妖精の幻影
静かな夜であった。月が煌々と辺りを照らす。いつもと変わらない夜……のはずがない。
昼間、グリム王朝の部隊が現れ、街の中でNF戦まで行ったのだ。住民は怯えていた。
野盗を捕まえたと言っても、心が安らぐことはなかった。むしろ緊迫するばかりだ。
グリム王朝のオーベン・ブルーダーの邪悪さを無自覚にも感じ取っているのであろう。
街全体が張りつめていた。そんな緊張感に満ちた、息苦しい夜であった。
そんな中、愉悦に浸り、ワインを飲む男がいた。喉を何ともうまそうに鳴らしている。
その男こそ、諸悪の当人、オーベン・ブルーダーである。
彼の褐色の肌が、血の香りを放っている。まるで肉食獣のような匂いだった。
オーベンはワイングラスを揺らして見上げた。視線の先には最恐のNFグラス・ヒール。
ガラスの靴のような鋭い装甲を持つそのNFは今、三人のシュミートによって整備中であった。
「細かい調整が必要な点がグラスの最大の弱点だな、量産には不向きだ。手間が掛りすぎる」
グラスは全身を刃で包んだNFである。それ故に重量はかさむし、多少の攻撃でその装甲は歪んでしまう。もし歪んだままで戦えば、理想通りに相手を切り刻むことが出来なくなってしまう。
絶妙なバランスで維持されている性能が故に、一つの狂いでまともに稼働すらしなくなるのだ。
「だがそれを補って余りある殺傷能力。それにこの美しさ、次期グリム王朝の皇帝機にはこのグラスが相応しい。そしてその皇帝の玉座に座るのは俺だ。今のグリム皇帝には退陣願えばいい」
「オーベン様連絡が……」後ろから配下の声がした。その声色には焦りの影がある。
「どうした? 何かあったか?」
「オーベン様がキョウカイに放った。二人の仮面の騎士の内、一人の反応が途絶えました」
「何だと? 仮面の騎士がやられたというのか!」
オーベンは声を荒げて立ち上がる。額には青筋が浮き立っていた。
仮面の騎士は、仮面の呪術によって強化された騎士なのである。メイギのように強力な騎士ならいざ知らず、仮面の騎士を倒せる人間などそうはいないはず。しかもメイギはリッシュによって護送中。もうキョウカイにはいないはずであった。
「この状況で仮面の騎士が負けるなど! メイギの他にまだ強力なリッターがいるというのか。しかし何故このタイミングで強力な騎士たちが集まってくるというのだ。いやメイギがここにいた理由もまだ分かっていない。大国が俺たちの動きに気付いて送り込んだというのか? だとすればどこの国だ……」
少しだけ考えを巡らして、すぐに答えにたどり着く。
「ノア王国か……キョウカイの街の国境沿いに存在する国家は我らグリム王朝にノア王国。野盗の襲来を警戒してノア王国が秘密裏に騎士を送り込んだと考えても不思議ではない。メイギの強さを考えるなら、ノア王国最強の騎士団、アーク騎士団の可能性もある。だとすれば後一人くらいこのキョウカイに潜り込んだとしても不思議ではないな」
オーベンはグラスを見上げた。キョウカイに乗り込んだ自分たちに最早退路はない。
ノア王国が本格的に介入して来れば、今までの行いが白日の下に晒されるだろう。
故に早急に既成事実を作る必要がある。キョウカイシティの住民は野盗に虐殺され、その仇をグリム王朝が取ったという事実が必要である。その後の工作などどうでもなろう。
死人に口なしである。これでキョウカイの豊富な資源はグリム王朝のものである。
「まだこの街に騎士がいるとすれば、早急に対処する必要があるな。いや騎士ごとこの街を血で染め上るか……。このグラス・ヒールで」
オーベンが口角を吊り上げ、悪魔のごとき笑みを浮かべた時である。
“グラス・ヒール整備終了。機動OK”
シュミートの声が響いた。それは福音そのものに聞こえた。
オーベンに間違いがあったとすれば、仮面の騎士を倒した者を騎士だと断定した所である。
