1 少年少女、地上に未練なし
兵士達を片付けると、わたしは身なりを整えた。風に遊ばれた髪を指で梳かし、胸元のリボンの偏りを直す。服には血がついていないようだった。念のために係の仕事には毎回赤の目立たない黒い服を選ぶのだが、汚れない事に越した事はない。
そして右腕についた血液が固まらない内に、ハンカチで拭く。後始末を楽にさせるために、兵士達の首は右腕でしか刎ねてはいない。左手は主に弾除けに使っていた。
わたしはポケットの中から懐中時計を取り出して時刻を確認した。午後一時二十二分。担当の地域を制圧したので、これから飛行船に帰るのだが、問題が発生した。
「時間いつまでだったっけ?」
のみならず、集合場所までも忘れてしまった。思い出そうにもミーティングの時の記憶が、ほとんど残っていなかった。飛び降りの少し前まで魂をどこかに飛ばしていたのだから、それも仕方ない。こうなれば、人に頼るしかない。
もう片方のポケットから無線機を取り出し、登録していた周波数に合わせた。
「こちらアリス。ショウ、聞こえますか?」
ショウというのは、わたしの所属する班の班長だ。班はショウ、わたし、エリーの三人で構成されていた。しかし、基本的に三人で行動する事はない。大体、わたしとショウが組んで、エリーは単独行動だった。
「どうした」
サーという雑音の後、少年の声が応えた。
「集合時間と場所がわからなくて」
わたしは正直に言った。
「そうだろうと思ったぜ。ミーティングの時ボーっとしてるみたいだったから……。迎えに行ってやるよ」
流石は班長だ。じゃんけんで決めた班長だけれど、面倒見のいい彼は適任だった。わたしが礼を言うと、明るく笑った。面倒を面倒と思わない、言わないのは彼のいいところでもあり、悪いところでもある。どうしても甘えてしまうから。
「それじゃ、動くなよ?」
「了解です。班長」
通信機を切ってポケットにしまう。ショウが来るまで、じっとしていなくてはならない。
わたしはこの暇を利用して、兵士の持ち物を改め始めた。おみやげに持ち帰るためだ。
武器は面白くないから候補から排除するとして、シェーピングクリームに髭剃り、ポケットサイズのエロ本、手乗りの車の模型など、物は見つかるのだが、気に入る物が見つからない。今のところ家族の写真が入ったロケットペンダントが一番の候補だった。しかし、これでは子供達が喜びそうにない。
「なにやってんだ?」
到着したショウが話しかけてきた。
ショウは特徴のある髪の色をしていた。赤ともオレンジとも言えない、微妙な髪の色だ。赤茶色と言ってもいい。赤のパーカーとデニムのパンツに、スニーカーという格好だった。そして片手に金属の棒を担いでいた。棒は地上の遊びである野球とやらに使う道具で、バットという名前があるらしい。彼のセンスはバットだった。
「おみやげ探し」
わたしは先の質問に答えた。
「ガキどもへのみやげか? つーか、班長の前で違反行為するなよ。地上から物を持ち帰るのは禁止だぞ」
「知ってるわ」
何を当たり前の事を言ってるの? とわたしが返せば、ショウは肩をすくめて黙った。その様子にわたしは満足して、作業に集中した。
とうとうわたしの満足いくものが、一兵士のウエストポーチから出てきた。それはよれよれの紐がついた一眼レフのフィルムカメラだった。目立った傷はないが、細かな傷があちこちにある。持ち主が拭いたのだろうか、金属部分は鏡のようにピカピカだ。使い古されているが手入れはちゃんとされていたようだ。
「戦場にカメラか? 特にキレイなものなんてないけどな」
ショウはカメラを見て、次に戦場だった場所を見渡して、首を傾げた。
「キレイなものがないなら、逆に探したくなる。そういうものじゃない?」
わたしはカメラが壊れていないか調べるために、ファインダーを覗いて、適当にシャッターを押した。どうやら正常に動くようだ。
「死体なんて写ってたら、ガキどもが卒倒するぞ」
