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酒好き会社員と先生の家庭訪問生活

 とある四月の夕方。

 そこには

「いいじゃない!私がやっても!あなたなんか常にお酒の事ばっか考えている癖に!」

「今はそんなことどうでもいいだろ!これは、優が俺に頼んだことだ!俺がやらなきゃ意味が無いだろ!」

 大声をあげて話し合っている工藤先輩と菊池先輩の姿があった。

 何故、二人がここまで話し込んでいるかというと、

「だから、あなたに優君の保護者なんか務まらないわ!私こそがふさわしいわ!」

「いつも優のことになるとすぐに暴走するお前より、よっぽどましだ!」

 私の家庭訪問についてである。

 ほんとは家庭訪問なんてしてもらいたくないのだが、あの担任の先生が無理矢理日にちと時間を決めてしまい、変更を希望しても、

「もう決定事項なの。あきらめなさい。」

 と、何故か私が都合を合わせなくてはならなくなった。

 幸い、時間は五時前なので良かったのだが、私は保護者に工藤先輩にお願いしようと思い、男子トイレでそのことを話し、

「分かった。」

 と、返事をもらい、とりあえずはホッとしたが、職場に戻ると菊池先輩が仁王立ちで待ち構えていて、

「優君!なんで私に家庭訪問のこと、黙っていたの!?」

 となり、そこから工藤先輩と菊池先輩が話し合っている、というわけだ。


「大体、お前は去年のクリスマスのこと、忘れたわけじゃないだろうな?」

 あー。あのことですか。

「去年のクリスマス?一体何のこと?確かクリスマスで打ち上げして…それだけだったわよね?」

「!!?」

「…もしかして菊池先輩、覚えていませんか?」

 あんな強烈な出来事を忘れるとか…。

「・・・?何かあったかしら?」

「…お前はほんとに…。」

 工藤先輩は呆れていた。

「一体何があったの?」

「優が男に体をぶつけられて胸倉つかまれていた時、お前は何をした?」

「何をって…、普通に、間に入って仲裁しただけよ?それ以外あったかしら?」

「…普通に仲裁しただけで、相手は顔面真っ青な顔をしながら土下座をする勢いで謝ってくるのか?」

「…そうだったかしら?」

 明らかに隠し事をしているのか、菊池先輩は工藤先輩の顔を見ずに横を向く。

「その時、お前は相手にタブレットの画面を見せながら話していたよな?相手の男は、その画面を見た瞬間に顔色が変わった気がするが?」

「…気のせいじゃないかしら?」

 目が泳ぎ始める菊池先輩。

 それにため息をつく工藤先輩。

「…確かに相手が全面的に悪いが、お前はやり過ぎるところがあるから駄目なんだよ。」

「…だって、私の優君があんな最低男に汚されると思うと、いてもたってもいられなくなって…。」

「はぁ…。だから今回は俺が家庭訪問に出る。文句ないな?」

 口答えは許さん!と言わんばかりの眼光で菊池先輩を睨む工藤先輩。

「…分かったわ。今回は私が折れる。でもその代わりにこれを持って行って。」

 と、工藤先輩に何かを手渡す菊池先輩。

 あれは…?

「…ボイスレコーダー、か?」

「ええ。これで会話を録音して、後で私に聞かせて。これが条件よ。」

 一体何に対する条件だろうか。

「…分かった。」

 …ふぅ。

 これで一応、工藤先輩が家庭訪問を受けてくれることになったのかな?

 よかった。

 正直、菊池先輩だと、あの担任の先生に何するか分かったものじゃないからね。

「優く~ん。家庭訪問の事、後でちゃんと聞かせてね?」

「…後で工藤先輩からボイスレコーダー渡されるから、それを聞けばいいのではないですか?」

「私は優君の声を直接聞きたいのよ!」

 だったら、ボイスレコーダーで録音する必要がないのでは?

「それに、ほんとは…(ボソッ)。」

「ん?何か言いました?」

「え?う、ううん、何も言っていないわ!」

「??」

 ま、これで後は家庭訪問のための準備をするだけだね。

 でもその前に、

「今日の分の仕事、やっちゃいましょうか。」

 私はいつもの仕事場につき、作業を続ける。

 作業中、家庭訪問のことで頭が一杯で、

「…おい優。ここ、間違っているぞ?」

「あ!?す、すみません!すぐに直します!」

 いつもより集中出来なかった。

 やっぱり、少し緊張しているのかな?

