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小さな会社員の鍵盤楽器教室生活

 日にちが経過し、今日は金曜日。

「うぅ…。優君には悪いけど、今から接待に、行ってくるわ。」

 と、ハンカチを目元に当てつつ話しかける。何故そこまで?と考えてしまいますが、深く考えないようにしましょう。まったく、菊池先輩は何を考えているのやら…。

「では、今日はこれで失礼します。お疲れ様でした。」

「あれ?優さん、今日は早いですね。何かあるのですか?」

「はい。ちょっと、芸術の秋を体験しようと思いましてね。」

 これで伝わる…わけないですね。桐谷先輩はちょっと困った顔していますし。

「…どういうことだ?」

 話を聞いていたのか、橘先輩も聞いてきました。ま、これで分かる方がおかしいですよね。私は詳細な説明を二人にした。

「…というわけなので、今日は定時に上がらせていただきますね。」

「そうですか。それは是非とも堪能していってくださいね!」

「はい!それでは失礼します。」

「優―?そろそろ行くぞー。」

「あ、はい。今行きます。それでは。」

 私は二人にお辞儀をし、この場を後にした。

「いいなー。私も秋を堪能したいなー。」

「…いい落ち葉狩りスポットなら知っているが、後で一緒に行くか?」

 橘は桐谷に話しかける。一瞬、桐谷は、橘が話しかけたことに驚いたが、

「はい!その時はよろしくお願いいします!」

 後日、桐谷と橘は二人で落ち葉狩りに出かけたのだが、それは別の話で。


 私は、工藤先輩が運転する車に乗り、揺られること一時間未満。

 着いた場所は、とある一軒家の前だった。ピアノ教室、というからには、広い場所を想定していたのですが、思ったより普通の一軒家なので、そこに意外性を感じた。中は防音仕様なのでしょう。それに、この家だけ、他の家より物理的距離があるように見えます。このことも、秋のピアノ教室を開ける要因なのでしょうか?周りの騒音を気にせず家のことが出来る、というのは確かに魅力的ではあります。

「…ここで合っているな。入るぞ。」

「はい。」

 運転中に聞いた話ですと、何でもここで秋のピアノ教室をする先生と工藤先輩は同級生らしい。だから工藤先輩にも声がかかったんだとか。工藤先輩は、私に参加させるためにその人のお誘いを受けたのでしょう。なんだか、工藤先輩に手間をかけてしまって申し訳ない気持ちになってしまいそうですが、工藤先輩はそんなこと、気にもしていないのでしょう。ほんと、私に甘い気がします。気のせいかもしれませんが。

 工藤先輩がブザーを鳴らし、数分経つと、女の人が家から出てきた。そういえば、こんな時間帯に来てしまって良かったのでしょうか。そこまで遅くない時間帯ですが、外はもう暗くなり、電灯がなければ数十メートル先の視界が不安定になっていたでしょう。

「いらっしゃい。久々だね、名探偵君?」

「その呼び名で呼ぶなって何度も言っているだろう、空手家さん?」

「そっちこそ相変わらずね。それでそっちの子が例の?」

「ああ。」

 と、二人は私に視線を送る。ここは自己紹介をするのが最善でしょう。

「初めまして。早乙女優と申します。今日はよろしくお願いいたします。」

 これで挨拶は大丈夫でしょうか?頭も下げましたし、無礼を働いてはいないと思います。これが無礼であるとすれば、挨拶の仕方を改めないとなりません。

「こちらこそ初めまして。私は毛利(もうり)蓮華(れんげ)。今日はよろしくね。」

 こちらの女性、毛利さんは笑顔を私に向け、手を差し伸べてきた。

「こちらこそです。」

 私は毛利さんの手を取り、握手を交わす。

 握手を数秒した後、私達は自然と手を放し、

「それじゃあ、部屋に案内するわ。」

 こうして私と工藤先輩は部屋に案内された。

 ・・・それにしても、名探偵と空手家、とは一体何の事なのでしょうか?何かの暗号?それとも、二人にしか通じない合言葉?みたいなものでしょうか?いずれにしても、二人の仲はかなりいいものなのでしょう。そう思いつつ、私は毛利さんの案内を聞いた。

