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ホラー短編

あの夏の黒髪

作者: ノマズ

 今僕が、こうして生きていることは、それだけで、幸運だった、と言っていいかもしれない。僕自身、当時、何があったのか、未だ正しく理解できているわけではない。しかしながら、おおまかに僕が理解していることは、まったく見当はずれの推論、都市伝説や妄言と一緒くたにできるようなものではないと強調したい。


 僕は一人っ子だった。

 家はベッドタウンにある三階建てのマンション、二階の真ん中の部屋に住んでいた。父は大手企業の中間管理職、母は専業主婦をしていた。そして僕は、当時中学三年生だった。事の始まりがいつかはいまいちわからないが、思えば僕が中学三年になったばかりの、4月から5月にかけては、予兆があったのだと思う。


「今日も割引券当たっちゃった」


 母が、夕食の買い物から帰ってきて、上機嫌でそう言っていた。そんな割引券の話など、中学生の僕には全く興味のない事だったが、今思い起こすと、これは、その始まりの兆しだったのだろう。


「一週間で三回も当たるなんて、次は宝くじでも買ってみようかな」


 どこの家庭にもある、ちょっとした幸運だった。

 そういう僕もこの時期、自販機の電子スロットで当たりを出して、ジュースを余分に一本貰ったり、棒アイスのあたりを引いたりしていた。大抵友達と一緒だったが、友達の方はと言うと僕と対照的で、小銭を自販機の下に落としたり、溶けたアイスに気付かずに地面に落としたりしていた。


 はっきりと、これとわかる始まりは6月、梅雨の時期だった。

 学校から帰ってきた僕は、夕方、降ったりやんだりの空を部屋のべランダのガラス戸越しに、ソファーにもたれかかって眺めていた。電気をつけないと部屋は薄暗く、それが、当時の僕には心地よかった。


 僕は陸上部に入っていた。引退が迫り、最後の記録会に向けて1日おきに活動がある。練習は体力と筋肉をめいっぱいまで使うし、受験を控えたこの時期は、勉強もしないといけない。僕は正直、疲れていた。部活も塾も何もない日はそうして、学校から帰ってくると、リビングの暗がりで起きるでも寝るでもなく、ぼーっと過ごしていた。父は仕事、母は夕食の買い出しで、この夕方の時間は家には誰もいない。


 そんな梅雨の時期のある夕方、僕は相変わらずリビングでうとうとしていた。

 雨が降ってきて、僕は、何となく、ふと隣の和室に目をやったのだ。すると、和室に何かがいた。最初は、人型の黒い影だった。人間なら小学生くらいの背丈である。しかし暗くてよく見えない。黒いこけしのような感じだった。


 夢なのか現実なのかよくわからなかったので、家に僕以外の人間がいることの異常さにさほど驚くことも無く、僕はやおら状態を起こし、じっと、そのこけしのような何かを見た。


 それは、最初の直感通り、小学生くらいの子供――女の子だった。

 この後僕は、この女の子を幾度か目撃するのだが、どういうわけか、顔立ちや服装は思い出せない。ただ、女の子がいたこと、笑っていたということだけは、覚えている。そして、この最初にその子を目撃した日も、その後目撃した時も決まって最後は、僕が眠ってしまい、気づくと、もう誰もいない、ということになるのだった。


 夏休み前、僕の友達が足の骨を折った。

 同じ陸上部だったが、放課後、階段から滑り落ちた拍子にやってしまったのだ。彼は結局、この怪我のせいで最後の記録会には出られなかった。それと同じころ、母が宝くじで数十万円をあてた。


 夏休みになると、宝くじのお金で、週に二度くらいは、外食にいくようになった。父と母、そして僕の三人、とりとめのない会話をしながら食事をしていたが、今では、この会話の中で、父や母が話す出来事の重要性を感じずにはいられない。


 父は、部下が怪我をした話を、ステーキを食べながらさらりとしていた。母も、今でも親交のある仲の良い幼馴染が、飼っていた鳥を逃がしてしまったという話をしていた。父は、部下のドジを笑い話にしたし、母も、親友の鳥好きは学生時代から変わらないのよ、なんて言っていた。


「お前、また当たったの!?」


 夏休み、記録会も終わり、部活を引退した後のこと。部活も終わって肉体的に余裕も出て来ていたので、塾帰りには必ず、友人と三十分くらい、コンビニで雑談をしてから帰るのが日課になっていた。毎日、肉まんとジュース、あるいはアイス等を買って、飲んだり食べたりしながら雑談をするのだが、この時の僕は、恐ろしいくらいについていた。数日連続で、レシートに割引券がついてきたり、アイス棒の「あたり」をひいたりしていた。自販機では、三回に一回はルーレットが「7777」を出して、ジュースをもう一本貰えた。