 そう思ってしまう優であった。



 家庭訪問当日。

 家庭訪問は、優の部屋で行われるので、優はいつもりきれいに掃除をし、

「ここら辺、あんまり臭わないかな?」

 消臭していた。

 普段はここで料理しているので、どうしても魚の焼いた臭い等が残ってしまう。

 一応、普段から臭いを気にしているが、今日はいつもより念入りに消臭した。

 ピンポーン。

「あ、開いていますよ。」

「おう。邪魔するぞ。」

 工藤先輩である。

 家庭訪問までまだ三十分以上あるうえ、昨日、事前に工藤先輩から、

「それじゃ、三十分前に行くから、それで大丈夫か?」

「はい。それで大丈夫だと思います。」

 と話があった。

「…相変わらず、優の部屋は綺麗だな。」

「そうですか?」

 いや、いつもより念入りに掃除したから、そう見えているのかもしれないな。

 優はそう一人で納得して、

「…それで、工藤先輩は大丈夫ですか?」

「…何がだ?」

「何がって、家庭訪問に対する準備とか、あるのではないですか?」

 何を準備するのかまったく分からないけど。

「そうなのか?俺はありのままを話すつもりだが?」

 ブルッ!

 瞬間、全身に悪寒が走る。

「あの、工藤先輩。分かっていると思いますが…。」

 瞬間、肩に何かがのる。

「分かっている。いくら俺でもあの事には一切触れるつもりなんてない。だからそんなに怯えるな。」

「ご、ごめんなさい。迷惑をかけてしまい…。」

 トン。

 私の頭に工藤先輩の手が乗せられる。

「別に迷惑なんて思っちゃいない。だからそんなに頭を下げるな。な?」

「は、はい…。」

 心が軽くなった。

 私は工藤先輩の言葉を聞き、安心したのだと思う。

 そう自己解決し、

「…飲み物飲みます?紅茶、緑茶、コーヒーの三種類ありますけど?」

「…緑茶で頼む。」

「はい!」

 工藤先輩にお茶を入れる。

「それじゃ、家庭訪問、お願いします。」

 私は申し訳なさそうに言った。

 ほんとはこんなこと言える立場じゃないのは分かっている。

 だが、他に頼める人がいなかった。

 本当に…。

「だから、そんな辛そうな顔をするな。後は任せろ。」

「はい。」

 工藤先輩の言葉に、

“私が大人になったら、こんな風に励ますことが出来る大人になりたい。”

 そんなことを思っていた。

 そして優は、この部屋を後にする。


 優の部屋に残された工藤直紀は、

(そういえば、この待ち時間、どうするか考えていなかったな。)

 こういう時ってどうすればいいのか。

 高校生だったときは素数を数えて時間を潰していたかな?

 ゲームでもしようかと思っていたが、優の部屋にゲームがあるとは思えんし。

 それにしても、

「すごい参考書の数だ…。」

 どれもこれも数学、英語等の教材、パソコン使用時のマニュアル、料理本等様々なジャンルの本がある。

 しかも、全ての本に付箋が何枚もついていて、所々汚れている。

「全部読み込んでいるのか…。」

 工藤は優の勤勉さに感心しながら、一冊の本を棚から取ろうとすると、

 ピンポーン。

 ビクゥ!

 いきなりのインターフォンに思わず座り直す工藤。

 そして、

(あ、もしかして、優の担任の先生が来たのか。)

 と思い、座布団から立ち上がり、

「…失礼します。」

「本日はわざわざありがとうございます。」

 と、工藤は営業スマイルを保ちながら言う。

「いえ。これも職務ですから。」

 工藤は担任の先生を居間に案内する。

 心なしか、少し動きがぎこちなかった。



「何もありませんがどうぞ。」

「…はい…。」

 工藤は台所にある緑茶をティーカップに入れ、和菓子と一緒に置く。

(この和菓子、もしかして、優の手作りか?美味そうだな♪)

 と、目の前の和菓子のことを考えながら、

「えーっと、俺は工藤直紀です。優の保護者です。」

「私は早乙女君の担任の()()(ぐち)(はる)と申します。」

 二人は簡単な挨拶を済ませ、

「それで、学校での優はどんなご様子ですか?」

 工藤は話を振る。

 そしてこの時、

「早乙女君はカンニングをするほどの問題児なんですよ。」

 担任、小野口から聞いた言葉は普段の優からはとても考えられない内容だった。



(は?優が、カンニングした、だと!?)