 それにしても、一軒家とはこういうものなのでしょうか。私は一軒家に住んだことがないので分かりませんが、音楽雑誌が至る所に置いてあった。これが一軒家の特徴なのでしょうか。それとも、この人の家だから、なのでしょうか。そういえば、玄関は綺麗に清掃されていましたが、ちらっと見えてしまったリビングの方は、玄関と比較すると、あまり清掃されていないように見えましたね。あんまり人の家を観察するのは良くないことなのでしょうが、ついつい見てしまいます。こんな雑念なんて捨ててしまいましょう。

 着いた場所は、大きな部屋だった。その中央には…なんでしょう?大きな何かがありますね。学校でも一度見たような見ていないような…?そう言えば、ピアノに関する知識が一切ありませんでした。ピアノ教室だというのに。私はこの日まで一体何をしていたのでしょう。ですが、過去のことについて後悔してもしかたがありません。今は正直に聞くとしましょう。

「工藤先輩。あの中央に置いてある…あれは何ですか?」

 今更ですが、あれは物なのでしょうか?ピアノを見たことがないので何とも言えませんが、あれがもしかしてピアノ、なのでしょうか?やはり、事前に調べておくべきでしたね。

「ん?ああそうだぞ。優は初めて見るのか?」

「そう、ですね。初めて見ました。」

 へぇ~。これがピアノですか。置く場所に困りそうな大きさですね。

「音楽室にも置いてあると思うだが、見たことなかったのか?」

「そうですね。音楽室にも行ったことありませんので、見ていないと思います。」

 もしかすると、既に何度か見ていたが、記憶に残っていなかっただけかもしれません。

「さて、え~っと、君は初めてなのかな?」

「???」

 始めてとは、一体どういう意味なのでしょうか?これを見ることでしょうか?

「はい、初めてです。」

「そう。なら、まずあたしが弾いてみるから、聞いてみてね。」

「はい。」

 工藤先輩は口を挟むつもりがないのか、少し離れた距離にある椅子に座り、ただ私を見ているだけであった。

 そして、毛利さんは曲を弾き始めた。


 その曲は、私には聞いたことがないのですが、何度も聞いたことがあるような懐かしさを感じます。私、こういった演奏を聞くこと事態初めてですのに。耳には子守唄のような心地よさを感じます。思わず目を閉じ、耳だけで聞きたいという潜在意識が強く出てしまいます。たまにデパートやスーパー等で流れる音楽とは一線を越えるものです。このような歌を、私はまだ聞いたことが無かったのですね。なんだか、人生を少し損していた気持ちになってしまいます。それと同時に、何度も聞きたいという欲求も発生しそうで少し複雑です。これを機に、自分自身が我が儘にならないよう自律しないとなりません。ですが、そう考えてみたものの、やはり、この曲は素晴らしいです。


 私が聞き入っていると、曲が終わったのか、演奏が終わる。

「…うんうん。やっぱプロのピアニストは違うな。」

 工藤先輩はそう呟きつつ、頷く。なるほど、この方はこれで生活しているのですか。でしたら、納得の腕前です。

「どう?私が弾いた曲は?」

「はい。とても、とてもよかったと思います。」

 運動会でのあの痛みなんかどうでもいいくらいには良い曲だったと思います。あの時の痛みを軽々と超える驚きでした。さすが、プロの方です。

「それは良かった。ちなみにだけど、さっき私が弾いた曲、知っているわよね?」

「…はい?」

 さっき聞かされた曲が私の知っている曲、だったのですか?全然聞いたことがないのですが。

 よく考えてみれば、デパートやスーパー等で流れている曲も全部知らないんですよね。もっと考えると、私が知っている曲ってありましたっけ?曲に関する知識が全くないですね。そういう方面に関する勉強は一切行っていなかったので、その罰が今来ている、ということでしょうか。仕事に関係ないと思い、見向きもしなかったのが仇になるとは思いもしませんでした。

「…え?」

 私の反応に毛利さんは疑問を抱いているようです。分からなくもないですが、知らないものは知りませんし、どうすればいいのでしょう?

