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第三の手紙

 その次の日、サチコからの手紙は来なかった。

 残念なような、ほっとしたような、よく分からない気持ちのまま家に戻り、それでも気になって、前の日の手紙をもう一度読んでみた。

 彼女は、僕に必死で信号を送っているのだろうか、と考えてみた。例えば彼女の会社に何かを伝えてほしいとか、その病院から退院する段取りをつけてほしいとか………。

 しかし、そのわりには、彼女が勤めていたという会社の名前とか彼女の入院前の住所とか、そんな具体的なことは何も書かれてはいない。そして、手紙の最後にも、「サチコ」と書いてあるだけで、フルネームすらわからない。

 それに、彼女に興味を持ったことは事実ではあるが、それ以上の関わりを持つべきかどうかもわからなかったので、僕は、返事を書くことも控えた。それは、もちろん、一体どんな内容の返事を書けばいいのか見当もつかない、ということもあったのだけれど………。

 ただ、僕自身、一週間後にはもう一度その病院に行くことになっていたので、もしかしたらまた中庭で話をすることになるかもしれない、とは思った。もちろん、どんな話をすればいいのか自信があったわけではなかったが、少なくともこの前よりは具体的に何か相談にのることもできるのではないかという気がした。

 その翌日、手紙がきた。


     ×   ×   ×


[第三の手紙]

 昨日は、久し振りに晴れた一日でした。こんな日を、普通の人達は、いいお天気の日といいます。確かに、お布団を干したりするのにはいいお天気に違いないのですけれども、何度もいうように私は雨の日のほうが好きです。

 晴れた日は、ここの施設の人達と一緒にお庭の仕事をします。雑草を抜いたり、新しい種を蒔いたり、枯れた花を片付けたりするのです。こういう作業があるから晴れの日が好きになれないというわけではありません。ただ、やはり、花壇の中で生きている「雑草」と呼ばれる命を抜き去らなければならないとき、とても哀しい思いをします。

 いったい、同じように命あるものを、誰が何の必要もないのに奪うことが許されるのでしょうか。

 それよりも、こうしてほかの生き物を殺めることなく、何も汚すことなく、だれにも迷惑をかけずに生きていける草たちを、私は心から羨ましく思います。 私たちは、いったいどれだけの尊い命を奪いながら一日一日を生きているのでしょうか。そして、それだけの犠牲のうえに得ただけの意義ある一日を送っているでしょうか。もしそうでないならば、人間というのはこの自然世界の中の何者なのでしょうか。


 また、この前と同じような話になってしまいました。

 こういうことは、きっと私だけではなくて、誰もが心の片隅に持っているのだと思います。ただ、そういうことをずっと考え続けていては、いわゆる普通の生活を送っていくことはできません。それこそ、こういう所で生活をして、食べるものと寝る場所が与えられているから、こんなことをあれこれと考えて、それを手紙に書いたりしている暇があるのです。

 こういったことが頭の中の全体を占めるのではなくて、頭の中に幾つかある引き出しの一つにしまい込むことができたら、そして、それ以外のことに思いを巡らせることができたら、そのとき、私は「社会復帰」できるのだということも分かっています。もう、昔の彼はとっくに新しい生活を始めているでしょうし、まさか会社も私を一生ここに閉じ込めておくことはないでしょうから、私がこの病院を出る障害となるものは何もないようにも思えます。


 でも、いまの私は、そうする気にはなれないのです。

 だからといって、今まで私がお手紙に書いてきたようなことをずっと考え続けたいというわけでもないのです。これは絶対に答えのでない問いであることは分かっています。もちろん、いろいろな人達がそれなりの答えらしきものを考え、本に書いたりしているのは知っています。でも、それは私にとっての答えにはなり得ないのです。

 ある先生は言います。何か夢中になれるものが見つかればそういう疑問は消えていって、あなたもこの施設の外で生活できるようになるかもしれない、と。そうかも知れません。

 いや、そうに違いないのです。でも、このような疑問というのは、要するに忘れているしか解決方法がないのでしょうか、それを思い出さずに毎日を忙しく過ごすということが、生きている、ということなのでしょうか。そのようにして私たちは一体何ができるのでしょうか。

 結局、元の話に戻ってしまうのです。もう、私には、この疑問の呪縛から逃れることはできないように思います。もし仮に元の職場へ戻ったとして、もう私は企画書を作ることにも、会議で議論をたたかわせることにも、大きなお金を動かすことにも本当の興味は湧かずに、そうしたことに一生懸命取り組んでいる同僚たちを、異星人でもみるようにぼんやりと眺めているしかしようがないような気がします。そして、一人でまた同じことを考え始めるでしょう。