 工藤は優に怒りを覚えていた。

 確かに優は普段から優秀だ。

 その優秀さを学校でもアピールしたかった、ということなのか?

 なんてクズな発想だ!

 後でみっちりと説教せねば!

「…あの、少し落ち着いてもらっていいですか?」

「んん!?いや、すみません…。」

 ここで、工藤は優に対する怒りを剝き出しにしていたことに気づき、少し落ち着く。

 冷静になったところで違和感を覚える。

 優は元々優秀で、社会人としての最低限度の教養は既に身についているので、今更小学校のテストでカンニングするのか、と。

 性格面でも、昔から優の面倒はあの菊池がみていたし、最終的に菊池が、

「この子も立派になってお姉さん、嬉しい!」

 とまで言っていたから、間違いないだろう。

 そんな優がカンニング?

 これは冷静になって聞かないとな。

 工藤は、

「…それで、優がカンニングしたテストと、そう判断なされた理由を聞かせてもらっても?」

「ええ。」

 淡々と問う。

 自分の気持ちと対話しながら。


 担任の小野口さんはとある紙を取り出し、広げる。その紙は、

「これがそのテストです。」

 問題となっているテスト用紙だった。

 そして、

「国語、算数、社会、理科の4科目でカンニングされていますね。」

「な、なるほど…。」

 4教科満点のテスト用紙である。

 小学校でも満点をほとんどとったことがなかった工藤にとって、この光景は目にみはるものがある。

 …カンニングという背景がなければ、だが。

「…それで、優がカンニングした問題はどれですか?」

「全部です。」

「は?」

 工藤はあまりの驚きに、素で返してしまう。

(全部って、全部か!??)

 工藤は改めてテスト用紙に書かれている問題を見る。

 その問題には、記述問題だけでなく、三択問題もある。

 三択問題なら最悪、てきとうにどれか一つでも選べば、正解率は三分の一。

 そんな可能性より、頭いいやつの解答を盗み見ることを選んだってわけか。

 ・・・ん?

 そういえば、頭のいいやつの解答って誰の解答を見たんだ?

 もちろん、カンニングするなら頭のいいやつの解答を盗み見るだろう。

 だが優に、学校に通い始めてから間もない人に、頭のいい人と悪い人の区別がつくのか?

「このテストはいつ、行われたものですか?」

「六年生になってすぐですね。」

 工藤は手帳を開き、

「どの日ですか?」

 と、手帳を見せながら尋ねる。

「…この日です。」

「ありがとうございます。」

 工藤はその日にテストが行われたことをメモしながら、

(本当に六年生になってすぐに行ったのか。)

 そんなことを考える。

 つまり、優は既に頭のいいやつと悪いやつの区別はついていて、その頭のいいやつの解答を盗み見たということか。

 そんなリスクを犯してまで、優はこのテストで満点をとりたかったのか?

 そんなことをすれば、俺達が悲しむってことぐらい分かるはずなのに…。

 一体何故だ?

 …今はカンニングのことは置いておこう。

 それより、

「…優は学校ではどんな風に過ごされていますか?」

「え~とですね…。」

 工藤は普段の学校の様子を聞くため、話を変える。


(ふざけているのか?)

 小野口の話を聞き、最初に抱いた感想がこれである。

 優がカンニング(したかどうか怪しい)したことで周りからは誹謗中傷の嵐。

 それを聞いた優は自ら保健室登校を選択。

 そして今も保健室登校し、反省中?とのことだった。

 そんなことは一言も聞いていなかったので、

(は?は?はぁ!??)