「ちょっといいか?」

「え?」

「…いいけど、どうしたの?」

「ちょっと優と話を、な。」

 と言い、私を手招きした。私は工藤先輩の手招きに従い、移動する。

「どうしました?」

「優。もしかしてだけど、さっきの曲、知らなかったのか?」

「はい。今日初めて聞きました。それがどうかなさいましたか?」

 工藤先輩には誤魔化しが効くとは思えませんし、正直に話しました。話したところ、

「小学生の時、散々歌わされる歌なんだけどなぁ…。」

 と、困ったような顔をされてしまった。どうやら先ほどの曲は知っていて当然の曲だったようです。

「なぁ?優はこの曲、知っているか?」

 と、ある文字列を見せられた。おそらく、曲の名前だと思うのですが、心当たりが一切感じられません。私は無言で首を横に振る。すると、

「なら、知っている曲はあるか?何でも一つ書いてみてくれ。」

 と、メモ帳とペンを渡してくれた。私が知っている曲、ですか…。私、そういったものは全く知らないんですよね…。嘘を書いてもすぐにばれること間違いなしなので、私はそのままメモ帳とペンを返しました。

「…マジ?」

 工藤先輩は凄く驚いていた。それほど、私は非常識だったのでしょう。今の無知な私では完璧に理解することは出来ませんが。

「はい。」

 それでも私は正直に伝えた。

「…そうか。なんか、悪いな。」

 ・・・?私は、工藤先輩が何故謝るのか分からなかった。

 私は今まで、この演奏を聞いていなかったことを後悔する気も、聞かせてくれなかった人達を妬むつもりもありません。だって、私が自分で不必要だと無意識に判断し、頭にも残さなかったのですから。聞いた今では、過去の自分を恨んでしまいそうになりますが、そんなことをしても時間の無駄なので控えるとしましょう。

 とりあえず、私は、知っている曲がないことを毛利さんに伝えた。

「…ほんとに?」

 最初はすごい驚いていたが、私が毛利さんの目を見ていると、驚いた表情から、

「…そう。それじゃあこれは、あなたが初めて聞いた曲、なのね。」

 と、優しい笑みを私に向けてきた。

「…何か、申し訳ありません。」

 理由は分かりませんが、自分が悪いのだと思った。ここまで他人に気を遣わせたのは、自分が無知なせいだと。私がもっと広い視野で人生を見ていたら、毛利さんにここまで気を遣わせることなんかなかったのに…。そんな風に申し訳なく思ってしまいます。

「だ、大丈夫よ!なんならもう一度聞く?聞くわよね?」

「…はい、お願いします。」

 それから、まったく同じ曲が部屋中に広がり、耳を癒していった。


「…ふぅ。どうだった?」

「…はい。とてもいい曲だったと思います。」

 二回しか聞いていませんが、とても落ち着いて、心が休まるいい曲だと思います。私は工藤先輩にも意見を聞こうと思い、工藤先輩がいる方向に顔を向ける。

「…ん?俺か?ああ、良かったと思うぞ?」

 工藤先輩も楽しんでもらえたみたいでよかったです。私も聞いていていい曲だと何度も思いましたし。もしかして、この曲もそうですが、この曲を弾いている毛利さんの腕がいいから、そう聞こえるのかもしれません。だとするなら、毛利さんの腕も素晴らしいものです。何度言っても足りないくらいです。

「素晴らしい演奏でした。」

「ありがとう。ところで優ちゃんもこのピアノ、弾いてみない?」

「え?私が、ですか?」

 私なんか、とてもあんな風に弾けるはずがありません!ですが、曲のこともまともに知らないことを承知で毛利さんは私に言っているはずです。それなら、私が多少下手でも文句を言われることは無いでしょう。

