小さな会社員の京都出張生活~出発~
翌週は仕事のやり残しがないようきちんと終え、いよいよ出張を明日に控えるこの日。
優は荷物をまとめ始めていた。
「日用品はあっちで買うとして、毛布とかはどうなんだろう?」
持って行った方がいいのかな?
それとも、あっちにあるのだろうか?
そういう所も明日明後日の内に聞いておかなくては!
「ゆ・う・く~ん!!!」
ギュ!
瞬間、背中から感じたことのある柔らかい感触を受け、
「き、菊池先輩!!??」
思わずのけ反ってしまう。
「そうよ。優君に一途なお姫様よ♪」
「…ほんと、何言っているのですか?後、ここは私の部屋ですが?」
どうして私の部屋にいるのでしょうかね。ま、答えは大体分かるけど。
「え?そんなの合鍵に決まっているでしょ?オーナー特権よ!」
菊池先輩は合鍵を見せつけながら言う。
…これ、不法侵入で訴えること、出来るのかな?
「…とにかく、荷造りの邪魔ですから、どっか行ってください。」
「嫌よ!優君、明日明後日にはもう京都に行っちゃうんでしょ!?その間、誰が私を癒してくれるのよ!??」
「それくらい、自分でどうにかしてください。」
まったく。いい大人がそんなことを言うなんて…。
「ちなみに、家具や寝具は向こうで用意されているらしいわよ?」
「…わ、わざわざ伝えに来てくださりありがとうございます。」
「何言っているの!?元々これを伝えに来たんだから、お礼を言われる筋合いなんて無いのよ!」
…ほんと、こういう先輩だから憎めないんだよなぁ…。
「それじゃ、伝えたいことは伝えてもらったので、この部屋から出ていって下さい。」
「そんな!?それじゃあ私に死ねと!?」
「…今荷造りをしているので、話している暇がないだけです。」
「それじゃあ私も手伝うわ。それならいいでしょ?」
「…別に構いませんが、変なものとか入れないでくださいね?」
「あったりまえよ!私を誰だと思っているの?」
「・・・。」
「…あれ?もしかして、本当に信用がない?」
「こういうことに関しては、ですけど。」
「そんなぁ~。」
と、言われましても、ただの自業自得です。
結局、菊池先輩に手伝ってもらいながら荷造りを終えた。
最終的にはスーツケース一個と、カバン一個に収めることが出来た。
これで抑えることが出来たのはきっと、
「…これ、本当にいるの?自家製みそくらい置いていったら?」
菊池先輩の助言があったからこそでしょう。
それにしても、あっちの方々にお味噌汁作りたかったんだけど、残念だなぁ。
そして、大体の荷造りを終えた。
「お願い優君!今日だけ!今日だけでいいから一緒に寝させて~!!」
今日の菊池先輩は一段としつこかった。
だが、菊池先輩の気持ちは少し、ほんの少しは理解できるので、分かりましたと言ったら、
「今すぐ寝間着、持ってくるわね!!」
忍者のように私の視界から消えた。
この人はほんと、欲望に忠実なんだなと改めて実感した瞬間でもあった。
そして出張当日の早朝。
私は駅にいた。
「ゆ、優く~ん。ほんとに、ほんっとうにいっちゃうの~~~?」
「そりゃあ行きますよ。」
だって、アルド商事からの要請ですし。これを断って、今後の関係にひびを入れたくないし。
「まったく。ここまで来ておいて、まだ引き留められると思っているのか、こいつは。」
「うぅ…。」
菊池先輩は涙をポロポロこぼしていた。
・・・。
「あ、工藤先輩。共用の冷蔵庫に大量のおかず、入れておきましたので、よかったら後で、みなさんで食べて下さい。」
「お、おお、そうか。何か悪いな。」
「いえ。」
そう。
実は出張2日前。私は料理を大量に作り置きし、こっそり共用の冷蔵庫に入れたのだ。私がいない間、食事に困らないようにしたかったからね。だけど、
「ですが、さすがに5日分しか作れませんでした。すいません。」
「いやいやいや!!それだけで充分だから!」
「そ、そうですか。それならいいのですが、」
「・・・。」
「とにかく。あっちでも元気でやれよ。」
「はい!」
「・・・。」
「後は、ちゃんと帰って来いよ。」
「はい!」
「・・・。」
「「・・・。」」
な、何でしょう、この空気…。
「おい菊池。言いたいことがあるなら口で言えよ。目で訴えようとしても分からねぇぞ。」
「うぅ…。だってぇ…。」
と、一時期止まっていた涙を菊池先輩はまた流し始める。
私だって、こんな辛そうな菊池先輩を見て何も思わない、なんてことはない。けど、こんな時ってどうすればいいのか分からないんだよね。う~ん…。
「まったく。お前ってやつは…。あ、そういえば、課長から手紙を預かっていたんだ。」
そう言って、工藤先輩はカバンを漁り始める。
「手紙?」
何の手紙でしょう?