 心の中で叫んでいた。

 

 工藤は優の悪い癖を知っている。

 それは、ストレスを溜め込むこと、である。

 もちろん、人生を生きていくことで必要なストレスもあるだろう。

 そして、優は優秀だが、普通を知らないため、

「これぐらい言われても普通だから我慢するか。」

 と平気で何でも我慢し、ストレスを多量に溜め込んでしまうのだ。

 おかげで何度か病院通いになるほどである。

 その後も何度も優の耳にタコができるほど、俺達の口をすっぱくして伝えていた。

 その努力もあってか、ここ最近はろくな病気もせず、平穏な日々を暮せているのだ。

 だが、

(これは後で優を問い詰めなくてはな。)

 優はお説教コース確定となっていた。

 

 とにかく、工藤は小野口に言われたことを全部メモし、

「…最後に、これまであなたが言ってきたことは全て本当ですか?」

 工藤は確認の意味もこめ、小野口に話を振る。

「…ええ。嘘偽りありません。」

(ちぃ!!)

 工藤は沸き立つ怒りを抑えながら、

「本日は遠いところをわざわざありがとうございました。今後、不貞を働かないよう、きっちり教育していきますので。」

 平謝りしながら言う。

「…ええ。今後の彼に期待します。」

(ちっ。なんだこいつは…。)

 工藤の心の中では、小野口に対して舌打ちしていた。

 そんなこととは知らず、小野口は優の部屋を後にする。

 工藤は小野口が見えなくなるまで、平謝りし続けたが、

(こんな女に頭下げていると思うと気分が悪くなるな。)

 内心、怒りで冷静さを失っていた。



「さて、憂さ晴らしにこの和菓子でも食べるか。」

 担任、小野口が帰った後、工藤は目の前にある一口サイズの和菓子を口に投げ入れる。

「お♪結構美味いな。さすが優だな。」

 和菓子の味に満足しつつ、

「さて、優に会いに行くか。」

 優に会う覚悟を決める。

 さぁて、男同士、腹を割って、話し合おうか!


 一方、腸が煮えくり返るような思いで小野口の話を聞いていた頃、優は、

「あ!?こんなところにもビール缶が!??まったく、工藤先輩はもうちょっとしっかりしてほしいものです。」

 工藤の部屋を掃除していた。

 

 ピンポーン。

「あ。開いています。」

 ガチャ。

 と誰かが入ってくる。

 もちろん誰かというのは、

「どうでした、か…?」

 そこにいるのは工藤先輩ではなく、真っ赤な顔をした般若だった。

 般若は引きつった笑顔で、

「…優?お前、俺に言わなきゃいけないことがあるんじゃないか?」

 その言葉は優にとって、

 “おめぇ、俺に隠し事あるな?全部話せ!!”

 と、軽く脅されているような気がした。

 優は、

「え?な、なんのことです?ニホンゴ、ムズカシイデスネ~。」

 とごまかす。

 もちろん、般若から距離をとりながら、である。

「そうか…それじゃ、このボイスレコーダーは何かな?」

「!!??」

 優はその時、全てを悟った。

 もう、工藤先輩に隠し事は出来ないと。

 学校での出来事がばれているのだと。

 優はガックリと肩を落としながら、

「…えっと…、何から話せばいいでしょう?」

「最初から全部に決まっているだろ!ぜ・ん・ぶ!!!」

「は、はいぃぃぃ!」

 そして優は全部を語った。


 工藤は優の言葉を一言一句聞き逃さず、全て聞いた。

 カンニングはデマだということ。

 家庭科クラブでトラブルを一つ解決したこと。

 保健室登校しているが、保健室の先生によくしてもらっているとのこと。

 その結果、

(やっぱり、カンニングは嘘か。)

 疑惑から確信へと変わった。

 その瞬間、あの小野口に対する憎悪が風船のように膨らむが、

(保健室の先生によくしてもらっているのなら、ひとまずは大丈夫、か。)

 同時に、優が劣悪な環境で押しつぶされていなくて安堵した。

 優は、工藤先輩の安堵した表情を見て、

(よかった。これで怒られることは…。)