「それでは、お願いします。」

 私は毛利さんの案に賛同し、ピアノの前に座った。

「?どうしたの?」

「…足が、届きません。」

「あ。」

「ぷ。」

 毛利さんは慌てて椅子の調整をしてくれた。…いつまでも笑わないでくれますかね、工藤先輩。

「はい。」

「ありがとうございます。」

 さて、と。先ほど毛利さんはこれを押して音を出していましたね。

「いい?まずこの白いのが…、」

 と、毛利さんが私に色々教えてくれた。

 だが、

(う~ん…。どうにも覚えづらいです…。)

 どうしても、無意識で仕事と無関係、と位置付けているからでしょうか。なかなか覚えられません。生活のためなら、と自分を律し、家事を菊池先輩から学んでいた頃を思い出します。ですが、人にはやはり向き不向きというものがあるのでしょうか?…こういう言葉で、自分の能力を査定するのはおかしなことです。やはり、出来る限りやってから、ですね。

 そして、

「それじゃあ、簡単なこの曲から弾いてみようか?」

 と、毛利さんはある紙を私に見せてきた。その紙には、何かよく分からない何かが描かれていた。これは一体…?

「…まさかだけど優ちゃん、音符を知らない、なんてことはないよね?」

 おんぷ?それは一体何なんでしょうか?見たところ、何かの暗号?みたいです。これで何が分かるのでしょう?これも、曲に関係するのでしょうか?

「…そう。知らないのね。」

 私の表情を見たのか、若干諦めの雰囲気漂う中、

「それじゃあ、私がさっき弾いた曲を試しに弾く?なんて。」

 と、毛利さんは言ってきた。これはおそらく、冗談で言っているのでしょう。さきほどの演奏は、毛利さんが演奏したからこそ、あそこまで心惹かれる曲となったわけですし。ですが、私もただ単に断る、何て真似は無粋なのかもしれません。私は工藤先輩の方を向き、

「工藤先輩は、私が弾いた曲、聞きたいですか?」

 工藤先輩に尋ねた。他の人に意見を委ねることはあまりしたくありませんが、工藤先輩のためを思ってやれば、いつも以上の力が出せると思い、聞いてみた。

「…ん?まぁ、優が弾いてくれるのであれば、是非、聞いてみたいな。」

 …なるほど。分かりました。

「分かりました。毛利さん、申し訳ありませんが、さきほどの曲をもう一度引いてくれませんか?」

「…え?別にいいけど。」

 と、毛利さんは椅子の調整を始める。

 さて、と。

(昔から、菊池先輩が言っていましたね。)

 確か、技術は目で盗むものだと。技術は聞いて学ぶのではなく、見て盗め、でしたっけ?これを技術と呼べるものかは分かりませんが、工藤先輩のために、精一杯のことをしようと思います。

 さて、

(毛利さんの動きを見逃さないようにしなければ!)

 その後、私は毛利さんの手の動きや足の動きをじっと見続けた。

 どれほど時間が経過した時に、指をどう動かすのか。足はどの頻度で動かしているのか。そもそも、どのように動かしているのか。それらを全部見た。

 そういえば、人をマジマジと見るのは良くないことでしたね。後で謝るとして、今は毛利さんの手の動きや足の動きに集中です。

 こうして、長いような短いような演奏が終わる。

「…ふぅ。こういう緊張感はなかなか味わえないわね。」

「…え?」

 どういう意味でしょう?…あ!?もしかして、私がじっと見つめていたから?

