませんか?」
「ええ。」
そう言い、毛利さんはどこか別の場所へ向かった。おそらく、毛利さんが出るべきだったイベントに関する詳細な情報を持ってくるのでしょう。
「それで優。この件はどうするつもりだ?」
工藤先輩の問いに私は答え悩みます。菊池先輩も私を見てきます。視線が私に集中すると、少しだけ緊張します。
「…日にちと時間によります。」
「それはつまり、空いていたら出る、ということ?」
菊池先輩の問いに、
「…はい。」
私は、聞いてきた菊池先輩の目を見て答える。
「…そう。」
菊池先輩は納得したのか、それ以上聞くことはしなかった。工藤先輩も同様の様子で、出された水を一口飲み、喉を潤す。
少し無言の時間が流れると、
「お待たせ。」
毛利さんがある紙をもって戻ってきた。
「いえ。それよりその紙に?」
「ええ。今回、優ちゃんに出て欲しいイベントの内容よ。」
「「「・・・。」」」
私達3人はその紙を見てみる。どうやら、何かのコンサート?にでるみたいですね。複数人の全身が紙に載っていますね。この人達は…何でしたっけ?何か…楽器?を持っていますね。見たところ、数種類の楽器が見られます。その中の一人が、見覚えある、というより、目の前にある人と同じ顔をしている。その人は、今着ている私服ではなく、ドレス姿で今以上におめかししている毛利さんである。
「…これ、毛利さんですよね?」
私は、紙に掲載されている毛利さんを指差す。この人、で合っていますよね?間違っていないですよね?そんなドキドキが胸の内に響く。
「ええ。どうしてもというから撮ったのよ。怪我前に撮っておいてよかったわ。」
と、笑顔を向けてくれた。良かった。人違いでなくてよかったです。
「それで、ここに日時が書かれているのよ。」
と、毛利さんが指差してくれた。
・・・あれ?確かこの日って…?
「えっと…平日だけど大丈夫?」
「ちょっと待って下さい。」
私は常に携帯している手帳を取り出し、予定を確認する。…やはり、私が予想していた通りでしたか。
「…これって確か、途中で小学生が歌いませんか?」
「え?そうよ、確か午前中、小学生が歌うって言っていたけど…え?」
「その学校の名前、覚えています?」
「確か…、」
「宝鳥小学校、ですよね?」
「ええ。そんな名前だったわね。あれ?でも何で知って、まさか?」
「ええ。私はその学校に通っている生徒です。」
「え?ええ??えええ!!??」
・・・?どうしてそんなに毛利さんは驚いているのでしょうか?
「どうかしましたか?」
「…え?本当に小学生なの?幼稚園生じゃなくて?」
「はぐぅ!?」
まさかの精神攻撃がぁ!!思わず眩んでしまいましたが、しかたがないですよね。
「…あれ?でも確か前、音楽室の話はしたかと思うのだが?」
「ええ。でも、幼稚園の、かと思ったわ。年齢については聞いていなかったし。さらにいえば、小学生なら聞いたことがあるような曲を知らなかったし。」
…確かに。そういえば年齢の話はしていませんでしたね。とはいえ、まさか私のことを幼稚園生だと思っていたのですか。曲の知識に関しては…すみません。単純に覚える必要がないと思い、勉強しませんでした。なので知らなくても仕方がないです。仕方がない、ですよね?
「私は、小学6年生です。」
「え?小学1年じゃなくて?」
「ぐうぅ!?そ、そうです…。」
毛利さんからの連続精神攻撃がきついです…。
「悪いな。優は身長にコンプレックスを感じているんだ。理由は…言わなくていいよな?」
「うん。優ちゃん、ごめんね?」
「…いえ、問題ないので気にしないでください。」
そうです。まだ数回しか会っていない方に期待していたことが間違いだったのです。私がどんなに大人っぽく振る舞おうとも、身長は不変ですので、どうしても幼稚にみえてしまうんですよね。…つい身長は不変、なんて考えてしまいましたが、伸びますよね?身長は伸びますよね?
