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ネフィリム・ヒストリー  作者: 机上森
狭間の街
9/13

シンデレラの柔肌

黒い疾風は高いフェンスを簡単に飛び越えていた。

当然である、超人であるリッターにとっては、この程度壁ではない。

この風はどこか高貴であり、野性的だった。そして思惟もある。

その思惟とは絶対なる力に裏打ちされた自信。だが焦燥も潜ませていた。

メイギは自分の力を信じながらも、何か仕損じたことを自覚していた。

グリム王朝に野盗という濡れ衣を着せられたこと、あるいは凛の裏切り、

「いいや違う。俺はそんなことで焦っているのではない」

中には緑の屋根の施設が三つ並んでいた。ここはキョウカイシティ警護騎士団の基地であった。

メイギは凄まじい速さで、隙間を縫い、目的地にたどり着く。

そこには巨大なものがあった。それは片膝をつき沈黙を守っていた。

ノア王国主力NFピジョンが次なる戦いに備え、そこに坐していたのだ。

「ブルーメの承諾は貰っている。お前の力を貸してもらうぞ!」

メイギはピジョンのコクピットに滑り込んだ。始動キーである召喚剣は話通り、指しっぱなし。

「究極兵器であるNFのキーが指しっぱなしで本当は駄目だよな、野盗もいるってのにさ」

とメイギは困惑しながらもエンジンに火を入れる。

ピジョンの赤い眼に光る。エンジンは唸り、装甲は微細に振動する。

激震と共にピジョンは雄々しく立ち上がった。

羽根の意匠が美しい見事な体であった。前腕装甲であり、戦いの要であるアルムシルトは、ブルーメのセンスと同じく実に攻撃的な仕上がりとなっている。

「さて、これで逃げるか、NFに追いつけるのはNFのみ。行けるか?」

メイギはピジョンを方向転換させる。その遥か先にあるのはノア王国であった。

「ノア王国まで行けば、何とでもなる。助けを呼ぶのは悔しいがな」

ピジョンは足一歩踏み出す。だがすぐに止まった。

メイギが殺気を感じたのだ。皮膚を無数に削ぐような、鋭利で直線的な殺気。

「逃げるかよ。NFを持っているのはお前だけじゃないんだ」

闇の中から褐色の男が浮かびあがる。その眼の中には憤怒の影があった。

その男、殺気を放つはオーベンであった。緑の屋根の上に立ち剣を構えていた。

オーベンの刀身が怪しく光っている。その光は召喚剣特有の光。

「先回り、いや当然か、俺の行く場所は分かっていた筈だしな、そして召喚するか!」

メイギは臨戦態勢だ。全身の神経を緊張状態にさせる。オーベンは出す気なのだ。NFを!

「召喚剣とはそのためにある。灰色の姫、美しきガラスの靴で踊れ、現れろグラス・ヒール!」

オーベンは召喚剣を掲げた。その切っ先から滲ませるは殺意と憎しみ。

そしてその厳命に応える様に稲妻が落ち、オーベンを包み込む。

それは光の柱。そこから長い脚が伸びた。膝まで見えた足は薄く透けた半透明。

その足は巨大。無論そうだ。オーベンが呼び出したのはNFなのだ、巨人なのだ。

光の柱からオーベンの命を受けてNFグラス・ヒールが現れたのだ。

「ちっ、今回は対人用の装甲ではない様だな」

メイギはごくりと、唾を飲み込んだ。

目の前に燦然と立つグラスは、あの時荒野で戦ったグラスと装いが違っていたのだ。

丸みを持ち、人を殺すためのレーザーを搭載した装甲ではない。

眼前に召喚されたグラスは全身に剣を宿したような超攻撃的なフォルムだったのだ。灰色の装甲のすべてが刀身のように鈍く輝く。大気をも切り裂くような鋭い体であった。

頭部の装甲には鶏冠のような刃があった。これもまたいっそう鋭く、空気は緊張している。

そのグラスが手に持つのは刃物ではなく、鉄の棍棒メイスであった。先端の尖った重々しい鉄の塊。凶悪である。あらゆるものを粉砕する覇気が、その棍棒から放たれていた。

グラスはまるで自分の力を誇示するように、不敵な笑みを浮かべている。そうグラスに取り付けられたフェイスマスクの口元は笑う様に吊り上げっているのだ。

グラスのコクピットで憤然とするオーベンは高らかに笑う。

「ヒャーハッハ! メイギ、弟の仇……とは言わん。だがメンツもある、よってここで死ね!」

「弟の仇? 荒野で倒したグラスに乗っていたのは貴様の弟であったか。しかしその事よりメンツが大事とは清々しい屑だな。こちらも後ろめたくなく貴様を倒せるというものぞ!」