「す、すいません!どうしても必要なことだったので、つい。」

 私は言い訳になっていない言い訳をし、頭を下げる。この瞬間も、さきほどの毛利さんの動きを頭の中で反復させる。

「…ま、ある意味いい練習になったからいいわよ。それで、次は優ちゃんが弾くの?」

「はい。」

 そういえば、先ほどから違和感を覚えるのは気のせいでしょうか?…ま、後で考えるとしましょう。

「それでは、失礼しま…、」

「…?どうしたの?」

「…すいません。椅子の調整の仕方を教えてもらっても…?」

「ああいいわ。これぐらいならいつでもやってあげるわ。」

「あ、ありがとうございます。」

 またも毛利さんに迷惑をかけてしまいました。

 ですが、今は気にしません。この演奏をもって、お礼となるよう、しっかり演奏します、

「では、いきます。」

「ファイト。」

「頑張れよ。」

 さて、みんなの期待に応えられよう、精一杯励みましょう。


 ここは確か…あれ?これはこうでよかったでしたっけ?

 この時は…よし!ここで合っている!

 足も忘れないように、と。

 やばい。指がそろそろ限界、かも…。

 いえ。私だって日頃、タイピングで鍛えているのですから、この程度では…!

 あれ?ここは確か…やばいです。そろそろ記憶が…。

 いえ、諦めてはなりません!自分が今できることを、全身で!

 私は、さきほどの毛利さんの動きを、記憶していた音を、表情を、指の繊細な動きを全身で表現するように弾き続けた。

 

そして、

「・・・はぁーーー。」

 やっと、終わりました。しかし、聞いている分には短く感じましたが、弾いている側としては、かなり長く感じました。それに、かなりの体力を消耗します。これほど消耗するのに、毛利さんは何回も弾くなんて…。私が想定できない以上の努力を日々行っているのでしょう。それなのに、わざわざ自分のために時間を割いていただいたのですね。少し申し訳なく感じてしまいます。それにしても、疲れましたぁ。

 ・・・あれ?二人とも、何故かとても驚いた顔を晒していますね。おそらく、私の演奏があまりにも聞くに堪えなかったので呆れている、といったところでしょう。さきほどの演奏は、毛利さんの演奏と比べ、品質はガクッと落ちていましたからね。

「・・・え?本当に弾いちゃったの?え?」

「いえ弾けていないと思いますよ?」

 毛利さんの演奏にできるだけ近づけたつもりですが、やはり一度や二度では上手くいくはずがありませんね。

「いや、かなり上手く弾けていたと思うぞ?」

「あ、ありがとうございます。」

 お世辞とは言え、嬉しいです。

「工藤先輩、私の演奏はどうでしたか?」

 さきほど感想を聞いたとはいえ、もう一度聞きたいです。私もまだまだ子供ですね。

「…良かったよ。これで満足か?」

 さすがに二度言うことに抵抗があったのでしょうか、そっぽを向かれてしまいました。もしかしたら、私が変に期待しすぎたからかもしれません。後悔はないですけど。

「・・・え?本当に弾いたの?弾けたの?」

 未だに毛利さんは頭の整理が追い付いていないみたいだ。それほど、私の演奏がひどかったのでしょう。プロの方からすれば、私の猿真似演奏なんて鼻で笑って、“うんうん、よくできた、よくできた。”と、心にも思っていないことを言うくらいのクオリティーでしょう。私も自分で弾いてみて、毛利さんの演奏と比べてまだまだだと思いましたし。それに、私は将来、ピアノ関係に進むつもりは全くないので、これぐらいでも満足なのですが。

「…ねぇ?将来、私と組んでみない?」

 なんか、誘われてしまった。まぁ、冗談の類なのでしょう。

「冗談でもそういうことは滅多に言わない方がいいですよ?ついつい本気になってしますよ?」

「本気で言っているのだけど…。」

 本気で?私程度の演奏を出来る人なんてどこにでもいるでしょうに。

「何故そんなに私を誘うのでしょう?」

 そういえば、今日初めて会ったんですよね。そんな人と将来、一緒に仕事を組むことなんて出来るのでしょうか。

「あなたの成長度に大きく期待しているの。」

「と、言われましても…、」

 私の成長度なんて期待されていても困るのですが…。今の私でさえギリギリでしたのに。

「でもあなた、今日初めてピアノに触ってここまで出来たんでしょう?なら将来、トップピアニストになれるわよ!」

 と、意識高々に言ってきた。確かに、今日初めてピアノに触りましたが、そこまででしょうか?ただ、毛利さんの真似をしただけなのに。しかも、かなりロークオリティーだったですし。いや、先ほど毛利さんはこう言っていましたね。