「優君が悶えている姿も素敵♪」
…菊池先輩は人の家の中でも通常運転なのですね。ほんと、私に優しいのか厳しいのか分かりません。
「…あ、ごめん。話が逸れちゃったわね。確か、優ちゃんの学校のイベントと私のイベントが被っている、ということでいいのかしら?」
「…はい。」
私はたてなおし、話を再開させる。
「ですが、私は学校の方に出るつもりはありません。」
「ええ!?でも…、」
毛利さんは菊池先輩と工藤先輩を見る。
「「・・・。」」
二人は、何も言わなかった。現実逃避している、というより、私の意見を待っているように見える。私の主観なので、正解は分かりませんが。
「…それじゃあ、出て、くれる?」
と、毛利さんは控えめに聞いてきた。おそらく、二人の行いで何かを察したのでしょう。かなり遠慮気味に聞いてきました。ですが、それでもお願いをしてくるあたり、相当切羽詰まっているのでしょう。それか、毛利さんは自分勝手、ということですが、これまでの行動でその可能性はないですね。
さて、日時の方も問題ないことですし…あ!?肝心なことを聞き忘れていました。
「私にして、後悔しませんか?」
これは最終確認だ。気持ち等の精神論で全てを決めて欲しくない。もちろん気持ちは大事ですが、気持ちとは別の確固たるなにかが必須でしょう。今回で言えば、イベントを成功させるだけの演奏力があるかどうか。もしくはその境地までいくことができるかどうか。音楽に関し、私は無知なので、毛利さんの視点から一言言ってほしいです。私にできるかどうか。私にして後悔しないかどうか。
「ええ。私は、優ちゃん以上に最適な人はいないと断言できるわ。」
私はその一言をいただき、
「…分かりました。でしたら、受けます。」
一応、菊地先輩と工藤先輩を見る。
「「・・・。」」
どうやら、反対意見はないみたいです。気がかりなことがあるとすれば、無事にイベントを成功させることが出来るのか。そして、学校にはどう報告するか、でしょう。ま、学校には予定が入ったので当日休むことを前もって言っておけばいいでしょう。
「あ、出るにあたって、必須事項があるのですが、いいですか?」
「?なあに?」
毛利さんは嬉しそうに返事をする。
「もしかしたら、同年代の方に見られる可能性があるため、変装をしたいのですが、よろしいですか?」
「それはいいけど、するの?」
「え?しますけど?」
何故少し残念そうな声を出すのでしょう?
「…そのままでいいのに。」
なんか聞こえましたが聞き取れませんでした。何を言ったのでしょう?
「後、私が…、」
そういえば、私は何の曲を弾くのでしょう?そういえば、そういった情報を一切把握していませんでした。自分も結構迂闊な者です。ですが、こればっかりは慣れていないので、仕方がないと思うしかないでしょう。
「?どうかした?」
「えっと…、私がそのイベントで弾く曲は何ですか?」
「ああ。それはね、前弾いた曲なの。」
「…あの曲ですか?」
「ええ。何でも、プロがやるとどういう風になるのか、という意味合いをこめてやるそうだよ。」
「なるほど。」
そんな場に私を出させていただくのは申し訳なく感じてしまいますが、受けたからには全力で、弾けるように努力いたしましょう。
「分かりました。でしたら今の私がするべきことは、あの曲を毛利さんのように弾けるようになること、ですね?」
「ええ。だから、一緒に頑張ろうね。もちろん、私が教えるつもりだから安心してね。」
「はい、よろしくお願いいたします。」
私は頭を下げる。協力関係になった以上、これから仲良くする必要がありますね。別に今の今まで仲が悪い、というわけじゃないんですけどね。
「あ、手帳にメモしてもいいですか?」
こういう重要なことはメモしておかないと、ですよね。忘れでもしたら大変なことになること確定ですしね。
「う、うん。いいけど…、」
「?ありがとうございます。」
なんか、毛利さんの反応が微妙な気がしますが、気にしないことにしましょう。きちんとメモして、と。
「それじゃあ、もっと細かい話をしてもいいか?」
ここで今まで黙っていた工藤先輩が声を出す。細かい話とは一体…?
「そういうことなら、私も話に混ざろうかしら。」
「でしたら私も…、」
「あ、優ちゃんはいいのよ。少し休憩していてね。」
「…分かりました。」
大人の会話であるなら仕方がりません。大人しく待つとしましょう。ちょっと寂しい…いえ!こんな感情を抱いてはいけません!ここは独りでも大人しく待つのが…、
「あ、待ち時間にこれどうぞ。」
と、毛利さんがとある物体をテーブルに置く。その物体は、
「これ、食べていいんですか!?」
「い、いいわよ。元々そのつもりで買ってきたわけだしね。」
「ありがとうございます!!」
私は置かれた物体、アイスに手を向かわせ、露出させる。おお!綺麗な白をしていますね!バニラ、というには白過ぎますし、何味なのでしょうか!?