メイギは操縦桿を押し、ピジョンを前方に加速させる。もう逃げる必要などない。いや逃げることなど出来はなしない。不用意に逃げれば、住民を人質に取られる事もありうる。

目の前のオーベン、いやグラス・ヒールを倒す他、策はないのだ。

『このピジョンはブルーメの特注でチューニングしたものだ。やりようはあるはずだ!』

メイギのコントロールに応じて、ピジョンは低く姿勢を取った。

そして羽飾りのついたピジョンの足が大地を蹴り、グラスに向かって超突。

ピジョンは腰に下げた剣は抜かなかった。抜刀する隙も作りたくなかったのだ。間合いを詰め、前腕のアルムシルトで殴りつけるのがメイギにとって最善。最低限の動作で最高の一撃こそ最適。

剣を抜くのは相手を圧倒してからだ。

相手のNFのデータがない場合。静観か奇襲の二極に対応は分けられる。実戦の経験が豊富にあり、かつ臨機応変に対応できる自信があるのなら奇襲は当然の判断であった。

鳥の羽ばたきのような軽やかさで、グラスの顔面に拳を伸ばす。

だがふわり、グラスは後ろに飛んで回避する。ピジョンの鉄拳は鼻先寸前で避けられてしまった。だがこれはオーベンがわざとぎりぎりで回避したのだ。動きの余裕からそのことが分かる。

オーベンは笑うように言う。

「不慣れなNFに乗っているから、予備動作が丸見えだ。NFは自分の体も同然。違う体で本気が出せるわけがない。なあメイギ。そのピジョンでは俺には勝てんぞ」

「それはやってみなければ分からん。それに違う体でもすぐに慣れるさ!」

メイギは冴えた瞳は、グラスを捕らえて離さない。

だがピジョンの二度目の鉄拳も軽やかに回避されてしまった。

「なあメイギ何で今回の件に首を突っ込んだ? 野盗を追う理由はなんだ? お前は本当に流れのリッターなのか?」

「お前の物言い、やはり貴様らは野盗の正体か。だが戦いの最中に言う話か!」

ピジョンはグラスの背面に回り込んだ。右の拳を振り上げる。

またふわり、グラスが飛ぼうとする。回避しようとする。

また繰り返しか? 避けられるか? しかしそれは罠。メイギのフェイントである。

ピジョンの左足が伸びた。強力な回し蹴りを放ったのだ。

巨人の重く太い脚はNF戦でも有効な一撃となりうる。

大気を裂くような、高速の蹴りである。無論音速は優に超えている。

それでも衝撃派が出ないのは、NFの魔力コントロールの賜物である。

発生する衝撃波のエネルギーですら、NFは取り込み力に変えるのだ。

ピジョンの蹴りを受けたグラスは吹き飛び、施設に叩き付けられた。

轟音と共にグラスは施設に沈んでいく。

「急に動きがよくなったな。慣れなのか? いや違う今までの予備動作丸見えの動きは嘘だな。俺を油断させるためのテクニックだな。ククク、本当に面白奴よ」

グラスが瓦礫をかき分けてゆっくりと立ち上がる。オーベンもダメージを受けた形跡はない。

「しかしそんな嘘に二度目はないぞ? もう策はないのか、メイギ?」

オーベンの余裕たっぷりの口調に変わりはない。

「不味いな、思ったよりグラスはダメージを受けていない。それに……!」

メイギはピジョンの左足に違和感を覚え、反応をチェックし、損害を確認した。

そして驚愕する。グラスにたたき込んだ左足のつま先が、見事に切り落とされていたのだ。

『いつの間に! 蹴られて瞬間に斬ったというのか? しかしいったいどうやって』

斬られたことに驚愕する。だが、その事ばかりに構っていられない。

ピジョンの足が負傷したといことは、ピジョンのバランスの全てが狂うということなのだ。

NFは屈強である。多少の破損があっても歩くことは出来るし走れる。

だが精密な操作と機敏さが要求される対NF戦では、僅かな狂いが命とりなのだ。

メイギはコンソールを弾き、ピジョンの体幹のバランスを修正、重心の位置を変更することで対処するピジョンの体がわずかに右側に沈む。足の負傷によって崩れたバランスは調整されたはずだ。

