第二の手紙
その翌日、また僕のデスクには白い封筒が置いてあった。
僕は、この前病院の中庭で彼女に会ったときも、そして夕べ彼女からの手紙を読んでいるときも、何か、僕をつつむ空気がいつもとは少し違うような気がしていたので、その日も、その手紙はすぐに読まずに、眠る前に初めて開封した。
× × ×
[第二の手紙]
今日も、朝から雨が降っています。朝、ベッドの中で雨が屋根を叩く音を聞くと、なぜかわかりませんが、ほっとした気持ちになります。こうした施設の中の小さな部屋にとじこもって一日を終えることに対する罪悪感が、少しだけ和らぐような気がするのです。
天気のよい日に、輝くばかりの太陽を見たり、空を飛んでいく鳥や、そして飛行機、そう、それはこの病院の中から見える唯一の社会的な営みなのかもしれませんが、そんな物を見ていると、ここにこうしている私がいたたまれないような気がしてきます。それは、ヒマワリとか、カンナとか、そんな、いかにも元気に生きてます、っていう感じのお花を見たときも同じです。そこへいくと、紫陽花は心を許せる友達のような花です。けっしてこんな私のことを責めたりはしません。
今日は、もう少し私のことをお話ししてみます。
私は、三年前に大学を卒業し、ある大手の企業に就職しました。いわゆる女性総合職という身分で、回りにいる同期の女の子たちが制服を着てお茶を汲んだりコピーをとったりしている中で、自前のスーツで男性社員と同じように会議に出たり、社外の人達とも会い、桁の大きなお金を動かし、その代わり、随分と残業もし、気の進まないお付き合いもしたりしていました。でも、毎日のピンと張り詰めた緊張感が心地好く、こんな大学出たての女の子にいろいろなことを任せてくれる、というのが何とも嬉しくて、夢中で仕事をしていました。実際、仕事の質も量も同期の男の子たちにはけっして負けませんでしたし、試験やコンテストがあるといつも上位にいてみんなの羨望を集めていました。
そんなある日、ふとしたことから同じ職場の五年先輩の男性と話をすることがあって、いろいろなこと、そう、会社や仕事への問題意識や趣味の面でも共通する点の多いことに気がつきました。子供っぽい同期の男の子たちに物足りなさを感じていた私は、自分の考えをぶつけることができ、それを受け止めてくれることのできる人、という意味で、急速にその先輩に引かれていきました。彼も自分の世界を持った人でしたし、私ももちろんそうしたお付き合いと仕事を両立させてやっていくだけの余力がありましたので、しばらくは、夜、飲みにいって、あれこれと話をしたりしていましたが、そこはやはり男と女です。いつのまにか深いお付き合いになっていきました。
ただ、私は、やっと仕事がおもしろくなりかけてきたところで、まだ本当の仕事ができるのはこれからだ、と思っていましたし、彼も、普通の家庭を持って小市民的な幸福を求めるのはごめんだなどと言っていましたから、すぐに結婚を考えたわけではありませんでした。でも、二人で会って一緒にいる時間、同じテーマを巡ってお互いの考えを言葉にしてやり取りしている時間というのは、なにものにも代え難い充実感のようなものを与えてくれていましたし、彼も同じ考えであることがわかったので、普通の、そう、私が会社を辞めて家庭に入り主婦をして子供も産んで、というのではなく、お互いの仕事や趣味や人間関係はそのまま尊重し、対等なパートナーシップを保ちながら、二人の時間をより多く取るために共同生活する、そういうような形の結婚ができないかどうか、そんなことを二人で考え始めました。
そんな毎日が三か月程続いたある日、彼は、いつもと違う調子で、話があるから時間をつくってくれ、と言ってきました。そうして聞かされた話は、会社の重役の薦めでその娘さんと結婚をすることにしたから私との付き合いはここまでにしたい、というものでした。
そのこと自体はよくある話かもしれませんし、私のほうでも、なんとなく、彼とは最終的にはうまくいかないのではないか、といった予感のようなものがありましたので、自分でも意外なくらいに驚きはしませんでした。そして、どんな形であれ、結婚をするということにもまだ漠然とした抵抗のようなものがあったので、それはそれとして受け止めて、またもとの生活に戻るつもりでいました。正直なところ、ほっとした気持ちすらありました。
ただ、彼が決めた結婚は、それまで何度となく私に語ってきた彼の理想、生き方とはまったく違うものだったので、人の気持ちというか考え方というのはそんなにも簡単に変わってしまうのか、それだったら、一体何を信じて生きていけばいいのか、という疑問が残りました。そして、今まで二人の間に交わされてきた会話はまったくの虚構であったのか、それによってあるときは勇気づけられ、あるときはつまらない悩みを発散させ、あるときは自分の考えを理解してくれる人がいることを知って喜びを感じてきた、そのように生きて来た私はなんだったのだろう、と思いました。
