見なかったことにしよう
俺達が宿屋の中に入り、窓からシャリーの様子を伺う。
ざっと見て10匹の悪鬼がいる。見た所パーラメントに託した鞭を持っていたような強大な悪鬼はいないように見えるが、そうだとしても数が多い。
「サハラさんいいんですか!」
「たぶん大丈夫だ。あの人は……あの人ならなんとかしそうな気がする」
パーラメントが心配して俺に聞いてきた。
正直根拠も何もないが、シャリーは初めて出会った頃から謎と不思議だらけな人で、何時ぞやは神々ですら震え上がらさせた事もある。謎だらけだが何か得体の知れない力を持っているのだけは確かだ。
何より、シャリーがこんな状況だというのにシアをはじめとする従業員は、全く気にもせずにせっせと仕事をしている。
咄嗟にアリエルの姿をしたシアの手を掴み、驚くシアに小声でなんで平然としていられるのかと尋ねてみた。
「あの人、シャリーさんの事は心配するだけ時間の無駄ですので」
心配するだけ時間の無駄、さすがにそれは言い過ぎなんじゃと窓の外にいるシャリーの後ろ姿を眺める。
悪鬼共が一斉にシャリーに襲いかかったと思ったのもつかの間、悪鬼全員の動きがシャリーに触れる手前で止まった。よく見るとブルブルガタガタと震えているようにも見える。いやーー
めっちゃ震えながら、膝を付く悪鬼や頭を抱えこむようにしながら助けを請うようにも見える悪鬼の姿などが見れた。
宿屋から見ていた俺達やそれ以外の客達もそのありえない光景を見て、ただただ驚くことしかできなかった。そしてーー
シャリーが腰を曲げて片手は腰に、もう片手は指を1本ピーンと立てて、悪鬼共に何かを言うと振り返って宿屋へと戻りだし、振り返った時のシャリーはいたって普段通りのおっとりとした顔で、一体何に怯えたのか知る由はなかった。
妖竜宿の1階は大食堂になっている。その大食堂に居合わせた客達全員が口を開けたまま、今目の前で起こった光景に固まっていた。
「皆さんどうなさったのかしらぁ?」
ごく普通に、何もなかったかのようにシャリーが戻りそう声をかけてくる。
誰かがそう言うように伝えたわけでもなく、誰もが隣や近くにいる者に自分自身を納得させるように囁きあっていた。
『俺達は何も見なかったことにしよう』と。
その中俺とパーラメントだけが宿屋を飛び出して悪鬼を確認しに行くと……
「これは……一体どういう事だ」
「……既に死んでいるよう、ですね」
最後に見た悪鬼共の姿勢のまま事切れていた。
その光景を目にして俺とパーラメントがお互いに顔を見合わせて頷きあう。
『やっぱり見なかったことにしよう』と。
その日は皆んな口数が減ってしまい、そのまま部屋に入り休むことにした。
そんな中どうしても気になった俺は1人、シャリーの元に向かう。
宿屋のフロント部分にあたる場所にシャリーはいて、何か書き物をしていた。俺の姿を見ると手を止めて声をかけてくる。
「あらぁサハラ王様、こんな時間にどうしたのかしらぁ?
夜這いでしたら、もう少しお待ちくださいねぇ」
「ち、違いますよ! そんな誘惑して本気になったらどうするつもりですか!」
ウフと妖艶に笑うと書き物をしていた手を止めて俺の側に向かってきた。
そして俺の胸を指でクルクル触れながら上目遣いで見つめてくる。
「もちろん……その時はぶっ殺しますわぁ」
めちゃくちゃ弄ばれているな、俺。
「それで私に何か御用でもあるのかしらぁ?」
「言わなくても、わかるんじゃないんですか?」
「どうしても気になって来たのはわかるけれど、そこまでですわぁ」
どうやらシャリーは心が読めているわけではないようだ。では未来が見えるというわけではないという事にもなる。しかし、フェンリルの時のピアスのように先に起こる事を知っている事もある。
「サハラ王様ぁ、いい事を教えてあげますわぁ」
そう言って俺に体を密着させて顔を近づけてきて甘くいい匂いがする。
「私の事は気にしない、詮索しない、敵意を持たない。それと……」
ニッコリ笑顔を見せて体を離す。
「1人旅に疲れたらここ妖竜宿に訪れるといいですわぁ」
「……それは、まるでいつか俺が1人きりになってしまうとでも言っているみたいですね?」
シャリーはニヤリと妖しく笑うと元いた場所に戻って書き物の続きを始めた。
結局聞きたい事は聞けなかったが、シャリーについて調べるのはやめておこうと決めた。死にたくないから……
翌早朝、皆んなと相談をし、アラスカとシリウスに世界の現状を聞いてきてもらう為に7つ星の騎士団領に向かって貰うことにし、俺達は妖竜宿にもうしばらく厄介になる事にした。
そしてその日は朝から兵士達が慌ただしく動き回り、麻薬取締に追われているようだった。
「なんとなくだけど、客としてこの宿屋にいる限りはどうやらどこよりも安全そうに思える。
ヴォーグが王都にたどり着くまでは、ここでおとなしくしているのがいいと思うけどどうかな」
顔を見合わせ誰もが納得して頷いた。そんな中……
「あのぉ大口様、私達の宿代は大口様が出していただけるのですよね?」
「こ、こら! ペーソル」
「そこは安心してください。皆んなの宿泊代は、ツケにさせてもらってヴォーグに支払わせますから」
「ヒィ! こ、ここ、国王陛下に支払わせるんですか!」
「ま、そうだよね〜。ヴォーグ王が国に戻るのが遅いのが悪いんだもん」
キャスがそう答えてふと思い出して聞いてみる。
「キャビン魔道学院の学長がいなくて大丈夫なのか?」
するとキャスはため息をついて、事態が事態だからと素性を明かして抜けてきた事を話した。
あの国の大半が【魔法の神エラウェラリエル】を信仰しているのだから、その代行者であり、先の大戦の生きる英雄キャスの存在は大きく、囲まれて揉みくちゃにされて逃げるように俺達のところに来たんだとか。
「群がってくるゾンビに襲われる気分が分かった気がするよ!」
俺以外の皆んなは首をかしげていたが、俺にはそれが映画で見るゾンビの事だと気がついて苦笑いを浮かべた。