「中のフィルムはわたしがもらうから、大丈夫よ」
わたしはカメラを再度ポーチにしまうと、ベルトをはずして兵士から取り上げた。そして自分の腰に回してみるが、黒のワンピースに茶色のポーチは似合っていなかった。
「それじゃ、すぐバレるぞ」
「そうね、係長にも目をつけられちゃったし」
わたしは、さっさと飛び降りろと言った少年を思い浮かべた。飛行船での態度を見る限り、よくは思われていないだろう。
「一体何をしたんだよ……いや、大体わかってるからいいや」
ショウの想像はおそらく正しい。仕事中に居眠りしている部下を良く思う上司がいるだろうか。
「バラバラにして持っていくわけにもいかないし、どうしよう」
ワンピースのポケットは目立たないように小さく作られており、大きなものは入れられない。わたしの手の平よりも巨大なカメラなのだ。入るポケットがついている服は、そうそうないだろう。それこそ、エプロンか地上の漫画で見たネコ型ロボットのポケットぐらいだ。解体すればワンピースのポケットに入りそうだが、復元する知識をわたしは持っていない。壊してはおみやげの意味がなくなってしまう。
「持っていってやるよ。俺の服なら目立たないだろう」
フィルムだけでも持って帰ろうかと悩んでいると、ショウが助け舟を出してくれた。パーカーはゆったりとしていてポーチ自体を隠せそうだし、デニムは装飾部分が革でできているため茶色は目立ちにくい。
「ありがとう、任せるわ」
ウエストポーチを渡すとショウはそれを腰に巻いた。ポーチはわたしの時とは打って変わって、まるで初めからそこにあったかのように振舞っていた。
「似合ってるわね」
赤茶の髪に、手に持ったバットはだらりと地面に下げられて、デニムの右ポケットには通信機が差さっていて、膨らんだウエストポーチ。その姿は少年暴走族の斬り込み隊長みたいだった。そのことをショウに言うと、ぽかんと呆けた顔になった後に、大きく笑った。わたしは少しむっとした、笑いの要素がどこにあるのか。
「アリスって変な事ばっかり言うよな。それって地上の知識だろ? 変なの……くっ」
笑いの壺にはまったらしい。ショウは思い出し笑いを始めた。おかげでわたしは、変な事を言った羞恥心に駆られた。日常会話をしていたら意図せずダジャレを言ってしまった時のようだ。塩とって。塩ないの? 仕様がないな。
「もう、ショウなんて知らない! 自分で運ぶからポーチ返してよ」
わたしが怒った口調で言えば、ショウはごめんごめんと取ってつけた謝罪をした。
「カメラは責任持って、持って帰ってやるよ。その代わり、このポーチを俺にくれないか? アリスの言葉気に入っちまった。少年暴走族か……くっ」
「……いいわよ」
ショウの態度がとてつもなく不満だったが、彼の事は嫌いにはならないだろう。こういうやり取りが、どこか楽しく感じるのも事実だった。
「とと、いけね。もうそろそろ出発しないと、集合の時間に間に合わないぞ」
腕時計を見てショウが言った。わたしも自分の時計を取り出して、時刻を確認した。午後一時四十九分。
「集合時間は二時?」
ショウが頷いた。
出発する前にわたしは、ショウのウエストポーチのベルトが、しっかりと留められているか目で確認した。高速で走っている時に落としてしまっては大変だ。確実にカメラは壊れてしまうだろう。どうやら心配は無用だったようで、ショウがもう一度ベルトを締めなおしていた。彼もわかっているらしい。
「それじゃ、行くぞ」
「ええ」
案内役のショウが走り出す。はじめはゆっくりとしていたが、徐々にスピードを上げていった。わたしはその後を着いて走った。
走り始めて五分、何もなかった地平線に目的の飛行船が見えてきた。
わたしは帰ってくるたびに、飛行船の全体像を見る機会を持っていた。そして、いつも疑問に思う。これは本当にネコなのだろうか、と。