“あなたの成長度に大きく期待しているの。”

 でしたね。となると、今の私の実力ではなく、将来を見越してのスカウト、と判断するべきでしょう。こういう時、どう返事すればいいのかよいのでしょう?ここは工藤先輩の意見を聞かず、自分で考え、判断するべきでしょう。何せ、自分の将来に関わることですから。こういうことくらいは自分で考えませんとね。とは言いつつも、もう考えは決まっているんですよね。後は、どう返答するか、だけなのですが、どう言えば…?

 …あ。私が考えていると、工藤先輩と目が合ってしまった。咄嗟に目をそらしてしまいましたが、ばれてしまったでしょうか?いや、何がばれたというのでしょう。そもそも、何も後ろめたいことはしていないので、堂々していればいいんです。

「悪いな。今日はこいつに体験だけさせてやりたくて来させたんだ。だから勧誘とかはまた別の機会に頼む。」

 と、工藤先輩は私の頭に手を置き、毛利さんに話をしてくれた。ああ。私が言おうとしていたのに…。ですが、これで良かったと思う自分もいるわけで…。なんだか最近、菊池先輩や工藤先輩に甘えてばかりな気がしてなりません。こんなことではいけないのに…。

「今日のお話は大変ありがたいですが、今回はお断りさせていただきます。」

 本当は真っ先に言うべきでしたのに、工藤先輩に先に言わせてしまい、申し訳ないです。

「ううん。私も別にいいわ。だけど、気が変わったらいつでも言ってね。いつでも優ちゃんを歓迎するから。」

 と、手を差し伸べられた。私は軽く息を整え、

「いえ。こちらこそ、本日はありがとうございました。」

 こうして、私は毛利さんと握りを交わし、家を後にした。

 帰りの車中。

「…工藤先輩。」

「…ん、なんだ?」

「さきほどはすいませんでした。」

「さきほど?一体何のことだ?」

「工藤先輩に言い辛いことを言わせてしまったことです。」

「…?どのことだ?皆目見当もつかないのだが?」

「さきほどのことです。」

「…もしかして、勧誘されたときのことか?」

「はい。」

 本当なら、私のことですから、私が一番に言わなくてはならなかったのに、工藤先輩に嫌な役を押し付けてしまいました。本来、自分の事は自分で片を付けるべきでしたのに、工藤先輩に尻ぬぐいさせてしまったみたいでほんと、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

「優。お前はもっと、俺達に頼ることを覚えるべきだぞ?」

「ですが…、」

 これでは、そこらに捨ててあるゴミと一緒です。あっても何も必要性を感じない、ただの穀潰しと何も変わりません!

「そろそろ、自然に甘えることを覚えて欲しいんだよ。俺を頼って欲しいんだ。」

「・・・。」

 そんなことを言われても困ります。

 だって、仕事ではかなり頼っていますし、日常生活でもこれ以上ないくらい豊かな生活を送らせてもらっています。これ以上、何を求めろというのでしょう?

「…今は分からなくてもいい。だけど、さっき言った俺の言葉は忘れないで欲しい。頼む。」

 と、冗談にも聞こえない声質で言ってきた。私はただ、

「分かり、ました。」

 これ以上、私と工藤先輩の会話は無かった。


 この時、優は気付いていなかった。

 自身が感じていた違和感に。そして、この出来事がまた大きな厄介ごとを運んでくることに。

次回予告

『小さな会社員の密談暴露生活』

 美和との密談を終えた優が社員寮に戻ると、菊地が優を待ち構えていた。その夜、優は菊池と工藤の二人に観念し、これまで美和と行ってきた事を話し始める。


 こんな感じの次回予告となりましたが、どうでしょうか?

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