02:「青空の下」
少しだけ窓を開けてみる。冬の冷たさを含んだ風が車の中へと入ってきた。……春は、まだ遠い。
私が助手席に座り窓からぼんやりと外を眺めている。すぐ横を、オートバイがすり抜けていく。車が赤信号で止まると、父が運転席から話しかけてきた。
「大学では続けるのか」
私は、ううんと、曖昧な返事をした。
信号が変わった。車が走り出すと、風はさらに冷たくなったように感じられる。走る車の窓に街路樹や電柱やビルが次々に映っては消えていった。
父との会話はあまり覚えていない。コンビニに寄るか、とか、これならあと一時間もかからないなぁと言われたような気がして、一応、うん、か、ううんで返事をしておいた。言っている私ですらこの返事は冷たいと思うけれど、今は少し考え事をしていたいのだ。
これから歩もうとした道に、今まであったものがなくなってしまう。そう思った瞬間、心にぽっかりと穴が開いた気がした。そして、同時に強く実感する。この先に、大好きなものは無いんだ。あるのは、後悔とか思い残しだけなんだって。
父が何かを言ったので、うん、と適当に返事をした。
車の暖房に気がつき、少し開いていた窓を閉める。さりげなく父の方を見た。けれど、とくに気づいている様子も無く、何事もなく運転をしている。
両親や周りの人たちがいるから、今の私はいる。小学生のころから描いていた夢は叶えられるものなんだって、ずっと思っていたし、信じてやまなかった。
車が走れば走るだけ、見える景色は変わっていく。けれど、空だけは変わらずそこにあった。なんとなく、私みたいだと思った。
あんなに変わりたいと思っていた私は、中学卒業のときと何も変わらずにいた。
やりたくてもできなかったこと、やったけれど上手くいかなかったこと。思い残すことはたくさんある。ただそれ以上に、チャレンジすらしなかった自分の弱さに、納得ができなかった。憧れた人、好きな人に、少しも近づけなかった私が情けなかった。その積った想いが涙に変わって溢れた。
帰り道で泣いている間、父は何も言わずに運転していた。
成長するにつれて、自分の夢に自信が持てなくなった。いつの間にか可能性とか、未来に不安を抱くようになった。選ぶことすべてに正解がないと知っていても、誰かに答えを確かめたくなった。選んだ道の先に夢はあるのか。手を伸ばせば届くのか。すべて分かるはずはないことなのに。
正解なんて存在しない。分かっている。でも、気がつくとそれをずっと探していた。駄々をこねたり、現実を受け入れられない幼い私がそこにいた。
「タバコ切らしたから、コンビニ寄るぞ」
父が言った。私はうん、と返事をする。
車が止まる。ドアを開けると、思っていたよりも空気は暖かい。父がコンビニに入っている間、私はベンチに腰をかけた。ぼんやりと、車が通り過ぎていく道の先を私は見つめる。
言いわけ、言いわけ。言いわけばかりが私の頭の中で渦を巻く。自分には何があっても言いわけをしたくない。でも、私の弱さ、見せたくないもの、それらを隠したいと言う心のささやきが、私に言いわけをさせている。
弱い私を振り払うようにベンチから立ち上がると、父が出てきた。
「何も買わなくていいのか」
早速買ったタバコの箱を開けながら父が聞いた。
私は大丈夫と、車のドアを開けながら言う。
「お母さんも待っているし、早く家に帰ろうよ」
「……ああ、そうだな。」
父の声が少し明るかった。
家まではあと少し。
隣りに座る父はハンドルを握ったまま、前をまっすぐ向いている。赤信号で止まる車の列。前に止まる車をずっと見ている父は、なぜだか遠い昔を思い返しているように感じられた。前を向いてはいるけれど、見ているのは車の赤い光ではなく、チカチカ光るウインカーでも、少し先に見えるペットショップの看板でもない。誰も知ることのできない思い出の中の何かを見ているのだと思った。いや、思ったというよりは、感じたのだ。私が昔を思い返すように……。