「はい。これは車内で読め、だったかな。そんな伝言をもらっていたんだった。危ない危ない。」
「もう。気をつけて下さいよ、工藤先輩。」
「分かっている、つもりなんだけどな。」
と、頬をかきながら言う。
本当に分かって言っているのかな。
「う、うぅ…。」
そして、未だに菊池先輩がグズグズしている。
早朝だったからよかったものの、真っ昼間にこれをやられたらたまったものじゃないな。それに、今は人通りが少ないとはいえ、こっちを見ている人もいる。突き刺さるような視線がちょっと痛いな。
そういえば、人の心の傷を癒すのに、身体的接触が効く、なんて話を聞いたような聞いていなかったような…。試してみるか。
「菊池先輩!」
「な、なに…」
私は菊池先輩が何か言い終える前に、ギューっと抱きついた。
「え?え?ええ??」
「大丈夫です。私は必ず帰ってきます。だから、」
菊池先輩から離れ、目を見ながら、
「安心してください。」
そう、はっきり告げた。
すると、
「う、うぅ…。」
また泣き崩れてしまった。
これで駄目なら、もう私には何も出来ないのですが…。
ここで工藤先輩に視線を送るが、
「俺にはしなくていいからな?」
と、念を押されてしまった。
この状況、どうしよう?
「…絶対よ。」
「はい?」
突如、菊池先輩が声を発する。
「絶対、帰ってくるのよ!いいわね!!??」
「は、はいいぃぃ!!」
「うん、いい返事だわ。後、」
そして、菊池先輩は私にギューっと抱きついた。
な、何を…?
「これはさっきのお返しよ?」
と、頬にキスをする菊池先輩。
これはまた…。
「お前ら。こんなところでいちゃつくなよ。人の目があるんだぞ?」
「「あ。」」
私と菊池先輩の声が重なる。確かに工藤先輩の言う通りだ。
「あっはっは。すいません。」
「私はもう大丈夫よ。優君からたっぷりと愛をもらったから。ありがとう、優君。」
「ええへ。それは良かったです。」
「おい。そろそろ新幹線の時間だぞ?」
「え?」
時計を確認してみると、新幹線が発射する十分前だった。
「あ。そういえばまだ切符を。」
大変だ!私としたことが!こんな基本的なことを忘れるなんて…!
「はい。」
「え?菊池先輩?」
「これは新幹線の切符。こっちは今日の朝食。それでこっちが…、」
「え?これ、もしかして私のために?」
「ええそうよ。全部私が♪」
「おい。何さらりと嘘をついているんだ!切符は俺が用意しただろうが!」
「…私はお弁当と、これよ。」
と二人は私に差し出してくれた。私はそれぞれの贈りものを両手で、
「ありがとうございます。」
と、感謝の意を込めて受け取った。
「それでは、もう行かないと間に合わなくなりそうですので、行きますね。」
「お。頑張って来いよ、優。」
「優君!ファイトよ!!」
「はい!!」
そう言って、見送る二人を背に、私は新幹線が停まっているホームまで向かった。
「…優君。本当に行っちゃったわ。」
「そうだな。でも、あいつは俺や菊池以上にしっかりしているから大丈夫だろ。」
「そうね。私はともかく、酒人間よりはしっかりしているから、大丈夫よね?」
「こいつは…はぁ。」
そんなため息をもらしつつ。
(しっかりやれよ、優。)
優が言った方向を見て、優の安全を願う。
「さ、俺達も帰って出勤準備だ。」
「…分かったわ。」
そして二人は、優を見送った後、二人はそれぞれの自室へと戻り、出勤準備を始めた。
新幹線に無事乗り込んだ私は席を探す。
「えっと。この座席は…あっ、た?」
「え?君はもしかして、優君かい?」
なんと、私の指定席の隣に、
「しゃ、社長!??」
社長が座っていた。
「な、なんでこのようなところに!?それより会社は!?」
「ああ。それなら今日は休暇を取ったよ。たまには癒しが欲しくてね。急ぎの要件が無い今週を使って遠出しようかと、ね?」
「は、はぁ…。」
