赤い飛行艇
とある映画から影響を受けてかいております。
ざぷん。波と雲が揺れる。少女の小麦色が透明に染まる。
春の陽気はソーニョを海に堕とした。
ソーニョは列車の窓から空を眺めた。わたがしみたいな雲がぽっかりぽっかりと青い波に揺られている。青いキャンバスに浮かんだわたがしは、青に染まることなく凛とした純白を貫く。神々しくみえるほどだ。
久しぶりの列車だ。海みたいに青い列車に歓喜していたのは何年も前の話。祖母の家によく通っていた。あれから大分経つ。あの頃抱いていた憧れの特別列車に乗り込んだ時のふわふわした気持ちはどこに飛んでいったのか。ソーニョの関心はもう列車にはなかった。
ソーニョは空が好きだ。暇があれば空を見て、天から降り注ぐ光をしんしんと浴びた。ソーニョは青い空よりも水色の空が好きで、また白い雲より青空にすっとに溶ける淡い雲と、灰色に少し濁った雲が好きだ。
「んー、いい気持ち」
彼女の趣味は日向ぼっこである。よく祖母と草原に寝ころがって空を見た。寝転んで見る空が一番綺麗に見えるのだと祖母に教えてもらった。それからよく寝転がっては服を汚して母に叱られた。たくさん殴られて頭の上に星が浮かんだけれど、それでも空を見るのをやめることはなかった。
そう、今日のおつかいの内容を忘れるところだった。ソーニョは三つ山の超えた先に住んでいる祖母に母の育てた苺を届けるのだった。
祖母のことは好きだ。だからといって母のことがきらいなわけではない。
祖母は優しかった。そして学のないソーニョにたくさんのことを教えてくれた。本をたくさんくれたり、母にだまっていろんなところへ連れて行ってくれた。祖母といる時間は金平糖が舞うようだった。キラキラして甘くてのんびりした穏やかな時間。時を忘れ自分らしく笑うことができた時間。今は離れて暮らしているけれど、本当はまた祖母と一緒に暮らしたい。ソーニョはそう願っていた。
ゆったりとした列車の揺れはお昼のサンドウィッチを食べ終えたソーニョには酷だった。春のあたたかさは眠気を誘う。こっくりこっくりと頭が揺れる。
寝てしまってはだめだ、お母さんにまた叱られる。
必死に眠気と戦うソーニョのことも見ず知らず、春の陽気はソーニョを夢の世界へ誘い、そしてついには海に堕としたのである。
目が覚めて周りを見渡すと、そこは海の底だった。ソーニョの目の前に広がるのは、一面の青。目に眩しい青。空よりもずっと透明で明媚で青々としている。
ここはどこ? どうしてわたしはここにいるの?