丸々太った白い胴は、縦2:横3の割合の楕円をしており、生き物に例えろと言われたならば豚に例える。おまけとしてつけられた胴と同じ色をした短い手足は、地面に力なく投げ出され、体を支えるのに役立っていない。腹を地面に擦っている様を見れば、さながらアザラシやオットセイのようだ。丸みを帯びた尻尾は問題なかった。手足とは違って躍動感がある。クエスチョンマークのように、キレイな曲線を持って、頭へ向かって先っぽを垂らしている。周りとのできの違いに逆に目立つ。尻尾だけヘビになっているという事もありそうだ。もう片方の胴体の末端には、半球の頭が着いていた。そこに首は存在しなく、まるで楕円の胴体に直接仮面を被せたようだ。仮面の部分は幼い子供がネコのラクガキをしたみたいだった。顔の大きさに吊りあわない小さく尖った耳に、凸凹もないピンクに塗っただけの鼻。こちらをバカにしたようなダブリューの形をした口と、毛根に活力がなくなった老人の髭のように垂れ下がってやる気がない髭。目の瞳孔は三日月なんて比べ物にならないほどに縦に細い。例えるなら、一日月か。絵心のないわたしでも、これよりはうまく描けそうなほど下手くそな白ネコだ。
しかし、巨大だった。いくら見た目が不細工でも、ここまで巨大だと畏怖の念を抱いてしまう。かなり離れている今だからこそ、全体像がわかるのだ。近づけば近づくほど、視界一杯に白が広がっていく。向こうから迫ってきて、今にも潰されそうになる不安に襲われる。ちなみに飛行船ネコの体長は2,222メートルと、覚えやすい数字だ。ニャン×4。ここだけネコらしい。
ネコの横っ腹に穴が開いていて、地面まで階段が延びていた。そこはわたし達が飛び降りた場所とは違った。わたし達はネコの肛門にあたる場所から、降りていったのだ。空を飛びながらフンをするとは、鳥のようだ。飛行船ネコを例える動物がもう一つ増えた。階段に近づくにつれて、わたし達は走る速度を緩めた。
飛行船内部に続く扉の隣には、係長が立っていた。紙とペンを持って、帰ってきた人数を数えているようだ。わたし達が黙ってその横を通り過ぎようとするのを係長は止めた。
「遅かったな」
淡々とした言い方だった。
わたし達は係長を振り返って、背筋を伸ばして立った。
「すみませんでした」
「すまん」
ショウが頭を掻く振りして、さりげなく腕時計を確認しているのがわかった。わたしは階段を上る前に時計を見たから、少なくとも遅刻していないのはわかっていた。なぜ絡まれているかと言えば、飛び降り前のわたしの態度が原因だろう。
わたしは逸らしていた視線を、目の前の少年に移した。係長はわたしと同じくらいの身長で、黒髪をしていた。わたしよりも肌の色は白く、病弱そうな雰囲気だ。しかし、彼には、そういった人間に多くある媚びや弱気といった表情はなかった。正の感情をなくした顔だった。何か難しい事を考えている顔をいつもしている。
わたし達の謝罪を聞くと、係長はフッとため息をついた。
「別に怒っているわけじゃない。……戦争係は全員無事帰還した」
係長が扉の横についている開閉ボタンを押すと、階段が収納されて、後ろの扉は閉まった。
わたし達戦争係は、地上の戦争を納めるために存在している係だ。飛行船ネコで生きて行く上で必要のない、人殺しを行っている。
「サング国及びヤント国の戦場。ゴルド平原の制圧は終了した。次の出撃はいつになるかわからない」
そう言うと、係長はさっさと消えてしまった。
「いつも通りだな」
ショウが呟くように言った。
戦争がなければ戦争係は用がない。しかし、いつだって戦争は唐突に起こる。その不規則な間がわたし達の休息日だ。
「何かあったら呼んでくれよ。いつだって暇だから」
ショウがウエストポーチからカメラを出して、わたしに渡した。そしてポーチをわたしの目の前で揺らした。わたしは持っていく事を了承した。
ショウが消えて一人になったわたしは、カメラを首からぶら下げて船内を歩き始めた。