「しかし急場しのぎだ。性能は十パーセント減……。それにいつの間に攻撃を受けた?」

メイギは冷や汗を流す。彼の瞳に映るグラスは、笑う様に佇んでいた。

「これがグラスの力よ! グラスの刃……貴様の五体に刻むがよい!」

オーベンの誇らしげな声に合わせて、グラスが両手を上げる。片手には鉄の棍棒もある。

まるで獲物に襲い掛かる野生動物のような、獰猛な構えであった。

「左足のダメージはメイスによるものではない、刃によるもの、どこかに別の武器を持っている?」

ピジョンは抜剣する。グラスが隠し持っているであろう刃に対応しようとしたのだ。

「ピジョンが震えているぞメイギ。斬られた左足はそんなに痛むか」

グラスが走って来る。嘲笑も悪意も傲慢、全てをぶつける様な勢いで駆けてくる。

彼我の距離はすぐに詰まる。グラスはメイスを振り上げて、ピジョンは剣を構えた。

「グラスの秘密も分からぬまま接近せねばならんとは」

メイギは操縦桿を強く押して叫ぶ。ピジョンは操られるままに剣を振るう。

耳を劈く衝撃音! 鋼鉄と鋼鉄がぶつかり合い、轟音が世界を震わせる。

剣はメイスを弾いて見せたが、ピジョンの体制は大きく揺らいでしまった。

片足をやられている分、踏ん張りが効かないのだ。

グラスはその隙をついてくる。笑うような仮面を向け、長い脚で蹴り上げてくる。

それをピジョンは右前腕のアルムシルトで受ける。

またも衝撃音! グラスの回し蹴りが見事に決まったのだ。

盾越しであっても、これほどのダメージか、メイギは心を振るえる。

コクピットが揺れる。メイギの内臓は上下に揺さぶられ、微かな吐き気に襲われる。

ピジョンは何とか防御したが後ろに弾き飛ばされてしまった。しかし両足に力を入れて着地する。倒れなかったのはメイギの技術によるものである。巧みなボディバランスの賜物だ。

『なんとか凌げたか?』メイギは汗をぬぐった時、衝撃が走る。

何かが天を舞っていた。そしてその何かは重力にならって、すぐそばに落ちたのである。

落ちたものは巨大な岩の塊に見えたが形は人の腕の様だった。

そして羽のような模様がついていた。

「これはピジョンの左腕じゃないか!」

メイギは叫ぶ。ピジョンの左肘から下が切り落とされていたのだ。

ピジョンの左肘から夥しい量の血液が噴き出てくる。

破損した個所をロックし止血をするが、ピジョンのエネルギーは半分以下に消耗していた。

「なぜ、いつ斬られた?」しかし答えは明白だ。「あの蹴りの瞬間だ、いや蹴りそのものだ!」

グラスは片足を上げていた。足はまるで刀身のように鈍く輝いていた。

グラスは全身を刃で包んでいる“ような”姿をしている。

だが違うのだ。“ような”ではないのだ。

「グラスの体は刃そのものなのか? NFを切り刻むほど研がれた装甲だというのか!」

メイギの呻きに、オーベンは高笑いを浮かべる。

「ハハハ、その通りよ。グラスの各装甲はまさに刃! 触れるもの全てを削ぎ落す!」

「そんなことありえるのか? しかしこの現実を見ればそうとしか……」

メイギはピジョンを後退させ、間合い取る。対策を考える必要があった。

全身に刃を纏う。そんなことがありえるのだろうか?