おとぎの国に迷い込んだ少女のようにソーニョは思った。
不思議と息ができる。そして目も見える。水の中という窮屈さがない。これは夢なんだろうか。
上空に浮かぶ花に手を伸ばした。届きそうになかったがごぽごぽという音がすると、身体が自然に上に浮かんだ。手を伸ばした先に花がやってくる。黄色くて花弁が五枚しかない珍しい花は、それはもうゆらゆらと海の中を泳いでいた。
そういえばなんだか足が窮屈で自由に動かせない。同時に一つの方向にしか足を動かせない状態になっている。今思ったがソーニョは泳ぐことが苦手である。水も然りだ。なのにどうしてこんなに息ができて目も見えて、なんなら浮かんでいられるのだろうか。不思議に思い自分の体を見下ろしてみた。咄嗟に口を手のひらで覆う。悲鳴を上げそうになったからだ。太ももは碧くうろこのついた皮ふになっていた。つまり、魚のようなひれになっていた。足がひれに変わった。
「あ、見つけましたよお嬢さん!」
マンダリンオレンジみたいな色をした魚がこちらに走ってくる。いや、泳いでくる。せわしない仕草で、ソーニョの周りを何回も回ってから、黒い真珠みたいなくりくりした瞳をソーニョに向けて、彼はこう言った。
「お嬢さん、どうして洋服など身につけておられるのですか! 脱いでくださいはやく」
魚は口で服をしっかりと噛むと、ソーニョの着ていた洋服をぐいぐいと引っ張った。やめて、とソーニョは引き止めるが魚の力は意外にも強く、一瞬の隙を突かれて彼女の洋服は水と泡の流れに沿ってどこかへ揺られていった。手で胸元を隠したが、きちんと貝殻で隠されるべきところは隠されていたので安心した。だが、普段見せないおへそがあらわになっているのはとても恥ずかしかった。ソーニョの耳が真っ赤なのも見ず知らず、魚はペラペラと説教を始めた。
「いいですかお嬢さん。一人でどこへでも行かないでください。ここはとてもいい所ですが危険も少なくないのですから」
「あ、あなただれなの?」
「なにをおっしゃっているんですか。クルトですよ」
マンダリンオレンジ色の魚、クルトはひれを広げてその場でくるりと回って見せた。なぜだかよくわからないが、このままではこの魚にどこかへ連れて行かれそうな気がした。そうなったらもう自由に海を泳げない。そんな気がした。
「じゃあクルト。ごきげんよう」
ソーニョはひざを曲げ恭しく可愛らしいお辞儀をした。それからびゅんっと一気に上に上っていく。上へ上へ、とりあえず海面まで、それから先は後から考えよう。とにかくこの海から出たかった。
足をばたばたさせるたび、泡が身体中を覆って気持ちいい。正直ソーニョの心は上へ上へ向かっていく度踊っていた。全速力で海を泳ぐのがこんなに気持ちよくて楽しいものだとは知らなかった。こんなにも自由な広い世界を一人でどこまでも泳いで行けるなんて、夢のようだった。
すれ違うさまざまな魚やカラフルな水くらげ、中には大きな魚までたくさんの海の生き物に巡り会った。くるくる泳いでは魚たちが寄ってきて、一緒にダンスを踊ってくれる。サンゴに触れると小さい魚は逃げ出して面白かった。
ソーニョの目の前に広がるのは彼女の知らない世界だった。新しい世界。自由な海。ソーニョは水の流れに沿って上へ上っていった。目を瞑るとぽこぽこと泡の音が聞こえる。魚の歌声やサンゴや貝殻のささやかな音もプラスして、海全てが音楽を奏でてくれる。それはまるでソーニョを歓迎してくれているようだった。ソーニョは久しぶりに心から笑った。
ついに海面まで上がってこれた。顔を出すと、そこには変わらない青い空があった。ほっとした。空がある。それだけでこの世界を信じられるような気持ちになった。空は快晴だった。ムラがない一面の青に白は混ざっていない。
風が気持ちいい。風はソーニョの小麦色の髪をふわりふわりと揺らした。この小麦色の髪は祖母譲りだった。母は藍色なのでソーニョの小麦色は母からは嫌われていた。でもソーニョはこの髪の色が好きだった。母の藍色も好きだった。
海から顔だけをだして、少し散歩してみた。近くにあまり建物はなかった。岸辺には大きな岩と砂浜だけがある。岩と岩に挟まれた隙間から砂が海に溶けていってそれはもう美しかった。星屑のような砂は金色に輝いた。