そんなことを考えているうちに、私は、彼も迷っているのではないか、周囲のおしつけや一時の思い込みで彼の信念に背く決断をしようとしているのではないか、そのような結婚をしても彼は将来必ず後悔することになるのではないか、そして、もしそうであるならば、それに気づかせてあげるのが私の役目ではないか、私と一緒になるということはもう全然別としても、彼の目を覚ませてあげることが、今、彼のことを一番よくわかっているはずの私に与えられた義務なのではないか、と考えました。
でも、私のほうから会う時間を作ってもらってそのことを伝えたとき、彼は明らかに迷惑そうでした。彼の頭の中は、すでにその重役、それは次かその次の社長になるというのが周囲の共通した見方でしたが、その人と姻戚関係になって会社の上層部に上り詰めていくことしかなかったようです。確かに能力のある人でしたから、そのような役回りを演ずる人に選ばれても不思議はありませんでした。
彼は、私のほうに未練があるように誤解したのでしょう、君には申し訳ないことをした、と謝り、しかしもう二度と会わないでくれ、というようなことを言いました。私は、自分の伝えようとしたことが彼にまったく理解されず、ひどく寂しい思いをしました。そして、そんなふうに変わってしまった彼を見ていたら哀しくなり、生まれて初めて、男の人の前で涙を見せました。その涙も、たぶん誤解されたのでしょう。
それから数日後です。私は会社の上司に呼ばれ、健康診断の一環として病院に行ってみてくれ、と言われました。定期検診は終わったばかりだったし、別に体に不調はありませんでしたのでそのように言いましたが、入社して二年以内には全員が受けることになっている、というようなことを説明され、すでに訪問日まで指定されていました。そうしてやってきたのがこの病院です。
私は、ここの門を通った時、悪い予感がしました。でも、いわば社命ですので、言われたとおりに医師の質問に答え、テストのようなものをやらされ、脳波検査を受け、そして、即日入院の手続きがとられました。
そのときは、もちろん抗議しました。なぜ入院の必要があるかの説明も求めました。しかし、心の病いは自覚症状がないのが普通であること、今私は非常に不安定な状態にあること、入院といっても二・三日様子を見るだけであることなどを聞かされたまま、すべてが進んで行きました。
その日から、今までとはまったく違う生活が始まりました。目覚し時計を幾つもかけて起き、どんな小さなスキも見せないようにお化粧をし、戦場に行く兵士のように身支度を整え、満員電車に揺られ、大勢の人の中で緊張し、背伸びをし、虚勢を張り、自分の能力をフル回転させてきた、そういう日々とは正反対の、淡々とした毎日が続くようになりました。
ただ、今思い起こしてみても不思議なのですが、どういうわけか、そのような生活に突然投げ込まれたショックというのはすぐに消えていって、そうして、この施設での生活のリズムが私の中を流れ始めました。
それは、もしかすると飲まされた薬のせいではないか、などと考えてみたこともありましたが、やはり、そのとき私は、本当に疲れていたのかもしれません。確かに、私は、全力疾走をしていました。
いったん仕事を離れてみると、べつに私がいくら頑張ってみても、そう、私が立てた企画が採用されたからといって、あるいは、大きな契約が取れたからといって、この世の中は何も変わりはしない、実は何の役にも立っていなかったのだということに気がつきました。そのようなことに私の時間のほとんどを費やし、持っているエネルギーの大部分を注ぎ込み、一喜一憂しながら神経を磨り減らせてきたことに、一体どんな意味があったのだろう、と思いました。 そして、そういうことに快感を覚えながら夢中で生きてきた私がかつて存在していたことが信じられなくなり、私の一生というのはそういうことをするためにあったのかどうか、でも、もしそうでないならば、ほかになにかやるべきことがあるのかどうか、まったくわからなくなりました。
そんなことを医師の先生に話してみると、だからあなたはしばらくここで治療を受けながら生活してみる必要がある、というようなことを言われました。そして、そのとき私は、確かにそのとおりだ、と、納得できたような気がしたのです。
ちょっと長くなりました。私も疲れましたので、今日はこのくらいにします。それでは、また……… かしこ