そんなことをすれば、通常よりも倍近く重くなるだろう。当然NFの動きも鈍くなる。

高速戦闘こそNFの肝。遅くなれば白兵戦で圧倒的に不利になる。

しかも全身が刃なら普通の装甲よりも脆くなる。相手の攻撃を刀身で捉える技術が必要にもなる。普通のリッターなら乗りこなすことなど不可能。だがしかし……。

メイギはピジョンの破損したつま先と切り裂かれた左肘を見た。

それは鋭利な刃による破壊に違いなかった。斬られているのは、全てグラスに触れられた部位であった。攻防の一瞬に攻撃を受けたということなのだ。

切断面は平らでありその鋭さを物語っている。

全身が震えた。冷たい刃が喉元まで伸びてくるように、死がそこまで迫っているのだと分かる。

「これがグラスの真の力か……しかし諦めるわけにもいかんのでな」

恐怖は振り切るしかない。それに胸に去来するのは恐ればかりではない。

心に奥には獣がいるのだ。潜む闘争心という名の狼がこの瞬間を楽しんでいるのだ。

冷や汗を流しながらも、血液は熱を帯び、体内は燃える様に熱くたぎっていく。

「一撃にかけるしかないか……残りのエネルギーを次の一手に全てつぎ込む」

メイギは覚悟を決めて、ピジョンを加速させる。グラスに有効な手は思いついていない。

だが勝つために攻めるしかなかった。躊躇している暇など無かった。

ピジョンは多量の出血をしたのだ。最早長期戦などあり得ない。短期で決着をつけるしかない。

ダメージは重い。グラスの秘密に気付けず迂闊に攻撃を仕掛けた自分を呪うしかなかった。

ここまで来れば、自らの力と、事の流れに身を任せるしかないのだ。

しかし……恐らくは負けるだろう。ピジョンのフレームは悲鳴をあげている。

『すまん』攻撃を仕掛けるさなかメイギは虚空に謝った。

『ブルーメすまん、ピジョンはもうボロボロだ。凛すまん、お前を助けられなかった。そしてアンナ、お前にも迷惑をかける。みんな必ずこの埋め合わせはする。この戦いの後でな!』

それは生き残るという誓いである。明日の自分を夢見て、今の自分を鼓舞するのだ。

明日の自分。それが三人の美少女と共にあるものなら悪いものではない。

しかしそれは夢想である。現実ではない。

グラス・ヒールの鶏冠が脅すように光っている。

グラスもこちらに向かっていた。彼我の距離は、あっという間に詰まる。

二機はぶつかる。轟音が雲を裂いた。魔力によってコントロールしきれない圧力が衝撃波となって広がっていく。世界を押しつぶすほどの膨大な力である。地面はめくれあがり、醜く抉れていく。

施設は崩れ、周りを取り囲んでいたフェンスは散り散りとなった。

基地の面影など無くなってしまう。当たり前であるNFという超兵器がぶつかり合ったのだ。

NFの戦闘に耐えられる戦場などありはしないのだ。全ては更地に変わるのだ。

そんな中、耳を押しつぶすような重音が響く。何か鈍く重いものが地面にぶつかったのだ。

それは羽飾りのついた腕。ピジョンの太く巨大な右腕であった。

ピジョンは唯呆然と立ち尽くしていた。

左腕に続いて右腕までも切り落とされ、両腕を失っていた。戦意すらも失っているようだった。

白兵戦が軸となるNFに置いて両手を失うというのは戦闘力をなくすと同義である。

ピジョンの双眸は意識を失ったように光を失い、虚ろとなっていた。

その悲惨な姿を笑いながら見下す巨人がいる。無論グラス・ヒールだ。

体中の刃を燦然の輝かせ、どう切り刻んでやろうかと思案するように笑みを零している。

そして高笑いが響く。誰の声? 無論オーベンである。

「ヒャーハッハ! その程度のNFではそれが関の山よ! メイギ、チャンスをやろう、俺の仲間にならんか? 我がグリム王朝は騎士の国! 強い騎士なら誰でも歓迎だ!」

「そんな勧誘お断りだ。くそ野郎!」

虚勢と共にピジョンの胸部のコクピットハッチが開いた。そこから飛び出す黒い影。

メイギがその類まれなる脚力で飛び出したのだ。だが逃げようというのか? 無駄であろう。

「NFを前にすれば例えリッターの運動能力であろうとも蝿以下ぞ!」

グラスは巨大な手を伸ばし、容易くメイギを捕まえた。そして握りしめる。

捉えられたメイギの体がミシミシと音を立てた。骨が響く音である。メイギの顔は苦痛に歪む。痛みを堪えるも堪えきれず、低くうめき声をあげた。体が潰されてしまうほどの握力だった。