空に小さく赤色のなにかが見えた。目を凝らしてよく見てみるとそれは空を鳥のように飛ぶ飛行機だった。ソーニョの視線はそれに釘付けになる。
「飛行機だ……いいなぁ」
空に憧れる少女は空を自由に飛びまわれる羽がほしかった。空を飛びたかった。ゆえに彼女は飛行機にも憧れを抱いている。いつか、いつか空を飛びたいと思っていた。
赤い機体にくるくる回るプロペラ。大きな機械音と風を切る音。全てがソーニョの心を躍らせた。わくわくしてたまらない。どんな気分なんだろう。気持ちいいだろうなぁ。ソーニョは遠くて広い憧れの空に手を伸ばした。
しばらくするとそれは水面着陸した。大きな音を立ててプロペラは回る。水を跳ね上げて豪快にそれは止まった。赤い機体は飛行機ではなく飛行艇だったのだ。好奇心をとめることができないソーニョは目を輝かせてそれに近づこうと水の中にもぐった。
「お嬢さんいけませんよ。人間と関わるなんて」
クルトが眉間にしわを寄せた顔をしてついてきた。人間は人魚を嫌っている。逆も然りだ。所詮は住む場所が違う。生活が違う。考え方も全て。クルトはしつこく言葉を紡ぐ。せっかく近くに飛行艇があるのに見に行くことができないなんて、もったいないと思った。でもクルトの必死の説得にそれを押しのけてまで近づこうとは思わなくなってしまった。一気に膨れ上がった期待は風船のようにしぼんでしまう。せめて岩の陰からでもそっと機体を眺めよう。そう思った。
上半身だけを陸に上げているだけなのに、しばらくすると身体はじりじりと痛んできた。おそらく太陽の光があまりよくないのだろう。のどの潤いも奪われ、息も苦しくなってきた。
「海へ戻りましょう。また陸へは来れます」
「いやよ。飛行艇を見ることができるのは今だけなんだもの」
わがままを言った。クルトはソーニョの身を案じてくれているのに。
ゴーグルをとって、大きく伸びをした飛行艇乗りは青年だった。年はソーニョと変わらないくらいで、金色の瞳が印象的だ。彼は厚手の手袋を脱ぎ、手を海の水へ滑らせる。海の水の冷たさに彼は顔を歪ませ笑っていた。飛行服の裾をまくってぱしゃぱしゃと水遊びを始めた青年はなんだかとても優しくみえる。ソーニョは息を潜めるのも忘れて、そっと彼を見つめる。ソーニョは年の近い友達がいなかったのでなんだか新鮮に感じた。
クルトはむすっとした顔でソーニョを責めるように見つめた。
「お嬢さん」
「やだ。わたし飛行艇なんて初めてみたのよ! どうやって乗るのかしら」
「人間に見つかっては捕らえられてしまいます」
「だいじょうぶよ、距離があるもの」
「しかし、」
クルトとの口論が絶えない。クルトがあまりにもしつこいので声が少しずつ大きくなる。終には青年に声が聞こえてしまった。
「声がする、」
どきっとした。飛行艇の乗り手に見つかってしまった。飛行艇に立ち上がり、辺りを見回す姿を見たクルトはびっくりして、海の中にもぐりこんだ。ソーニョもこの人魚の姿を人間に見られるのは恥ずかしくたまらなかったので、岩陰に潜んで様子を見ることにした。
青年は飛行艇から近くの岩にひょいひょいっと飛び乗って、辺りを探す。見つかってしまう、そう思ったときにはもう遅かった。青年の瞳がしっかりとソーニョを捉えている。まっすぐ見つめられたソーニョは石のように固まってしまった。殺されたりしないだろうか。見つかってしまってからとても不安になった。しかしソーニョの心配は杞憂だったようだ。金色の髪をした青年は少し驚いた顔をしてから、にかっと太陽みたいに笑う。
「ふふ、面白い顔。だいじょうぶ、なにもしないよ」
緊張した顔を見て笑われたけど全く腹は立たなかった。
「おどろかないの?」
「人魚なんてよく見るよ。すぐ逃げちゃうけどね」
とりあえず命は大丈夫なようなので安心した。大きなため息が出る。
「おれはスペランツァ。きみは?」
「……ソーニョ」
「いい名だね、よろしく」
スペランツァは人懐こい青年だった。気さくに話しかけてくれたので緊張は次第に溶けていった。間近で見ると頬に黒いすすがついているのがわかってとても愛らしく感じた。彼は祖母の隣に住んでいるおじいさんのペットであるドッグによく似ていた。笑顔になると八重歯がはっきり見えるのがそっくりだ。