「本当に優ちゃんはアイス大好きなんだね。」
「ああ。手間をかけさせて悪いな。ちゃんと金は払うからな。」
「それは別にいいわ。それより、工藤君が言っていた通り、優ちゃんは本当にアイスが大好きなんだね。」
「ああ。優の数少ない好きな物だ。」
さっそく一口食べて…は!?
「これって私一人で食べていいですか?」
一応確認しなくては、ですよね。もしかしたら、私と菊池先輩、工藤先輩の3人で分け合う用に買ってきたのかもしれないですし。…本当は私が独占して食べたいですけど。
「ああ、うん。それは優ちゃん一人で食べていいよ。」
「ありがとうございます!!」
やった!これで私が一人でアイスを食べられる♪さっそく一口…おお!これはヨーグルト味ですね!爽やかな味が口いっぱいに広がりますね♪強い甘みの後に酸味が広がることで、口の中がさっぱりします。これは足早に食べ終えてしまいそうです。ですが、じっくりと味わいたいので、気を付けて食べないと、ですね!ああ~。こんな美味しいアイスを食べられるなんて、さいこ~♪♪♪私は幸せの雰囲気を無意識に出しながら、アイスを一口一口噛みしめて楽しんだ。
アイスを食べ終え、ふと菊池先輩の方を向いてみると、
「は~。優君がアイスを食べる姿って素敵♪十年だって見飽きないわ。」
「おう。アイスを美味しく食べていたようでよかったよ。」
「優ちゃんも、あんな子供らしい顔をするのね。年相応見た目相応だったわ。」
…なんだか恥ずかしいです。
「さて、さっき話していたこと優に話すか。」
あ、次のアイスは苦みを加えた抹茶味とか、ビターなチョコ味も…て、今はアイスの話じゃありませんでした!今はピアノのイベントについてのことですよね。きちんと頭を切り替えませんと!
それで、工藤先輩から話を聞いた。
まずは練習時間についてだ。
練習時間は主に金・土・日の3日に集中的に行うそうだ。後の平日は自主練、ということらしい。練習内容は、以前自身が撮っていた動画を見、それを参考にして毛利さんの伴奏スタイルを完全コピーして欲しい、とのこと。イベント当日は、朝の内に会場入りして、その後は着替えたり、リハーサルをしたりするらしい。そして、午後の2時ごろに出番があるらしい。
練習時間に関しては、何も言う事がありません。むしろ、私に配慮しての日にちですね。これは工藤先輩、菊池先輩が一枚噛んでいる事間違いなしですね。練習内容については…できれば動画ではなく生で見たかったのですが、これは妥協するしか無さそうです。むしろ、動画があることに感謝するべきでしょう。イベント当日に関しては、毛利さんも入ることになっているので、毛利さんが色々と裏方をやってくれるとのこと。でしたら、当日のことはあまりきにしなくてよさそうです。これで演奏に心置きなく集中できるというものです。
後気になった事は、代理の人に関する説明に関し、どのように説明すればいいか、という相談をされた。つまり、私の簡単な自己PRを教えて欲しい、というところでしょう。と言われましても、音楽面は無知ですので、気の利いた自己PRを考えるのは難しいのですが…。え?そんな考えなくていいんですか?でしたら、
「身長が小さい早乙女優です。小さくてもピアノは届きますので、そこは安心してください。」
と、ちょっと自虐を入れた即席自己PR文を言ってみたら、
「「「・・・。」」」
大人達の時間が止まり、
「…優君?そういう自虐は親しい人にしか通じないのよ?」
と、悲しそうな目で言われてしまいました。…よほど自虐がひどかったのか。もしくは、自虐を言った時の私の顔がひどかったのでしょう。
「…そんなことを言うくらいなら、普通に挨拶すればいいんじゃないか?」
結局、普通に挨拶することになった。そういえば、変装する際の名前も考えなくてはなりませんね。名前はどうしますか?と相談してみたところ、
「苗字は毛利の子供、ということにして毛利。名前は酒の名前から考えてみてはどうだ?」
と、工藤先輩は笑顔交じりに言われた。例えば、毛利ジン、毛利ウォッカ、毛利バーボン、といったところでしょうか?私が名前を考えていると、
「そんなの駄目よ!私結婚していないし、こんなネタに走ったような名前、すぐにばれるわ!」