騎士を倒せるのは実力からいっても騎士だけ。それは常識である。
しかし常識を逸脱した者はいつだってこの世にいる。
月の光が街を照らしていた。深く、息の詰まりそうな夜である。
男のうめき声と共に、血が斜めに飛び散っていた。
その血が、白い肌にかかる。
皮膚はきめ細かく、艶があり、何より美しかった。か弱い女の肌である。
「私の顔を汚すなんて、気絶しても尚、忌々しい奴らね」
アンナは忌々しいと言った口ぶりでその血を拭っていた。
彼女の大きな瞳と、長い清らかなまつ毛を見れば、妖精か天使かと見間違えそうにもなる。
幻想的であり神々しいのだ。しかしそんなアンナの気持ちは憂鬱である。
「グリム王朝は仮面の騎士を送り込んでいた。この住民を皆殺しにして、口封じするつもりね。そしてすべての罪をメイギに被せて、事態を収めたグリム王朝がここの自治権を得る。多少強引だけど、何もしていないノア王国がしゃしゃり出る、場面はない、か」
そんなことはどうでも良かった。ここの住民の生死など興味はない。
「メイギ、大丈夫? 貴方の言うことは聞くけれど、すぐに助けに行けないのは、辛いのよ」
そう呟きながら、こめかみが痛むのを感じていた。それは殺意が近づいたことを意味していた。
「敵の戦力は不明、なわけではない。私の探知魔術を行使すれば、騎士の人数だって簡単に分かる。オーベンって奴と、後はこの感じから仮面の騎士は後一人いるのね。それにNFはグラス一機か」
合計二人のリッターと一機のNFがいることが分かった。アンナにとって造作もない事である。
巨人であるNFの探知は比較的容易ではあるが、人間サイズの探知は難しい。しかもその人物を見分けるなど数十人のマーギアの連携によってでなければなされる業ではない。
しかしアンナはそれをやってのけた。彼女の探知は正確であった。
そのようなマーギアだからこそ、仮面の騎士と戦って勝つことが出来るのである。
常識を逸脱した者。彼女はそのような存在であった。そして常識を超えた集団の一人。
こめかみの痛みが強くなる。そして背中を斬りつけるような殺意。
それに気づいた時には、アンナは頭から両断されていた。
輝かしい金髪が血で塗れる。
小さい頭が二つに割れる。脳が零れ落ち、アンナは崩れ落ちた。
「やったか」
そう声を漏らしたのは新たに現れた仮面の騎士であった。
仮面の持つ剣は血で汚れて、いない。
「やってないわよ」
どきりとするような。妖艶な声。子供の無邪気さと、悪魔の狡猾さの合わさった声。
アンナの声が大地から湧き出てくる。
「何だと、今切り倒したはずじゃないか」
狼狽した声を上げ、仮面の騎士は崩れ落ちたアンナの死体の方を見る。
だがそこには何もない。「何が起こっているのだ」恐怖のあまり数歩後ずさりしている。
幻術。“リューゲ・ゼーエン”それは術者の嘘を投影する魔術。
仮面の騎士はアンナの魔術によって幻を見せられていたのである。ではアンナは?
湿った、鈍い音がした。それは肉を貫く音。とほぼ同時に仮面の騎士はうめき声をあげる。
「私を殺そうとしたってことは、殺されてもいいってことよね?」
その甘い声はアンナである。アンナは仮面の騎士の背後に立ち、そして背中を手刀で貫いていた。
「でも殺さないわ。活かしておいてあげる。メイギを迎えに行くときに情報源は多い方がいいもの。まあその後は保証できないけどね。今はゆっくりと寝ていなさい」
ばたりと仮面の騎士が倒れる。
「これで残る脅威はオーベンとNFグラスのみ。でもNFを出されたら、私では勝てないわね。まあそしたら逃げましょう。キョウカイシティの皆さんには悪いけれど、メイギの居場所さえ分かれば別に……」
空が青白く光った。そして稲妻が落ちていくのが見えた。
「あれは召喚剣によってNFが降臨する時の光……」
アンナはさみしげに俯き、思い出す。
“お前はこの街を守っていればいいんだ!”