ソーニョは彼の飛行艇を優しく撫でた。機体は赤くて冷たくて、ところどころ螺子があった。こんな鉄の塊が空を飛ぶのか。なぜだかわからない。不思議に思う。
「飛行艇、乗れるんだ」
「うん。空に浮かぶとさぁ、すっげぇ気持ちいいんだぜ」
青年は嬉しそうに言った。空はどんなふうなんだろう。ソーニョは速く脈打つ胸に手を当てながらたくさん質問をした。自分でも頬が紅潮しているのがわかった。
「雲の上とか、いった?」
「おう。よくいくぜ。雲の上はさいっこう!」
嘘のない彼の言葉はソーニョの心にすっと染みてくる。憧れが一段と膨れ上がった。スペランツァはどんなソーニョの質問にも快く答えてくれた。彼自身の体験の話や先輩の飛行艇乗りから教えてもらった話まで、面白おかしく話してくれた。ソーニョは時間も忘れて、陸の苦しさまでも忘れて彼の言葉に耳を傾けた。
「いいなぁ。わたしもいきたい」
ぽつりとソーニョは呟いた。自然とこぼれたため息のような心からの願いだった。飛行艇に座っていた青年は手袋を握り締めて答えた。
「連れてってやりたいけど、おまえ人魚だもんな」
「……」
ソーニョはなんともいえない笑みを浮かべた。本当は人間なんだけど、なんて言えない。人間だったなら乗せてもらえたんだろうか。自分の運の悪さを改めて実感した。スペランツァは手袋をきっちりとはめ、すくっと立ち上がった。帽子のつばを握り、きゅっと深くかぶりなおすと飛行艇乗りの凛とした顔に戻っていた。
「じゃ、おれいくな」
「うん……あ、待って」
スペランツァの赤く焼けた左頬に手を伸ばし、薄くのびた黒いすすを指でぬぐってあげた。彼の頬はじんわりと温かくてその熱がソーニョの指にまでうつってしまった。ひりひりと皮膚が痛い。すっと水に浸かるとスペランツァが遠くなった。
もう逢えないよね、
ソーニョはまた彼に会いたかった。
「取れたよ、またねスペランツァ」
しぼむ気持ちを隠してソーニョは笑う。母にするように嘘をつく。嘘をつくことに抵抗がなくなってしまった。それは恐ろしい慣れだ。ソーニョは手を握った。少し震えていた。その震えが止まる。スペランツァがソーニョの細くて華奢な腕をきゅっと握ったからだ。
「……ソーニョ、またおれたち会えないかな」
予想外の返事だった。スペランツァの顔を改めてみると、彼の顔は紅くなってまるでトマトみたいだった。ソーニョは嬉しくなって大きく首を縦に振った。
人魚の街はとてもいいところだった。彼女の両親だという人も居た。人のぬくもりというものをソーニョは知った。次第に友達もでき、毎日不思議なところや海底の奥底の暗いところでかくれんぼをするのを楽しんだ。海の中の生活はとても快適だった。毎日新しい発見があって、綺麗なものもたくさんあった。空のように広くて青くて冷たくて、泡は美しく、幾度も形を変えてソーニョを楽しませてくれたので、ソーニョは海が大好きになった。
ここでは帰りの時間にうるさい誰かはいなかった。帰る時間が少し遅くなっても晩ご飯はきちんと用意されていた。けがをしてもきちんと手当てをしてくれた。この海の下の世界では家族はソーニョを傷つけるものではなく、ソーニョを愛してくれる存在だった。
海岸でスペランツァと話す機会も増えた。彼がいない時は空を何時間でも眺めていた。青い空に映える赤がやってきて、旋回してソーニョに挨拶してくれるのが、彼女のお気に入りだった。しばらくすると赤は海へ降りてくる。スペランツァは今日の空はどうだったとか、これから雨が降る、なんて予想までしてくれた。空から見るソーニョも可愛いな、と言われたときは顔から火が出るほど恥ずかしかったがとても嬉しかった。
ある日街を歩いていた。目的もなくただぶらぶらと暇つぶしをしていただけだった。店先に並んだアクセサリーの一つが目に留まった。とても綺麗なネックレスだった。
「これは……苺?」
金色の苺だった。なにかを忘れていると直感した。大切なことを忘れている。思い出さなきゃ。思い出さなきゃ。ソーニョの心が焦る。どくどくと心臓が揺れ動く。揺れる……列車?