そんな簡単に社長が休暇をとっていいのだろうか。
「それで、会社の方はどうだい?」
「あ、はい!会社の方は社長のおかげさまでなんとか働かせてもらっています!」
「…そんなにかしこまらなくてもいいよ?今、私はオフだからね。」
「は、はいぃ…。」
とはいえ、社長は私の恩人の一人。しかも、社長は、私がいくら頑張っても届かない身分にいる人だと、私は思っている。
菊池先輩や工藤先輩はともかく、社長の前で砕けた態度で接するというのに抵抗が…。これも普段からあまり話をしないからなのかな。無理もないよね。はたから見れば、平社員と社長。この2人が仲良く話すなんて光景、早々ないよね。
「それに私としては、“前の呼び名”で呼んで欲しいかな?」
「!??わ、分かりました、“徹也おじいちゃん”。」
「うんうん。それだよ、それ。やっぱり2人っきりの時はそう呼んでくれないとね。」
この人は森徹也おじいちゃ、さんだ。
私や菊池先輩、工藤先輩が勤めている会社の社長で、私の恩人の一人だ。
社長は子供どころか結婚もしていないが、年自体は、孫がいてもおかしくないくらいである。それがどう繋がったのか、私に、“徹也おじいちゃん”と呼ばせたがるのだ。
私としては、これで社長に対する恩が少しでも返せたらと思っているので、こう呼んでいるのだが、結構照れくさいものですね。
「それじゃ、社内では下手に話なんか出来ないからね。今の内におじいちゃんとお話ししよっか?」
「え?あ、はい。」
今は顔も性格も柔らかいが、社内では磨かれたダイヤの様に意志が強く、凛とした空気を漂わせる武人のようで、かつ、社員とのコミュニケーションも忘れない素晴らしい人である。
そんな人が、私の祖父代わりになってくれているのだと思うと鼻が高い。ま、これは周囲に自慢出来ないんだけど。
そして、私と社長は1時間を超える移動時間を全部使ってお話に費やした。
やれ、仕事の調子はどうだ。
やれ、体調はどうだ。
やれ、今は幸せか。
そんな、当たり前の家族がするような話を笑いながら、楽しく話した。
こんな幸せを、私が体感してしまっていいのだろうか、と思ってしまうくらいに。
社内アナウンスにより、私と社長との楽しいトークタイムは終わりを迎える。
「おっと。もう京都に着くのか。それに、もうこんな時間か。」
「あ。なんかすいません。こんな時間まで話し込んでしまって…。」
もしかしたら、森社長にも新幹線内でやることがあったかもしれないのに、全部話に時間を費やしてしまった。なんてことだ。
「別に優君が気にすることでは無い。それに、私は優君とお話しできて楽しかったよ。」
「しゃ、社長…。」
「そこは徹也おじいちゃんって呼んでほしかったかな?」
「あ。それでは私はこれで、」
「確か、今日から京都本社のアルド商事へ行くんだったっけ?」
「あ、はい!」
「無理に気負わなくていい。いつも通り、優君に出来ることをこなしていけばいいんだから。」
「…はい。」
その言葉が、私に向ける目を見るだけで、気が楽になる。
こういう大人の人が将来、人の上に立てるのかもしれない。
そんな期待と推測をたて、
「それでは、行ってきます。」
荷物を持って、社長に挨拶を済ませ、背を向けた。
「はい。行ってらっしゃい。」
そんな言葉を、心に深く残しながら。
優を見送った森徹也は、
「さて、私も目的地に向かうとしよう。」
そのまま新幹線に乗り続け、目的地に視線を送った。
次回予告
『小さな会社員の京都出張生活~手紙~』
関東を出た優はついにアルド商事本社がある京都に着く。そこである女性会社員と出会い、寮まで案内される。そして、寮に着いた優に、その寮の寮母さんから手紙を渡される。
こんな感じの次回予告となりましたが、どうでしょうか?
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