それはメイギの言葉。
「もう勝手なんだから」
寂しげな微笑を浮かべるとアンナは稲妻の落ちた場所に走り出していた。
「やらなければならないこと……?」
ブルーメはアランを見上げていた。
「お前はノア王国NFアークを見たいと言っていたな、見せてやる、凛を治してくれるお礼だ」
そう言うとアランは剣を高々と掲げる。
「世界を導け、カイゼル・オブ・アーク」
その叫び声と共に、落雷が落ちる。その衝撃音と輝きの中で浮かび上がるシルエットがある。
今まさにNFが召喚されたのだ。
「でもこれって……」メイギの前に降臨したNFをみて、ブルーメは疑問の声を漏らす。
「飛行機? NFは人型をしたものを言うのよ。でも召喚剣で降臨している?」
ブルーメはNFに関してスペシャリストである。
そのブルーメの目の前に現れたのは見たこともない形をしたNFであった。
そして彼女はこれをNFだと了承してはいない。
メイギが呼んだNFは巨大であったが、人の形をしていなかった。
それはまるで羽をはやした鯱のような姿をしていた。羽はまるでコウモリのよう。
ブルーメが飛行機の様だと言ったのも不思議ではない。
黒いボディに機首の尖った形状は異彩を放ち、実に攻撃的である。
「飛行機みたいだけどでも裏に顔がある。王冠を被った不思議な顔……」
飛行機の腹にあたる部分には顔があった。
それは王冠を被った、紛れもなくカイゼル・オブ・アークの顔だった。
NFであるかもしれないが、飛行機に見える。だがこんな飛行機は見たことがない。
両手にじっと汗が滲んだ。それは見たこともないNFを見たからではない。
奇抜な姿をしたNFなど、そんなことは日常茶飯事である。
だが“これ”は違った。装甲の各部から、フレームの隙間から、そして王冠を含んだその顔から溺れてしまいそうな程の圧倒的な力の奔流を感じるのである。見るだけで蹴落とされたのである。
「どこから召喚したの、こんなNF? こんなのが保管されていたら目立つに決まっている。でもアーク系のNFは極秘機密。今まで秘密を守ってこれたのは何故? 召喚距離の限界を考えれば、こんな目立つものを抱えて、アーク騎士団が秘密を守ってこれたとは思えない」
狼狽するブルーメを後ろに、メイギはカイゼルに乗り込む。
「じゃあ言ってくる。凛を頼んだぞ」
メイギはそう言うとカイゼルはゆっくりと離陸する。排気圧にとって地面に波紋が浮き上がる。
音はなかった。耳が痛いほどに静かであった。その中をカイゼルだけが動き、上昇していくのだ。
ブルーメには様々な思いがあった。凛こと、キョウカイシティのこと、そしてメイギ、アーク。
それらが荒れ狂う波の様に頭の中を駆け巡っていた。考えはまとまらない動悸は速くなる。
だが願いは一つであった。単純なものであった。ブルーメは自分が最も求める事を叫んだ。
「キョウカイシティを救って……私たちの街を守って、メイギ!」
瞬きをした。気づいた時にはカイゼルは流星のような速度で飛び去っていた。
NFが空を飛ぶなど珍しい事ではない。魔力を消費し浮遊することもできるし、加速することもできる。空中での自由飛行でも他の兵器の追随を許さない性能を発揮するのだ。
だが空を飛ぶのは効率が悪い。空で戦おうと思えば膨大な魔力を消費してしまう。
大地に立ち、足の力を使い、踏ん張りを聞かせ、戦闘のみに魔力を集中させた方が遥かに効率よく強力な力を発揮できるのがNFなのだ。
NFそもそも走るだけで音速を超えるわけだし、召喚剣で呼び出せるから空を飛んで移動するメリットが薄い。飛ぶことで無駄に魔力を消費して、肝心の戦闘でエネルギーが不足する方が問題なのだ。
NFは魔力を使用しての光学兵器も標準搭載している。
戦闘機などを相手にする場合は、対空射撃で応戦すればよかった。
NFは音速で機動する砲台にもなる、戦闘機が敵う通りはないのだ。
だがNFは人型である。それがこの世界の常識である。
