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「でもあの人のとこ行くのなんだか癪だな……」
思ったことを口にすると小猩々がそんなことを言ってる場合じゃないだろうというように怒って真鵬の顔を叩いた。勝手に部屋の床に落ちている洋服を引っ張ってリュックサックの中に詰めようとする。
「わかった、わかったから!それは外に持ってく用の服じゃないからやめて!」
動きを止めた小猩々が上目遣いで真鵬を見上げる。やたらキラキラとした瞳で見つめられては言葉に詰まって強く出れない。
「今夜家を出るよ」
小猩々を一撫でしてリュックを取り上げ、必要最低限のものを詰め込んだ。
お気に入りのTシャツ数枚にジーパン、下着や靴下、携帯電話の充電器に財布。最低限これだけあればなんとかなるだろう。
夜の八時ごろに銀矢が仕事から帰ってきた。紀日子が余計なことを言うかもしれないと思ってドアを少し開けて隙間からそば耳だてる。紀日子はすぐさま銀矢に真鵬の様子がおかしいことを伝えたようだったが、銀矢は「そういう年頃なんだろう。気にするな」と軽くあしらった。銀矢の答えが素っ気ないことと興味がなさそうなことにほっとしたが、とことんどうでもいい存在なんだな、ということも再認識させられた。
二人が普段寝室に入るのは夜中の〇時半過ぎだ。しかしこれを待っていると終電も無くなりエンがいる屋敷に行けなくなる。こんな顔ではリビングを通って玄関から出ていくのも難しい。いつもならなにも言われないだろうが数時間前に紀日子に対して暴れたことと相まって途中で鉢合わせたらめんどくさいことになりそうだからだ。
クローゼットからいらなくなったTシャツを出来る限り多く出し、それぞれの端と端を結び合わせる。全て繋げると不格好だが色とりどりの一本のロープのようなものが出来た。これをベッドの脚に固く結びつけるとそっと窓を開け、結びつけていない方を外に垂らした。玄関から出れないなら二階の窓からこの家を出ていくまでだ。
窓から下を覗くと地面までには若干及ばない長さだったが、ロープが途切れているところから落ちるにしても充分両足で着地できるであろう高さだった。リュックを背負い、出来るだけ静かにロープをつたって下りていく。凛と澄み渡った空気が真鵬の顔を刺した。
小猩々には屋敷に着くまでリュックの中にいるように命じた。渋々といった様子でリュックに潜り込んだため本当にリュックから出てこないか不安だったが、今はちゃんと言いつけを守っているようだった。
窓から出る前に一応部屋の机の上にメモを残しておいた。紀日子が変に気を利かせて捜索願でも出されたらたまったものではない。
『退学届を出しておいてください。 真鵬』
休学と退学で迷ったが、もう二度とあの学校には戻らないと決めたからには休学では意味がない。退学して完全に退路を断ち、背水の陣を敷いて出ていくのが筋だ。
もう学校に未練はない。そしてこの家にはそもそもそのような感情は湧かないから論外だ。
無事に下まで下りられた真鵬の顔は闇夜と同化出来るほどにほぼ真っ黒になっていた。ところどころまだ肌色が残っているが、それはごく僅かな面積だった。
それを誤魔化すために黒いパーカーのフードをかぶって駅まで早足で向かう。この時間だと終電に間に合うか間に合わないかの瀬戸際だったが、なんとか間に合った。転がるようにして乗り込むと数人の乗客がちらっと真鵬に目を向けたが、その時間も僅か一秒ぐらいで、その後は特に誰も真鵬を気にする者はいなかった。顔のせいで内心ビクついていた真鵬はそそくさと空いている一番端の席に座り、エンの屋敷の最寄り駅に着くまでうつむいていた。
誰に不審がられることもなく屋敷の最寄り駅に到着したと同時にそれまで大人しくしていた小猩々がひょっこり顔を覗かせた。誰かに見られてはまずいと何回もリュックに戻るよう言っても言うことを聞かない。仕方なく諦めた真鵬の空気を察してか、小猩々は跳ねるようにして一足先に改札を出て行った。
そんなに動き回っているとまばらであるが真鵬と一緒に電車を降りた数人に見られると焦りもしたが、真鵬以外の人の気配が近づくと物陰に隠れたりして寸前で身を隠していた。
悪戯小僧のような危なっかしい小猩々に頭を悩ませていると、小猩々が「こっちこっち」と言わんばかりに駅前の商店街を指差した。
改札の外で待っていた小猩々を拾い上げて肩に乗せる。念のために周りを見渡すが、改札横にある窓口に駅員がいる以外は誰もいなかった。真鵬と一緒に改札を出た何人かは既に暗い駅前の闇に消えていた。
小猩々が指差す通りに商店街まで歩くが、夜が遅いこともあって店は全てシャッターが下ろされていた。この時間に商店街を歩く人も誰一人いない。時々まだ窓の明かりが点いている住居兼店舗はいくつかあったが、商店街には真鵬以外音を立てるものはなかった。