そう、思い出したのだ。自分は人魚ではなく人なんだと。海の底ではない、陸でもない、もっと違うところに住んでいたのだと。そう、おばあちゃんにかごいっぱいに詰められた苺を届けに列車に乗っていたのだ。じゃあ、これはぜんぶ夢なのだろうか。この幸せな海の下での生活が、スペランツァとの時間は全て幻だったのか。
「ちがうよ」
どくんと胸が高鳴った。心の奥底で望んでいた答えがもらえた。ちがっていてほしい。夢だとは思いたくない。本来自分がいるべきではない場所をソーニョはとても愛してしまった。人魚である彼女が陸の上の男に恋をしてしまった。
「淡い恋だね。でもお前さんのその恋は、人魚と人間の間に生まれたようなひと時の恋ではない。きちんとあんたがあの青年自身を好きになった。その証がこれだよ」
黒いローブに身を包んだ老婆が金色に光る苺のネックレスをソーニョの手のひらに乗せた。金色に光る赤い苺。ああ、なんて彼みたいなんだろう。ソーニョはそれをとても愛おしく感じた。
「おいで。いいことを教えてあげよう」
老婆は皺の寄った細い腕でソーニョの手を引いた。
「よく思い出したね。思い出さなかったまま、今日を過ぎればお前は一生前の世界には戻れなかったんだよ」
「えっ」
「ふふ、お前は運がいいね。選ばせてあげよう」
老婆は少女のようにくすくすと軽快に笑った。
「さぁ、お前さんはどんな未来を選ぶかね」
苺のネックレスを左右に振りながら老婆は楽しそうに言った。この人は何なのだろう。本当に信じていいのだろうか。
もう自分がどこにいるのかもわからない。ここは海なのか、陸なのか。真っ暗で冷たくて、風が吹いている。空を見たい。スペランツァの顔が見たい。ここはなぜだか淋しい気持ちになる。
しゃらんしゃらんと音を立てた苺は右の方向で止まった。老婆は口を開く。
「右へ行けばこのまま人魚の生活を続けることができるよ。お前はずっと人魚のままだ。今までみたいに愛しい男の下へもいける。幸せな未来だろう」
その時思った。自分は元の世界に戻りたいのだろうか。スペランツァもいない、クルトも両親も人魚の友達のいない、母しかいないあの家へ、戻りたいと思っているのだろうか。
老婆は次に左へ苺を動かした。
「左へ歩くと海の上、飛行艇の少年とともに生きる未来が待っている。お前は人間になれるよ。彼といつも一緒さ。けれど、海には戻れないよ。もちろん元の世界へも」
シビアな選択だった。でもこのふたつなら、ソーニョは間違いなくあちらを選んでいた。
「さて最後は真ん中の道さ。この奥をずっと真っ直ぐ歩いていけばお前は元の世界へ戻れるよ。列車の中で目を覚ますだけ。おばあさんのところに真っ赤な苺を届けるのさ。素晴らしい未来だね」
老婆は笑った。それが不気味なようにしか見えなかった。
ソーニョは迷っていた。理性が思いをとどめていた。
「ねえおばあさん。わたしがいなくなった世界はどうなるの?」
「なにも心配することはいらないよ。滞りなく世界はまわる」
つめたい言葉だった。でも決心することができた。自分がいなくても世界はまわるなら、なにも問題はいらない。幸せを掴んだっていいじゃないか。いつも表情をうかがってびくびく震えていた、あんな息が詰まるような世界にはもう戻りたくない。一人は嫌だ。一面の青に包まれていたい。金色の苺はきっとわたしを守ってくれる。