好きな人や、憧れる人の姿。流れる景色のように思い返していると気づくことがある。その人が好きなこと、楽しいことをやっている瞬間が、なによりも一番輝いている瞬間なんだと。そして、流れ出す涙で私は気づく。今まで好きだったものは、私が思っている以上に大好きで、思っている以上に大切だったもので、今更かもしれないけれど、私にとってかけがえの無いものだったんだって。そんな今更なことに気がついたから、泣いているところを見られないように、窓の外を見る振りをして父に背を向けた。
真剣だった……。
やり直せないこと、取り返しのつかないことは、沢山ある。そのうちの一つを、私は知った。
「よーし、到着」という父の声とともに家に着いた。
「ありがとう」一応、お礼を言った。
車を降りて空を見上げると、飛行機雲がほんのりと赤く染まり始めた空の真ん中を目指して伸びていた。色鉛筆で描いたような白い線がまっすぐと。
それを見上げながら、最初から始めようと思えた。また、描こう。この雲のようにまっすぐと向かう夢を。
苦しい、悔しい。いろいろな感情がぐるぐると回っている。でもこれは私が決めたことなんだ。今まで、どこかで誰かのせいにしていた。それは、私が決める前に、考える前に、決められていたことだったり、敷かれたレールだったり。
どんなことにも真剣だった、本気だった。でも一度も、私が決めて進んだ道では無かった。なら、そのレールから外れてみたいと思った。
学校や、部活、習い事、親が望んでいる未来は、私が決めた未来ではない。決めたい、たとえ、この感情が拭いきれないとしても、前に進むしかない。人から決められたことに向かうんじゃなくて、私が決めて、責任を負う。失敗したって、上手くいかなくたっていい。ただ、幼い私から大人になりたいとそう思った。もう、私以外の何かのせいにする自分から変わりたかった。大人になることってまだよく分からない。でも、この決心が大人への一歩になる。次の一歩を踏み出すんだ。
家の扉を開け、中に入ろうとしたとき、父が聞いてきた。
「大学では続けるのか」
返事は決まっている。私は振り向き、父の方を向いて軽く息を吸い込んだ。
高校卒業を前に、吸い込んだ空気はまだ少しばかり冷たい。
おまけ的あとがき4「この作品と作者の関係をゆるゆるだらだらと」
1.前置き
ここでは、作品の背景などについて触れていきます。
この作品はハイウェイの次に書き上げた作品です。高校を卒業、大学では部活を続けなかった私は、いずれ作家になりそれで生活できるようにと夢見て大学に進学することになります。大学一年の前半に課題で掌編の作品を提出する課題が出されました。期限は一ヶ月ほど。
その時に提出した作品が、この「青空の下で」になるのです。旧作品名は、「空」。青空の下で、に名前を変えたのは、卒業文集に載せる際、書き直しをして区別したからです。
2.作者
この作品は、言わずもがなですが、ハイウェイの流れを丸々と使っています。理由は簡単。この時点で、作品をすぐに作ることができなかったからです。半年かかったハイウェイの時点からほとんどの変わっていない私は、悩みます。もともと書きかけの作品は数あれど、完結させることができない人間でしたので、唯一手元にある、程よく形になっていたハイウェイ(当時は、現在のように区切りのいいところで終わらず、続くの状態のまま)を使ったのです。ですが、なかなか筆は進みません。そこで、この私を私自身に重ね、今の境遇や、続けたいと言う気持ちとどうせ続けてもという相反する考えがごちゃ混ぜになっているちぐはぐな今を描くことに決めました。もし部活を続けていたら、というパラレルな今を。
3.作品
この作品では、少し変わったことをしています。この主人公、一人称「私」は、性別を明かしていません。読んでくださったみなさんは、「私」を独白で使う少し背伸びした男の子でしたか? それとも、ハイウェイ同様、女の子? いやいや、「私」は性別:ハイブリッドでしょ? 様々な言葉が出てくると思います。それは意図して、どちらでも違和感なく読めるようにした結果であり、ハイウェイでは、意図してそれをコントロールしたわけです。それぞれ皆さんの中には、利き手や、ズボンに足を最初に入れるときの利き足であったり、腕組みの時の
相変わらず、二人までしか描けない私は、三人目がいるかのごとく、お母さんの存在を仄めかします。
続く