 安心しようとした瞬間、

「…それで?なんでこのことを俺達に黙っていたんだ?」

 優の呼吸が一瞬止まる。

 そして、

「えっと、その…先輩方に迷惑をかけたくないと思い、その…。」

「その、なんだ?最後まで聞くから言ってみな。」

「その、黙っていました…。」

「ふんふん、なるほど。優の言いたいことは分かった。」

「それじゃ…!」

 優は一つの希望にすがる。

 これで怒られないと。

 このまま何事も起きずにこの話は終わると。

 だが、

「俺達が昔から言っていたこと、覚えているか?」

「昔から、ですか?」

「そう。何かあったらすぐ相談することだ。社会人にとって、報告・連絡・相談の報連相は常識なんだよ。」

「はぁ…。」

「それで、優は報告を忘れていたわけだが、それについての弁明は、あるか?」

「あ。」

 何事も起きない、なんてことはなかった。

「さ、話し合おうか?」

「は、はい…。」

 こうして、説教(はなしあい)が始まった。


 

「…それじゃ、もう何度も言った気がするが、自分一人で抱え込まず、絶対に!相談するように!」

「はい…。」

 日が落ち、みんな帰路につき始めている中、話し合いという名の説教が終わる。

 その間、優はずっと正座をしながら聞いていた。

「それで、俺からは以上だが、明日は覚悟しておけよ?」

「?何故です?」

「何故って、このことを菊池が知ったら…分かるだろ?」

「ああ!??」

 そうだ。

 このことを菊池先輩が知ったら、何するか分かったものではない。

「ど、どうか!このことは穏便に…!」

「…でも、このボイスレコーダーを渡せば事の全てを知ることになるだろうし。」

「では、そのボイスレコーダーを壊しましょう。」

 そうすれば証拠隠滅出来る!

 うん!最高の案だ!

「おい落ち着け、優!今そんなことすれば、菊池が暴走することくらい分かるだろ!」

「…すいません。ちょっと冷静さを欠けていました。」

 確かに、菊池先輩に黙っていれば、あの手この手で調べまくり、数日にはばれてお仕置きを超えたお仕置きをされるだろう。

 …もう既に体験したからこそ、あんな思いはしたくない。

「…優。お前、死んだ魚のような目になっているが、大丈夫か?」

「別にいいじゃないですか。これぐらい普通ですよ?」

 あの思いをすることに比べたら、死んだ魚のような目になることくらい、どうってことないですよ。

「…とにかく、今日はお前、もう寝たらどうだ?働き疲れた中年男性のような顔つきになっているぞ?後のことは俺が全部やっておくから。」

「…それじゃ、今日はお言葉に甘えて失礼します。お休みなさい。」

「おう。」

 そう言って、優は自分の部屋に戻り、夕飯も食べずに軽くシャワーを浴びて寝た。


 

「さて、と…。」

 工藤も自室に戻る。

「あ?なんか、部屋が綺麗になっているな?…優が掃除やってくれたのか。」

 そう思い、冷蔵庫から缶ビールを取り出そうとした時、

「ん?こんなタッパー、あったか?」

 見慣れないタッパーがあった。

 開けてみると、野菜炒めが入っていた。

「これも優が作ってくれたのか。」

 工藤はその野菜炒めをつまみにしてビールを飲む。

「…一応、連絡だけしておくか。」

 工藤はスマートフォンを取り出し、操作しながらビールを飲む。

「これで何も起きなければいいけどな。」

 その言葉を皮切りにビールを飲み干し、そのまま寝た。



 翌日の早朝。

 いつもは静かなのだが、小さな物音がしていた。

 その物音の正体は、

「…よし、誰もいないな。」

 優である。

 優は誰にも会いたくなかったため、こんな時間に起き、朝の用事を済ませ、誰も来ないうちに社員寮を去ろうとしたが、

「どこ行くの、優君?」

「ひぃぃ!??」

 菊池先輩がいた。

 物陰に隠れていたのか。

「もしかしてと思っていたけど、ほんとに夜逃げみたいなことをするとは…。」

「別に夜逃げをするためじゃありませんよ!?ただちょっと…。」

「…昨日のこと、聞きたいのだけど、いいかしら?」

「!!!?」

 やっぱり昨日のことか。

 あれからずっと寝て、さっき目が覚めてところだったのだが、いつの間に!

 さすが、と言ったところだろうか。

「…すいません。私の口から言う勇気がありません。」

「…そう。分かったわ。」

 あれ?