NFグラス・ヒールは戦慄すべき美しさであった。そして巨大である。
跪き、軒並みを押し潰す姿は圧巻だ。破壊された家々からは粉塵が舞っていた。
煙の中でグラスの肢体の半分は隠れている。だがその輝きは損なわれていない。
装甲のエッジの尖り具合はまさに刃。そこに佇むだけで、流れる風を裂くようであった。
グラスのフェイスマスクは緩やかな微笑を浮かべている。
笑みを絶やさずに刃物をちらつかせているかのようだ。
体を震わせる以外、このNFに対して出来ることはないはずである。
オーベンによって召喚されたグラスは跪いた状態で召喚され、そのままの状態でいる。
召喚時の衝撃によって街の一角が崩壊していた。
支柱をむき出しにした家があるかと思えば、熱い炎を噴き上げる所もある。
強い風が吹いた。パラパラと屋根の瓦が崩れ落ちて、今まさに一軒倒壊していた。
聞こえる音は、爆ぜる音崩れ落ちる音ばかりである。およそ平和な街に響くものではない。
眼をつむっていても事態の異常性が分かるはずだ。
グラスは動かない。5分ほどであろうか、別に策にあっての事ではない。
オーベンは愉悦に浸っていたのである。これから始めることに、である。
もともと気性は短い方である。そんな彼がグラスを2機準備し野盗に扮し、キョウカイへの暴力的な介入をしていったのである。時間のかかる事であった。
それもこれもこの日のため、キョウカイを奪うためである。
キョウカイの持つエンジェルジェムの鉱山を奪うことが出来れば、自分は王になれる。
最強兵器たるNFを大量生産できれば、誰も逆らえないほどの力を得られるのだ。
「気になるのはこの街に潜むもう一人のリッターの存在だ。仮面の騎士たちをことごとく倒したリッター。こいつがNFを持っていれば、危険か……俺の弟を葬ったカイゼルとかいうNFの存在もある。ククク最後関門として悪くはないな、NF戦こそ騎士の華、こい!」
オーベンの顔が暗く歪む。赤く、次第に黒ずみしだいに殺意そのものの顔になる。
にたりと笑い、白いぎらついた歯が光った。確かな直感があった。対決は近い、
突如、周りが白く瞬いた。と同時に、轟音耳を貫く。落雷か?
「なわけがない。この衝撃、このリズム、NFが召喚されたのだ!」
オーベンはグラスに臨戦態勢を取らせる。
グラスは立ち上がりメイスを構える。全身に取り付けられた刃すべてに殺意が込められている。
鈍く、それでいて鋭い光沢が、グラスを中心にして周囲に発散されていた。
輝いた場所、そこには初めて見るNFがいた。だが知っているNFであった。
「あれがリッシュの言っていたカイゼルか……王冠のNFはかっこいいよな」
目の前に佇むNFは王冠を被っていた。
白い装甲を纏い、コウモリのような羽を広げ、こちらを睨んでいた。
カイゼルと言うNFに間違いなかった。
「リッシュからの通信は途絶えている。カイゼルに乗っているのはメイギか? それてもまだ見ぬリッターか……。どちらでもいい、最後の決戦だ、カイゼルよ!」
グラスは地面を踏みしめ、前方に向かって跳躍。カイゼルに向かってメイスを振り下ろす。
圧倒的な圧である。見るだけで押しつぶれてしまいそうな一振りであった。
だが悠然とカイゼルはその攻撃を回避し、グラスの背後に回り込む。
「流石我が弟を屠ったNF、しかし気味が悪い、寒気を感じるが……」
オーベンは違和感を抱いていた。それでもグラスの動きは止まらない今度は回し蹴りを放つ。
巻き上がる風圧だけで軒並みを吹き飛ばす重い一撃。
それすらもカイゼルはかわし、今度は間合いの外まで距離を取っている。
先のグラスの一撃で吹き飛んだ家屋が雨粒のように落ちていく。
その衝撃音で街全体が震えている。
「怖気を感じるな。挙動が不気味すぎる。まるで幻覚を攻撃しているようだ、それに“静か”だ」
そうだ静かすぎた。オーベンの大好きな音がないのだ。
“人の絶叫が”まったくしないのだ。
街を粉々にしているのに!