この毛利さんの発言に、菊池先輩も頷いていた。確かに、日本人でウォッカやバーボンは聞いたことありませんが、ジンくらいならいいのでは?と考えてしまう私はおかしいのでしょうか?それにネタ?一体みなさんは何を言っているのでしょうか?とにかく、他の案を考えなくてはなりませんね。
「無難に、佐藤花、でいいんじゃない?」
結果、毛利さんの案により、イベント当日は佐藤花と名乗ることとなった。そしたら工藤先輩は、「良かったな。これで優も刑事だな!」と、背中を軽く叩かれました。それより刑事?本当に何のことを言っているのでしょうかね。
こうして、私は合唱コンクールの日に、プロ代理で伴奏をすることとなった。
話し合いが無事終わり、私達は帰宅するため、車に乗ろうとしていた。最近気温が下がり、長袖必須になりましたね。そんな中、わざわざ外に出て見送ってくれるなんて、そこまで気を遣わなくてもいいですのに…。
「じゃあ今日はこれで終わりだけど、明日からよろしくね、優ちゃん。」
「・・・。」
…そういえば、気になることが、1つ、あるんですよね。
「?どうしたの?」
「いえ。ずっと気になっていたのですが、その呼び方なのですが、」
「?優ちゃん、ていう呼び方のこと?」
「はい。」
そういえば、似たような感覚を以前にも感じたことがありましたね。確か、桐谷先輩の時、でしたね。
「もしかして。もしかしてですが、私の性別を聞いてもいいですか?」
「?そんなの女の子じゃないの?」
「!?」
と、首をかしげながら言われた。
「ぷ♪」
…工藤先輩。このタイミングで吹くのは、悪意がありませんか?
「やっぱり優君はこういう運命なのよね~♪」
と、菊池先輩は私の顔を見てうっとりし始める。…このお二人、私のことをフォローする気はないようですね。菊池先輩には最初から期待はしていませんでしたが。
「…私、男ですよ?」
「・・・え?」
毛利さんは少し固まってから、
「またまた。そうやって嘘ついて大人をからかおうとしているんでしょ~?優ちゃんってお茶目ね~♪」
と、笑顔で言い返された。…もしかしなくとも、私の発言を信じていませんね。何故でしょう。思い当たる節は…もしかして、私のことを“私。“と呼んでいるので、勘違いしているのかもしれません。一人称が私の男性って少ないイメージがありますからね。
「・・・。」
私が無言で毛利さんを見ていると、次第に毛利さんから笑顔が少なくなっていき、
「・・・もしかして、本当、なの?」
と、恐る恐る聞いてきた。
「はい。私は男の子です。」
「・・・。」
毛利さんは無言で工藤先輩を見る。
「…見た目からして信じるのは無理だと思うが、優が言っていることは本当だぞ?」
そう工藤先輩が言うと、
「・・・。」
どうやらようやく信じてもらえたみたいで、顔が若干青くなっていた。寒さによって、ではないでしょうね。確実に驚いての反応ですね。
「だってその服、どう見ても女物の服じゃない?」
「・・・そうですね。」
「どうして着ているの?」
「…菊池先輩の計らいで…、」
「…ああ。優ちゃんも苦労しているのね。」
なんか、哀れまれてしまいました。初対面の方にこんな反応をさせるなんて…。それほど、菊池先輩の言動は常軌を逸しているのでしょう。そして、哀れみの目を向けられても一切気にしない菊池先輩はいつも通りですね。
「それにしても、本当によく似合っているわね。なんか、性別を超えた可愛さを感じるわ。」
「褒めていただきありがとうございます。」
と、建て前を言う。本当はこんなこと言われたくないんですけどね。
「それじゃあ改めまして、明日からよろしくお願いいたします。」
「…うん。」
なんか浮かない顔をしていますが、時間が解決してくれると期待しましょう。こればっかりは、私ができることなんてありませんし。
「それではまた明日。」
「ええ。」
こうして私は、毛利さんの自宅を後にした。
さ、来月の頭のイベントを成功させるため、菊池先輩や工藤先輩に私の伴奏を聞かせるために頑張りますか!
次回予告
『小学生達の合唱練習生活』
早乙女優が、毛利蓮華のお願いを聞いたころ、小学校では合唱コンクールの練習を行っていた。一方、女子小学生モデルの潮田詩織は模擬テストの結果を閲覧していた。
こんな感じの次回予告となりましたが、どうでしょうか?