「今回はやけに素直に引き下がるんですね。」

 いつもはあの手この手で聞き出そうとしているのに。

「…昨晩、“もし優が話す気になれば話を聞いてもいいが、話したくなかったら俺が代わりに話すからそれまで我慢しろ。”ってメールを工藤からもらってね。それで今回はおとなしく工藤の言うことを聞こうと思ってね。」

「…そう、ですか。」

 とりあえず、工藤先輩から伝えてくれえるのならいいかな。

「…優君?顔色悪いわよ?大丈夫?」

「…大丈夫ですよ?」

 まったく。病気なんかかかっている暇なんてないのに。

「優君?まだ早いから寝直して来たら?」

「…はい。」

 私は菊池先輩の悲しそうな顔を見て、何も言えずになってしまう。

 結局私は菊池先輩の言うことに従い、二度寝した。


 出社時刻前、私、工藤先輩、菊池先輩の三人は、会社の会議室を借り、席に座っていた。

 今日の学校は私の体調不良、ということで既に休みにした、と菊池先輩から言われた。

 なんでも、早朝のあの様子では、とても学校に行けないだろうと判断したらしい。

 そんなにひどかったのかな?

「…それで工藤?ちゃんと話してくれるわよね?」

「ああ。そのためにわざわざ仕事前にこの一室を借りたんだからな。」

 と、工藤先輩は席を立ち、ホワイトボードに書き始める。

 今のうちに私もここから去ろう。

「…優君?どこに行くつもり?」

「!??」

 そ、そんな!??

 ばれないようにわざわざ無音で行動していたというのに!

 私はしぶしぶ席に戻り、

「…それじゃ、説明するぞ?…言っておくが菊池。俺の話を全部聞いてから質問しろよ?」

「…分かったから早く話しなさい。」

「こいつは…。」

 そして工藤先輩は話し始めた。

 私は終始肩身が狭い思いだった。



 工藤先輩の話を聞くこと数十分。

 菊池先輩はただ、工藤先輩の話を聞いているだけ、

「!!?…(怒)!」

 …ではなかったらしい。

 確かに、工藤先輩の話には一切口を挟まないものの、完全に、

“私、怒っていますよ!!”

 という顔をしていた。

 工藤先輩もそんな顔の菊池先輩を無視しながら話を続ける。


「…とまぁ、これが全部だ。」

 話が終わるころには、

「・・・。」

 菊池先輩は無表情だった。

 そして、

「…おい?どこに行くつもりだ、菊池?」

「え?決まっているでしょ?その害虫を駆除しに行くの。」

「…具体的に何をするつもりだ?」

「え?そりゃ、相手の全てを亡き者に…。」

「駄目に決まっているだろ!?」

「ちょっと放して!あの害虫を駆除できないじゃない!」

「いいから落ち着けって!!」

 ちょっと修羅場?みたいなことになりました。


 あれから、

「ふぅ~。やっぱ優君の淹れてくれるコーヒーは美味しいわね。」

「だな。なんか落ち着くし。」

「インスタントですけど…。」

 私は二人にコーヒーを淹れて、ひとまず落ち着いてもらうことにした。

 結果は大成功。

 さて、私はここで退散、

「優君?なんで逃げようとするの?話はこれからよ?」

 出来なかった。

 ま、それは無理だよね。

 私は諦めて席に着く。

「…それで?今工藤が話したことは、本当なの?」

「工藤先輩の考えも入っていますが、ほとんどは、そう、です…。」

「そう…。」

「「…。」」

 き、気まずい。

「…それで菊池。お前はこれからどうするつもりだ?」

 ここで工藤先輩が菊池先輩に話を振る。

 よかった。

 これで空気が重たくならずにすみそう。

「それは優君次第かしら。優君が仕返ししたいなら全力で仕返しするし、したくないなら現状維持、かしらね。」

「そうか。それで、優はどうしたい?」

「え?」

 そんな急に振られても困るのですが?

 だけど、

「現状維持でいいですよ!先輩方に迷惑かけられませんから!」

 そう。

 大変お世話になっているこの会社に、これ以上の迷惑はかけられない。

 特にこの二人は、だ。

「…そうか。」

「…分かったわ。」

 …なんか二人とも納得していないような…?