グラスは双眸が怪しく光る。屈んだ姿勢を取り、右に飛ぶと大地に向かって強く殴りつけた。
地面を抉る攻撃だ。
舗装されたタイルと土砂が吹き上がる。まるで埋められた地雷が爆ぜたようである。
大地が痛ましいほどに膨れ上がっていた。
凄まじい爆音とともに、一人の悲鳴が木霊する。
「ようやく人の声がしたな……。静かすぎると思っていたのだ」
グラスは悲鳴の聞こえた場所に手を伸ばし、その巨大な手で“何か”を掴んだ。
その何かは透明であったが、触れた感触からその正体が人間であることは分かる。
さらに手の中には子供一人分ほどの空白地帯がある。
手の中に何かいるのは間違いない。見えない何かを掴んだ手に力を込める。
数秒の間と共に、その姿が露わになる。グラスが掴んでいたのは少女であった。
豊かな金髪が乱れていた。一本一本が光沢を持ち磨き抜かれた宝物のようだった。
髪の隙間から見える肌は白く冷たい。まるで粉雪のような肌……。
オーベンはその少女の正体を知っていた。スパイである凛から情報はもらっていた。
その絶世の美少女の正体は間違いなく。
「お前はメイギのつれだな。アンナ・アーミティッジ。まさか“マーギア”であったとはな」
気づけば先ほどまでいたカイゼルは消えていた。だが驚くに値しないこと、術が解けただけの事。
「マーギアなら幻術によってNFの幻を生み出せもできる。だが俺とグラスにそんなまやかしは通用しないぞ。他の住人をどこに隠したか! 奴らは死んで肥やしになってもらうのだ!」
ギリギリとグラスの手に力を込める。少女は甘美なうめき声をあげながら、
「みんな避難している。幻術を使えば簡単に操れるからね。当てが外れて残念でしたね。グリムの戦争屋さん」
「生意気を言う。だがいくら幻術を使えど、そうは遠くまで逃げおおせまい。……鉱山か、鉱山のどこかに住民を避難させているのだな、アンナ・アーミティッジ!」
「いちいちフルネームで呼ぶな! そんなことを教える必要はない」
「なら自分で探す! しかし馬鹿な女だ。一人で逃げれば、逃げ切れるチャンスもあったのにな」
「逃げる必要はない。私は時間稼ぎをすればいいだけ! 簡単な仕事よ!」
額に一筋の汗を流し、アンナは涼しげな眼を吊り上げた。
「時間稼ぎ? そんなことをしてどうなるというのだ!」
「メイギが来てくれる。王の翼に乗ってね……」
「王の翼?」オーベンの背筋に冷たいものが走った。それは刃にも似た殺気。
反射的に振り向く。
巨大な鯱? いやコウモリ? 見たこともない巨大な飛行物体が目の前を通り過ぎていく。
「なんだこいつは、戦闘機か? しかしみたこともないシルエット」
驚きからオーベンはグラスを一歩ひかせていた。
それが大きな隙を作ることになる。緩んだ手からアンナは脱出していた。
さらに謎の戦闘機の足元から伸びたアームがグラスの両肩を掴んだ。
その力で装甲がねじ曲がりそうになる。
歪な音がする。エンジェルジェムが加圧に耐えかねて、軋む悲鳴であった。
「なんだ? NFの装甲が歪んでいくのだ? あり得るのか?」
体を揺すってみるが振りほどけない。
グラスの肩部分も無論刃と同じである。だが刃とは引かなければ、相手を斬ることは出来ない。
引くという動きがあってこそ真価を発揮する。
完全に掴まれて身動きが取れない状態では意味がないのだ。
「お前はやり過ぎたよ、これで最後だ。だがここは狭い、アンナ、街の外まで転移させろ!」
戦闘機から聞こえる声には聞き覚えがあった。それはメイギ・ケニーヒ!
「なんだ、転移? 何を言っている? この戦闘機の力はなんなんだ? NFが力負けしている分けがないだろう、このグラス・ヒールは最新鋭機なのだぞ」
「それは戦闘機じゃないNFさね。敗北するお前には秘密を全部教えてやる。カイゼル・オブ・アーク、ノア王国の至宝、最強のNF! アンタはメイギを怒らせた。皇帝機を預かるメイギをね!」
屋上に降り立ったアンナは手を十字に二回きり、魔術を唱える。
「レベル最大! フォース・ヴァガン!」
グラスと戦闘機……カイゼルを取り囲むように、六芒星が二重に現出する。
その文様から溢れるのは恐るべき力の奔流。二機のNFを引き込み、さらには飲み込んでいく。
「なんだこれは? どうなっている! 究極兵器たるNFが逃げることも出来ないだと」
グラスを精一杯動かすが、六芒星の引力から逃れられない。
まるで渦潮に巻き込まれた、小舟のように吸い込まれるしかなかった。
「これは空間転移の魔術! 俺をどこに飛ばすつもりだこのアマー!」
叫んだ時には、視界は暗黒へと染まっていた。