「それでは尋問だ。俺の弟を殺してくれたNF……カイゼルを何故ださん? お前の正体はなんだ。死ぬ前に吐け……。ここで我慢しても、お前をバラバラにしても正体を突き止めるし、お前と一緒に来たアンナとかいう女も絞り上げるだけだぞ」

さらにグラスは力を込めた。ミシミシとさらに音が響く。

メイギの頭だけが灰色の巨大な手から出ていた。グラスの手は刃ではないようだ、体は切り刻まれていない。だがかえって苦しいはずだ。楽に死なせて貰えないのだ。

『まあ苦しくても生きている方がいいしかし……』メイギには成す術がないのも事実。

「強がりはよせ。楽に慣れ。カイゼルを渡せばお前の命は保証してやる」

オーベンの言いざまの中には優しさも憐れみもない。唯小馬鹿にするような態度だ。

「弟の命を奪った俺に慈悲か? お前には情と言うものはないのか?」

「情? そんなもの何役に立つ。俺も弟が死んで怒りもしたが、それは有能な部下と試作のグラスが破壊されたからだ。断じて兄弟だからではない。それもお前とカイゼルが手に入れば損失もカバーできる。ならば弟が死んだことなど何の問題もないという理屈もなろう?」

「ゲスが! カイゼル? 俺はそんなNF知らんしお前の部下になるつもりもない!」

最大の嫌悪感を込めて、メイギはグラスの指に唾を吐く。

「ならば死ね。流れのリッターが俺に逆らうなどそもそもが身の程知らずよ!」

グラスは握った手にさらに力を込めた。中からぽきりと鈍い音が響く、

メイギの骨が折れたのだ。だがそれだけでは済まない。余りの圧にメイギの意識が遠のいて行く。

『まずい、このままでは、本当に終わりだ。だが……』

覚悟を決めて叫んだ。「それ以上動くな! お前はこの街を守っていればいいんだ!」

それは怒声にも似ていた。メイギの視線の先にはグラスもオーベンもいない。

「分けの分からぬことを! 最後の最後で狂ったかメイギ。だがこのオーベンがこの街を守り、支配してやろうぞ! キョウカイシティの鉱山も奪って、グリム王朝は最大の軍事国家となるのだ!」

オーベンの目と口は吊り上り悪魔か物の怪の形相に変わった。グラスはさらに力を加える。

今までないほどの圧力がメイギを襲った。全身を締め上げられ、体は押しつぶされそうであった。激しい痛みが走る。肺は圧迫され呼吸もままならない。もうこれで終わりか? 視界はぼやけて不鮮明になっていく。だが薄れ行く意識の中でも気がかりがあった。

『分かっているな? お前の仕事は今ではないのだぞ……』

……メイギは意識を失った。うなだれる様に頭を垂らす。だがその顔に絶望の色はない。


「オーベン様? 本当にメイギを握り殺したのですか? そんなことをしてしまっては……」

「そんなことなどするものか、気絶させただけよ! メイギの正体は懸念事項だ。キョウカイシティ乗っ取りなんて無茶をやるんだ。確実に情報を集めておく必要はあることなど百も承知だ。これからメイギを自白させるのはマーギアたるお前の仕事だぞリッシュ!」

リッシュの進言をオーベンは怒鳴って返した。当たり前のことなど聞くなと言う態度であった。

オーベンの乗るグラス・ヒールはメイギを握ったままだ。しかしその力は緩められていた。

メイギは多少解放されたように見える。だが意識は戻っていないようだ。ぐったりとしている。

「メイギの事は私にお任せください。しかしどうやってキョウカイシティを奪うおつもりですか? 予定は大幅に狂っています。もともとは野盗に扮したウンテン様がシティを襲撃して半壊させた後に我々が救援の名のもとに軍事介入するはずだったはず。疲弊したシティから自治権を奪うことなど容易いこと。しかしウンテン様は敗れ、我々は予定よりも早くシティに乗り込んでしまった。これではこれ以上ここにとどまることは出来ません。ノア王国だって目を光らせているのですから」