 例の女の子も、だんだん頻繁に見るようになってきた。

 僕が一人で家にいて、夕方、天気が曇りか雨の時には、気づくとその女の子が、和室に立っている。不思議と恐怖は感じなかったので、僕は悲鳴を上げたり、逃げたりもしなかった。かといって、女の子に近づいたり、話しかけたりするほどの度胸も好奇心もなかったので、そういうことはしなかった。女の子の方も、立っているだけで、特に何かしてくることはなかった。


 夏の終わり、隣町の神社で祭りがあった。

 毎年友達と行っていた祭りで、今年も僕たちは行くことになった。僕「たち」というのは、クラスの友達である。男が二人、女の子が二人、僕を合わせて全部で5人。この女の子のうちの一人は、僕が当時、好きだった子である。


「お前今日、絶対宝くじやれよ」


 僕のその頃の強運を知っていた男友達は、僕にそんなことを言っていた。僕ももちろん、そのつもりでいた。チョコバナナ、あんず飴、わたあめ、かき氷――ジャンケンやくじや、木で作られた手動のルーレットや、そういうものを用いて、当たると量が増えたりする屋台では、僕はことごとく、「大当たり」を出した。二回、三回、四回と続いてくると、皆も調子づいてくる。僕も僕で、友達の前だし、好きな女の子の前でもあるし、運でも何でも、良い所を見せたいと思っていた。


 そしていよいよ、くじ引きをやることになった。

 皆は、思いっきりはずれを引いた。そして僕は、予定調和のように、特賞をあててしまった。景品の大きなラッコのぬいぐるみを貰い、僕はそれを、好きだった女の子にあげたのだ。


 しかし、祭りは、これで終わりではなかった。

 全国紙の片隅に出るくらいのニュースになったが、その日、屋台で火事があった。その火事に、帰ろうとしていた僕たちは、巻き込まれたのだ。燃えた屋台が崩れ落ち、僕たちは下敷きになった。僕がプレゼントしたラッコを抱いていたその子は、ラッコに燃え移った火で、腹部に大きな火傷を負ってしまった。幸い、皆、死ぬことは無かったが、しかし、僕だけは、下敷きになったにもかかわらず、かすり傷一つ負わなかった。


 夏休み明け、クラスの8人ほどが欠席していた。

 熱を出したり、怪我をしたり、それぞれに欠席の理由は違った。しかし、これらの原因の根底に、何か共通のものがあるように、当時の僕も思い始めていた。そんな矢先、母が再び宝くじを当てた。今度は、数十万円という金額ではない。一生遊んで暮らせるほどの、億の大金である。


 その日、塾から帰ると、誕生日でもないのに大きなケーキが置いてあり、食べきれない量の食事が並べられ、父も、普段では飲めない高い酒を飲んでいた。


「宝くじ、あたっちゃった」


 母が、僕にそう言った声を、今でも覚えている。密やかに、興奮を抑えられないというような、無邪気な声だった。父も、酒に酔った赤ら顔で、にやにや笑っていた。僕はこの時、はじめて背筋に嫌な寒気を覚えて、背後の和室を振り返ったのだ。


 すると、そこには、例の女の子がいた。

 夕方でも、雨でもない、しかも家族もみんないるこんな時に姿を現すのは、これがはじめてだった。いや、これが、最初で最後だった。父と母には、女の子の姿が見えていないらしかった。


 その日を境に、僕たちの生活は変わってしまった。

 最初は良かった。毎日、美味しい食べ物、飲み物、新しい服。しかし、父が仕事を辞めて、母も家事をほったらかし、新しくできた友人と旅行ばかり行くようになり、いつの間にか、顔を合わせれば喧嘩するような夫婦になってしまった。


 僕が高校受験の頃、すでに家庭は、崩壊してしまっていた。

 例の女の子も、だんだん、姿を見せなくなり、僕が高校に上がった夏休みの頃には、もう、現れなくなった。僕が高校を卒業する頃には、父と母は離婚し、二人とも、僕が高校を卒業すると同時に、いくらかの財産だけを残し、それぞれ、行方をくらましてしまった。


 あれから十五年が過ぎ、父と母の所在がわかった。

 二人はそれぞれに借金を作っていて、路上生活の末、病気にかかり、亡くなったのだと、市から連絡があった。いろいろの手続きを済ませ、二人の葬式もして、ちょうど今、僕は一息ついたところで、これを書いている。


 僕の両親、そしてそれに付随した僕のここまでの人生は、やはり、中学三年の梅雨から始まり、夏を境に、大きく変わってしまったのだろう。その発端は、確かに、宝くじだったかもしれない。しかし、なぜあの宝くじが当たったのだろうか。そこに僕は、あの女の子の存在を、無視することはできないと思っている。


 夕方、雨が降り始める。

 和室の隅にこけしのような人影。

 あの子は、確かに笑っていた。


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