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短編集 『K8O』

喪服 - ¥5000

作者: 夏目カガリ


 高校の先輩だった坂本さんから紹介されたバイトは、住み込みの使用人というものだった。

 あの人にしては珍しく、いいものを紹介してくれたものだ。少なくとも丑三つ時に神社で五寸釘を延々打ち続けるよりは遥かにマシと言える(彼は実際、一度そんなバイトを持ってきたことがあった。どこからの依頼なのか気になるところである)。

 なんと言っても時給五千円だ。唯一のとりえとして家事全般をあげる俺には打って付けの仕事だし、住み込みというところも魅力的だった。三食保障済みなのだから。


 高校生活最後の夏休み。

 日本の殆どの十八歳学生が受験勉強に精を出しているであろうこの時期に、こんなバイトに明け暮れようとするのは一重に大学へ進学しないからに他ならない。

 理由はシンプルに父親の会社の倒産であり、その次の日に母親は他の男と逃げ、父親も僅かな金を残して雲隠れた。


 実の親をこんなふうには言いたくないけど、元々ろくでもない両親だった。母親は家のことを何一つしない――というより出来ない人だったし、父親もロマンティックといえば聞こえはいいが完全に世間から一段か二段くらいずれている所があった。そのうえ、性格も育った環境も全く正反対ときてる。

 そんな二人がなぜ結婚なんていう暴挙に出たのか俺は知らないし、これから先その謎が解ける日が来るとも思えない。

 母親は十歳年下だというその男と新しい子作りに夢中で前の男との息子なんて眼中にないし、父親はそれ以来どこにいるのか未だ行方不明のままだ。おそらく北にでも向かったのだろうと、俺は踏んでいる。



 タクシーで街の東方面へと揺られながら、これから数ヶ月の生活を想う。少しの不安がないわけではなかった。

 例えば連れて行かれた先が実は人身売買の手合いだったらとか、家主がとんでもなく横暴だったらとか、天涯孤独も同然な未成年にちゃんと金を支払ってくれるのか、などなど。


 しかし坂本さんが持ってくる仕事はどれも怪しげだったが、金の支払いをごねられたり危険な目にあったりしたことは一度もなかった。不思議なことに。まあ、それは今までの話であってこれから先はどうかは分らないけど。

 なんと言ってもあの、坂本さんだ。在学時代には変人の異名をことごとく取る奇行を繰り返し、卒業後は大学で民俗学を専攻しながらなぜか物書きもやっているらしい。

 そんな怪しげな先輩から回ってきた彼曰く、『割がいい上、お前に向いているバイト』。

即答で引き受けたのは結局、俺は少し自暴自棄になっていたからなのだろう。



 車は街を抜け、辺りは木々が目立つ。ほとんど森と呼べるその中を、おざなりに舗装された細い道が上へと続く。しばらくして正面にまるで刑務所か墓場を連想させる鋼鉄製の柵と、そこから左右に伸びるレンガの壁が見えてきた。

 景色が迫ってくるのと比例して、俺は自分の口が開くのを感じていた。


 無駄な面積の芝生が柵のむこうには広がっていた。所々に奇妙な形をした石が建って――というより地面に刺さっている。ちょっと見ではまるで外国の墓石のように見えた。縁起が悪いことこのうえない。

 しかしそれよりも問題は、その真ん中に確固としてそびえ建つ屋敷だ。

 なんと説明したらいいだろう。まるでガウディの真似をした小学生が引いた図面を一流の大工が仕立て、それにティム・バートンがはりきって色付けをしたような。

 一言で言えば、変人的な雰囲気をひしひしと感じる家だった。

 中はどうなっているんだ。そしてなぜ、煙突が横に付いているのか。

 しかしタクシーを下りて、まっすぐその屋敷に向かうまでの間、俺は覚悟を決めていた。

 とにかくここで働くしかない。時給五千円のために。というかそれだけのために。





 屋敷の玄関(と思われる)扉を前に、大きく深呼吸する。いざ戦場へ、とばかりにチャイムを鳴らそうとした瞬間、しかしドアは内側から開いた。


「あ、あの、柴田と申します。今日から八月末まで、ここで使用人のバイトをさせて頂くことになってると思うんですが、」

 タイミングを外し、微妙に前かがみになったまま俺は慌てて頭を下げた。

「ああ、お待ちしてました」


 満面に歓迎の色を浮かべてかなり年配のその男性は、どうぞとドアの横に立った。ボストンバックを担ぎなおして、屋敷へ入る。さり気なく中を見回せば、とてつもなく豪華ではあるけれど意外に普通だった。

 これなら今までの経験値は無駄にならずにすみそうだと胸をなでおろし、使用人とおぼしき老人に改めて向き直る。

 黒の上下のスーツに黒いネクタイ。白のシャツと白い手袋に白髪。やけにモノトーンで統率された身形だった。しかし、よく似合っている。


「坂本さんから話は聞いていますよ。前の者があまり長続きしなくて困っていたところでしたから、君のような若い方が入ってくれて助かります。親御さんは大変でしたね」

「いえ、」

「とりあえず案内は後でよろしいですか? 早速、着替えてもらいたいのですが」

「あ、はい」


 執事の須々田と申します、と自己紹介をした彼から渡されたのは、同じく黒のスーツの上下に黒のネクタイ、白のワイシャツと手袋だった。こんな格好は祖父の葬式の時以来だったので、少々堅苦しかった。