 もう、私の住むところはこの塀の中にしかないのです。どうすればここから出て行けるかがわかっていても、もう、そうする勇気のようなものがなくなってしまいました。


 こういう話は、あなたにはご迷惑だと思います。

 だから、もうおしまいにしようと思うのですが、でも、もうほんの少しだけお付き合いください。

 今日は、また朝から雨が降っています。雨の日は、庭の木々や、草花たちは本当に生き生きとしてきます。いつもより鮮やかな色になります。そして、よく見ると、小さい水滴が葉のうえをすべってはそのさきで宝石のように輝いています。それは、何の罪も犯すことなく一生懸命に生きている者たちへの、天からの贈り物です。そういうものも、何かに追いかけられるようにして駆けていた頃にはまったく見えず、ここにきて、心の中を空っぽにして初めて見えてきました。

 窓のすぐ外に見える紫陽花も、降りしきる雨の中で本当にうれしそうです。そして、そのまわりの草花たちや、それを見下ろす木々たちの喜ぶ声が聞こえてくるようです。


 あなたも、私にとっては、雨だったのかもしれません。

 唐突に、勝手なことをいってごめんなさい。でも、きっとそうなのです。私は、あなたに感謝しなくてはいけません。

 私は、ここのところ、こういう私の考えていることを、世界の中にたった一人でもわかってくれる人がいればいい、その人に向かって胸の中を伝えてみたい、と思っていました。そして、あなたにお会いしたとき、あなたなら、こういうことを考えている私のことを、ほんの少しでも、しかし回りにいる誰よりも、理解していただけるのではないかという気がしました。そうして、そのあなたに向かって、私は手紙を書いてみたいと思いました。

 でも、同時に、もしあなたもそのようなことを考え始めたら、それはあなたの今の生活を変えてしまうかもしれないという心配もしました。だから、私の手紙をじっくり読んで共感してほしいと思うと同時に、つまらない手紙だと思って破り捨ててくれたほうがいいのかもしれないとも思いました。そうであれば、お手紙を書くべきではなかったのかもしれませんが、あなたなら、私の気持ちは理解してくれた上で、その手紙を握り潰してまた現実の生活に戻って行ける方だと信じて、つたない手紙を書くことにしました。

 そうして、この何日かの間、私は、一方的ではありましたが、自分の思うことを伝える相手がいるということで、そして、その人に向かって自分の気持ちを伝えているのだ、ということによって、今までにない充実した日々を過ごせたような気がします。


 私は、とんでもないことなのですけれど、自分では強い人間だと思っていましたので、今まで、あまり他人を必要としたことはありませんでした。そして、自分の本当の心の中は、できるだけ他人には見せないようにして生きてきました。しかし、今回の経験で、やはり人間はたった一人では生きて行けない、自分を理解してくれる人が必要なのだ、と思うようになりました。

 もちろん、これは、一種の疑似体験です。いや、まったくのフィクションかもしれないのです。なぜならば、あなたが実際に私の書くことを理解してくださっているか、共感していただいているか、本当のところはわかりませんし、私の手紙が実際に読まれているかも、開封されているかすらも、私にはわからないからです。

 それでも、私は、少なくともあなたが誠実に読んではくださっているものと信じることにしました。そういう想定のもとで、私は自分の思うことを心ゆくまで語らせていただきました。手紙という手段を選んだのも、お返事はいりませんと言ったのも、そのためです。そうすることによって、私は、反論もされず無視もされずに、あなたという人が私の語る言葉を受け入れてくださっていると信じ込めることができて、そうして初めて、私は素直な気持ちで、自分の思うことを語り続けられると思ったのです。


 そのようにしてモノローグを続けていく中で、私は、自分が書いてきたこととは裏腹なようですが、やはり人はだれにも頼らずに生きていくことはできなくて、だれか自分を本当に理解してくれる人を探さなくてはいけないのだということに気がつきました。私のこれからの人生は、まずそこから始めなければならないとさえ思いました。

 でも、私は、それをあなたに求めようとは思いません。どんなに願ったとしても、そして、ひょっとするとそれが一番の早道であるかもしれなくても、そうしてはいけないのです。もし、私がもう一度あなたにお会いしたとして、その時、実はあなたは私のことをまったく理解してくださってはいなかったということがわかったら、私はどれほどの絶望感を経験しなければならないでしょう。私が今ようやく辿り着いたところが、足元からぼろぼろに崩れていってしまうのです。

 だから、これを最後の手紙にします。そして、もう、お会いすることもないでしょう。でも、手紙を書き始めた頃にはまったく予想もしていなかったことを、突然のように私に気づかせてくださったあなたに、いま、私は、心から感謝しています。どうもありがとうございました。

 あなたも、お元気でお過ごしになられることをお祈りいたします。

 さようなら。

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