 でも、そう言ってくれるのなら、私としても助かる。

「それじゃあ私はこれで…。」

「待ちなさい。」

 ピク。

「な、なんでしょう?」

 なんかいやな予感が…。

「この件を私に黙っていたことについて、何か言いたいことはあるかしら?」

 と、ニッコリ笑いながら、目が笑っていなかった。

「ちょっとそこに座って私に分かるように説明してね?」

 まだ(せっきょう)は終わっていなかった。

「…だから、優君は今後、私達に何かあったらすぐに報告するように!分かった!??」

「は、はい…。」

 あれからずっとお説法のような話を聞き、縮こまっていた。

 言い訳できる要素もなかったし。

「…さて、そろそろ会社に出勤しなくちゃね。」

「ん?あ、そうだな。もうそんな時間か。」

 なんだかんだで工藤先輩も一緒になって説教始めるし、これで終わりか。

「それじゃ優君。もう今日は帰って寝てきて。」

「え?ええ!??」

 そんな!?私はこんなに元気だというのに!??

「私、今日は会社の手伝いをしようかと…。」

「優君。今日はもう帰って寝なさい。後は私に任せなさい。」

「一応、俺もいるけどな。」

「で、でも…!」

「今朝、あんな顔を見た後じゃ、優君に働け、なんて言えないわ。」

 そんなにひどい顔をしていたのかな?

 でも、これ以上ごねても無意味な気がする。

 菊池先輩の意思は固そうだ。

「…分かりました。今日はもう帰って寝てきます。度々迷惑をかけて…。」

「はいストップ!」

「もががが!??」

 え!??

 工藤先輩が急に口を塞ぐ。

「だから!お前は悪くないって言っているだろうが!」

「そうよ!まったく、どうしてこう腰が低いというか…。」

「す、すいませ…。」

「「だから謝らない!!」」

「ひええぇぇぇ!?」

 もうどうしたら…。

 私は困惑したまま何も言わず、ただ頭を下げ、自分の部屋に戻り、そのまま寝た。


「…行ったか。」

「そう、みたいね…。」

 優が会社を出た後、二人も出社準備を始める。

 といっても、鞄を手に持ち、椅子をしまうことぐらいしかなかったが。

「…昼休みに話がある。悪いが時間をくれねぇか?少しでいい。」

「それってどういう…。」

 菊池は工藤の顔を見て分かった。

 これは真剣な話だと。

 菊池はいつもみたいにふざけた態度をとるのではなく、

「…分かったわ。それじゃ、昼休みに。」

「ああ。またな。」

 そう言って、お互い、職場に向かい、仕事を始める。


 昼休み。

 今朝と同じ会議室を借りた工藤はそこに菊池を招き入れた。

「…わざわざこんなところに呼び出すなんて、一体何の用?」

「…優のことで頼みたいことがある。」

 ピクッ。

 菊池の体が反応する。

「頼みたいこと?」

「そうだ。優のカンニングのこと、お前なら物的証拠を掴めるんじゃないか?」

「…何故あなたがそこまで優君のことを?」

 菊池は聞きたかった。

 そこまで優を気にする理由を。

 本当はある程度察していたが、それでも聞きたかった。

「優のことが心配だからだ。優は絶対、俺達に迷惑が掛からないようにする。だが、それでは優の濡れ衣を晴らすことは出来ない。俺じゃ、出来ないんだ…。」

 工藤は強く拳を握りしめる。

 菊池は、

「…私も気になっていたから調べるつもりよ。だから、あんたがいちいち頼まなくてもよかったのよ。」

「それでも、頼みたかった。俺には、これしか出来ないからな。」

「…今回は優君のことだから承諾したけど、優君のこと以外でこういうこと頼むなら、次はどこぞの探偵事務所に頼みなさいよ?」

「ああ。今度から、そうさせてもらうよ。」

 と、去ろうとする直前、

「ありがとな。」

 と、つぶやくように言ってから、工藤は会議室を去る。

 その様子を見た菊池は、

「せめて、やり終えてから言われたいわね。」

 そんなことをつぶやく。


 その日の深夜。

 菊池はパソコンを立ち上げ、

「さて、調べ始めますか。」

 キーボードに手を置き、音を奏で始める。

 顔は真剣そのものだった。

今月の投稿はこれで終了したいと思います。

続きは来月に期待していてください。

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