「おや、素晴らしい。よくお似合いです」

「そう、ですかね?」

「これなら旦那さまもさぞお喜びでしょう」

「は?」

「お客様のもてなしに服装の身だしなみは大事ですから」

「あ、なるほど」

「では、旦那さまにご挨拶に参りましょうか」


 そう言って先導してくれる須々田さんは、気品が服を着て歩いているような素晴らしい物腰で、果たして自分がこんな風になれるのかどうか全く自信がない。

 屋敷をどう歩いたのか、しばらくして真鍮のノブのついた扉の前で須々田さんは立ち止まった。この間取りを覚えることができるかどうかも余り自信が無い。果たしてやっていけるだろうか。

 きっかり三回のノックをしてから入った部屋には、少しむせ返るような芳しい香りが満ちていた。

 嗅ぎ覚えがあるそれは確か、秋の初めに金色の花をつける木の香りではなかっただろうか。この時期にあるはずはないのでおそらく香の類なんだろう。


「旦那さま、新しく使用人として入った柴田でございます」


 須々田さんがそう言って腰を低くすると、正面にある重厚な机で書類らしきものを片手に頬杖をついていた青年が顔を上げた。これがどうやらご主人らしい。まだ二十代後半くらいの、温和な顔をした人だった。

 銀縁眼鏡の奥からじっと見据えられてちょっと腰が引けた俺をよそに、主人は柔和な笑みを浮かべた。


「ああ、また意気のいい魂ですね」

「は?」

「須々田、いくらで雇ったんですか?」

「時給五千円でございます」

「それは安い。でかしました」


 須々田さんが、ありがとうございますときっかり四十五度のおじきをする。主人は手元の書類をとんとんと一纏めにしながら満足そうに笑うと、再び俺をまっすぐと見据えた。


「今日は客人が多いようです。頼みますね、新入りくん」

「え? あ、はい!」


 ご主人の部屋を出て、すぐにインターホンが鳴った。須々田さんが胸元からアンティークな懐中時計を出し、時間を確認する。その手つきが厭味なく様になっていて尊敬してしまう。


「些か早いお着きですね。柴田くん、お出迎えを頼めますか? 私はおもてなしの用意を」

「はい、わかりました」


 懇切丁寧に教えてもらった道順を忠実に辿ったつもりだったのだが、途中でどう間違えたのかだいぶ迷ってしまった。なんとか見覚えのある玄関に辿りつき、息を整え軽く深呼吸する。

  初仕事だ。よくわからないけど、こんな高待遇で雇ってもらえたんだから、ここでヘマはできない。薄く緊張しながら重い扉を開ける。最上級の笑顔を作り、ようこそ――。


「遅いわよ」


 扉の外には血みどろの女が立っていた。

 口紅のつけすぎじゃないかとか、新しいファッションじゃないかとか、そんなポジティブな考えもできないくらい見事に血まみれだ。その上ちらりとしか見れなかったが、首元には確かに包丁が突き刺さっていた。


 ゆっくりと扉を閉めた。すぐにノック――というには豪快すぎる打撃音――が聞こえてくる。どうやら開けろと言っているらしい。

 無茶を言うな。首に包丁が刺さった女なんか、スプラッタ映画にでも行けと言いたい。百歩譲っても病院だ。いずれにせよ、来る場所が違う。

 懇親の力でドアノブと、今にも喉の奥から飛び出そうな悲鳴と、ちょっと情けないが涙を抑えていると、ちょうど須々田さんが階段から下りてきた。須々田さんは格闘中の俺を見ると、白い眉毛をあげて、おやおや、と上品に小首を傾げた。


「柴田くん、何をしているんですか。もてなすべきお客さまを締め出して」

「お、おおお客? 無理ですよ! もてなす前に死んじまう!」

「これはこれは……坂本くんから聞いていなかったのですか?」


 心底不思議そうに呟いて、須々田さんは俺の制止もよそにあっさりと扉を開けた。スプラッタ女はふてくされた顔で入ってくると俺を睨みつけてから、須々田さんの先導で階段を登って行く。

 上等そうな絨毯に赤い血がびしゃりびしゃりと歩くたびに散った。散り方に全く遠慮がない。これじゃ今すぐ昇天してもおかしくないじゃないか。なんで普通に歩いてるんだ。

 しばらくして須々田さんは戻ってくると、腰を抜かして呆然としている俺の足元に座り、穏やかに言った。


「ここはね、死後の世界に行くまえに皆さんが寄られる場所なんです。わたくし供の役目は、皆さんを快適におもてなしし、未練を残さず旅立てるお手伝いをすること」

「お手伝い……? あの、さっき旦那さまが言ってたタマシイがどうのっていうのは一体、」

「ああ、魂の波長が弱い方ですと、お客様の思念に取り込まれて一緒に連れて行かれることがしばしばあるんですよ。幸い、君は長持ちしそうで何よりです」


 長持ちって……まさか長続きしなかったっていう前の奴は……。

 あまりの衝撃に言葉が出ない。何てことだと考えて、ハッとした。


「じゃあこの服って、」

「喪服ですよ、もちろん。おもてなしには最適でしょう?」



 時給五千円という単語がぐるぐると頭の中を回る。

 魂の値段にしては安すぎはないか。

 





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