「わたしは……」
道を選んだ。もう迷いはしない。老婆にもその思いは伝わったのだろう。金色の苺はソーニョのもとへ戻った。おかえり、ソーニョがそう呟くと金色の苺はもっともっと輝いて、そしてそれは空に浮かんだ。くるくると旋回した苺は老婆を通り過ぎて真っ直ぐ奥へ進んでいく。ソーニョは駆け出した。
「待って、待ってよスペランツァ」
苺は迷いなく真っ直ぐ金色の線を描いて走っていく。まるでソーニョを導くように。
「行きたくないの、そっちにはもう……」
ソーニョは立ちどまった。奥へ進むたびにあの世界に近づいているのがわかった。母の声、列車の音。春の匂い。そして祖母の歌。すべてが懐かしく感じた。涙が出そうだった。
天からおどけた老婆の声が聞こえてくる。
「お前さんが大切にしているその金色の苺。それを私に届けてくれた奴がいるのさ。誰だったかねぇ、金色の瞳をした飛行艇乗りだった。あの子が正しい道に戻れるように、手助けがしたいんだとそう言っていたねぇ」
苺はソーニョの元へ帰ってきた。苺はソーニョの目の前をくるくる回ると手のひらのうえへとゆっくり着陸した。ころんと手の中に収まる彼をソーニョはそっと包み込んだ。
ソーニョはもう来た道を戻ろうとは思わなかった。彼が導く道を、このまま真っ直ぐ突き進もう。これが正しい道だというのならば、わたしはまたがんばろう。ソーニョは足を踏み出した。
がったんと大きく揺れた反動で目が覚めた。なんだかとても長い夢を見ていた気がする。幸せで素敵な夢だった。金色にぴかぴか光る宝石みたいな時間だった。なのに頬が濡れている。
「わたし、泣いていたの?」
空は一段と綺麗な青色をしていた。なんだか久しぶりな気がするのはなぜだろう。窓から身を乗り出して雲に手を伸ばしてみた。やっぱり届きはしなかったけれど、胸元でなにかが揺れたことに気づいた。
「なに、これ」
それは金色をした苺のネックレスだった。こんなもの、朝はつけていなかったのにどうしてもっているのだろう。それは太陽の光に当たってますますきらきら光っていた。手に取るとなぜだかそれがとても大切なものなんだと感じた。大切なもの、大切な人だと心が訴えてくる。不思議だった。
「まもなく、金色堂。金色堂です」
ソーニョは慌てた。降りる駅だ。ドアが開いて人が降りて行く。大切なものだと感じるそれを首にぶらさげたまま、ソーニョは苺がつまったかごを持って列車を降りる。
駅には祖母がいた。ねこみたいに目を細めて手を振っている。手を振りかえしてソーニョはふと思った。祖母からマリーゴールドの種をもらおう。そして庭に植えるのだ。きっと大きくてきれいな金色の花が咲く。
駅の向こうには海があった。ソーニョがよく目を凝らしてみると海の上には赤い飛行艇が止まっていた――
マリーゴールドの花言葉って知ってますか?
悲しみ、嫉妬、勇者、可憐な愛情、生命の輝き、変わらぬ愛、信頼、絶望
直感でお花いれちゃったんですけど(金色だし)
あまりにも花言葉とストーリーがあっててびっくりしました。