リッシュはグラスの足元にいたが、ふわり胸部のコクピット付近まで浮かび上がった。跳躍ではない。マーギアの基本的な飛行術である。足元に力場を発生させて自身を高く持ち上げたに過ぎない。

とはいえ呪文を詠唱することなく術を行使できるリッシュの能力は尋常ではない。

余計なひと言の多いリッシュであったが、才能は豊なのだ。

『こうまで自然に飛べるこいつのマーギアとしての資質は、俺の手元に置く理由になる』

オーベンは自分と同じ目線まで浮かび上がって来たリッシュ能力を称賛しながら、

「メイギはウンテン倒したのだ。遅かれ早かれ我々の正体にも気づいただろう。バックにグリム王朝がいることを見抜いただろう。それでは乗っ取り所ではないからこそ、予定を切り上げてでもキョウカイしてティ入りしてメイギを捉えたのだ。しかし計画は以前変わりなく進行できる」

「どうやって?」

リッシュの潤んだ声は多分の色香を孕んでいた。普通の男なら骨抜きにされたことだろう。

しかしオーベンはリッシュの誘惑など意に反さない。彼は唯血に飢えていた。

「野盗も軍事介入も全て俺がやればいいだけの事。死人に口なしだ。急ぐぞ! 今夜にでも執り行う。夜明けにはここはオーベン王国となってノア王国侵略への橋頭保となるのだ!」

この闘争。すなわち全てを奪い破壊する。そのことに一切の引け目はない。

「ノア王国もグリム王朝も全て手に入れる。キョウカイシティなど始まりにすぎんのだ!」

オーベンは高笑いを浮かべる。

世界を震撼させるような、そのような笑い方だった。


メイギを捉えた巨人、グラスが歩き始めた。その後ろ姿を凄まじい形相で睨む人影があった。

長い金髪を揺らしながら、その長いまつげに包まれた瞳は怒りの色に染まっている。感情を爆発させているのは間違いない。憤怒のオーラ―を身に纏っている。

だが恐ろしくはない。むしろその美しさに感動すら覚える。人形の様な美少女だった。

緑色のローブから伸びる白い肌は、雪の様で今にも溶けてしまいそう。

アンナ・ウェイトリーがグラスの背中を見つめ続けているのだ。

“それ以上動くな! お前はこの街を守っていればいいんだ!”

あの時メイギはそう叫んだ。今にもアンナが助けに飛び出そうとした瞬間だった。

あれはアンナに言った言葉だったのだ。自分を見捨てて街を守れと言ったのだ。

「メイギそんなこと言ったってアンタが死んでしまうんじゃない意味なんかないんだよ……」

アンナがぐっと拳を握った。怒りに染まった瞳は潤みを帯び、次第に瞳の色が紅に変わる。

「メイギの頼みなら断れない。全力でこの街を守るよ。けれどねもしメイギが死んだら私はこの街だって、グリム王朝だって全部、壊しちゃうから。いいえ世界も全て全部壊しちゃう」

金髪がふわりと浮きあがる。彼女の唇が怪しく歪んだ。

垂れた前髪のせいでアンナの表情は判然としないが、その声には間違いなく狂気が宿っていた。


「ごめんなさい。ごめんなさい」

その少女は自室のベッドで体を丸めていた。

「ごめんなさい。ごめんなさい」

時折身を捩らせながら、涙で滲んだ声を響かせていた。

「ごめんなさい。ごめんなさい」

身体は冷え切っていた。絶望で体が凍り付いていた。

彼女は唯一の希望すらも捨ててしまったのだ。メイギなら勝てたかもしれないのに。

「私はたくさんの人たちを裏切ってしまって……。メイギさんもアランさんも死なせてしまって」

涙と嗚咽は止まらない。多く犠牲を払って辿り着いた今である。しかし絶望の中でしかない。

彼女の猫の様な愛らしい瞳は濡れていた。凛はただ絶望の中にいるのだ。


凛がこの街には来たのは無論、オーベンの命令であった。

スパイとしてこの街に潜入したのだ。そしてアランという若い兵士と出会ったのである。

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