そもそも聖女というものは
清らかであれ、ってね。
悪役令嬢として断罪の果てに、わたくしは処刑されたはずだった。
賜った毒杯。無理やり嚥下させられた液体が、喉を胃を焼いて、血を吐いて見苦しく死んだはずだった。
わたくしはアンジェリーン。デ・ベール公爵家の娘。年齢は十八。もう間もなく、我が国ベイエルスベルヘンの第二王子セルファース殿下に嫁ぐ予定であったのに。
第一王子であるヴェンデル王太子殿下が、幼い頃よりあまり身体の丈夫でない方であったので、実務と財力で王家を国を支えるべく定められた婚約。
何年も前にご成婚されていた王太子殿下には未だお子が生まれず、執務にも支障が出るほどであったので、わたくしに課された教育は王子妃のものでなく王太子妃のためのもの。当然、セルファース殿下もまた王太子教育を受けておられた。
そのような状態であっても、王太子殿下が次期国王であることが揺らがなかったのは、彼の方の母君、王妃殿下が大国の王女であられたから。王太子殿下を廃しでもした場合を考えると、圧倒的な武力による侵略が容易に予想される。名ばかりでも王位に就いていただいた方が国のためでもあったから。
セルファース殿下の母君は側妃となられた我が国の侯爵令嬢。己が立ち位置を自覚し、国王夫妻を支えておられる才女だ。その薫陶を受けて育たれたセルファース殿下もまた、思慮深い方であった。
王侯貴族が十代半ばで共に学ぶべく定められた学園で、ひとりの乙女と出会われるまでは。
乙女の名はエルセ。姓はない。平民出身の次期聖女である。希少な光魔法の使い手として見いだされ、いずれ王侯貴族とも関りが深くなるからと学園への入学が決まったという。
事実、彼女が無事聖女となった暁には、その地位は国王と同等。祭事においては上位となる。ならば今後を考えると教育が必要との判断は理解できた。
だが、エルセを学園に入れたのは早計であったと、わたくしは思わざるを得ない。
市井から引き上げられて間もないというのに、王侯貴族の役割も責任も理解せぬまま学園に放り込まれた彼女は、毒だった。
微笑の下で本音を隠して生きるべく教えられた貴族の子女の中で、彼女だけが素直な感情を発露させて、その特異性が学園に混乱を生む。
身分も、契約である家同士で結ばれた婚約の意味も知らず、誰にでも気安く振る舞う。相手が異性であっても変わらずに。無邪気な言動は、彼女の愛らしい容貌とあいまって、容易く思春期の子息たちに恋と錯覚させた。
男性に比べると早熟にならざるをえない令嬢たちは、こぞって自らの婚約者を諫める。もちろん、わたくしも。
聖女は神の花嫁。どれほど愛らしくとも、紙の上に描かれた果実のように、実際に食することはできないのだと。
けれど諫めれば諫めるほど、彼らは恋にのめり込み、婚約者を疎むようになっていった。あれほど理性的であったセルファース殿下もまた。
幼い頃から婚約を結び、相手と相手の家のためになるよう教育され、交流を重ねる毎に情を育んでいく。それが貴族令嬢の婚約だ。どうしても相性が悪い同士であっても、大抵は表面を取り繕って婚姻に至る。それを貴族に生まれた役割と理解しているがゆえに。
わたくしにもまた、セルファース殿下への情があった。この方と生きていくのだという覚悟も。わたくしはセルファース殿下ものであるが、殿下もまた、わたくしのものである。そういう認識のもとに。それを執着と受け止められても間違いではないほどに、思いは深く育っていた。
当然、エルセ本人にも注意を促す。
「異性にむやみと近づくのはよろしくはありません」
「ことに、婚約者のある男性に必要以上に親しくしてはなりません」
「ましてや、衣類だけでなく身体に触れるなどと、あってはなりません」
どれもまったく通じはしなかった。
「仲良くするのは悪いことじゃないわ。抱き着いたり、キスしたりしているわけでもないし。話が盛り上がって腕に触れたりとか、普通でしょう?」
我が国の主神は光を司る。その神に認められた清らかな魂の持ち主が、光魔法を賜るのだという。男性なら聖者と呼ばれて神の代理人たる大神官に。女性ならば聖女と呼ばれて神の花嫁に。
なるほど、光魔法を得たエルセは、その本質が善良であるのだろう。だから男女共に彼女を嫌うのは難しい。ただし、彼女に心奪われた婚約者のいる令嬢以外は。
わたくしの彼女への注意が、いささか執拗になったことは認めよう。同じ立場の令嬢たちの総意を受けてもいた。在学中の令嬢で、わたくしがもっとも身分が高かったがゆえに。
注意に嫉妬が混じるようになったのは、わたくしには決して向けない、柔らかな微笑をセルファース殿下がエルセに向けるようになったその日から。
幼馴染と呼んでもおかしくないほどの昔から、婚約者として寄り添ってきた。互いに切磋琢磨するばかりでなく、共に歩むものとしての理解も、恋情に足りずとも友愛に似たものはあったはずなのに。所詮はただの契約による婚約でしかないと、一方的に切り捨てられた痛みが、わたくしを蝕んでいった。
「どうして、わたくしでないのです? これまで共に過ごした年月に育くんだ関係は、そこまで薄いものでしかなかったのですか!?」
問えば、目を逸らされる。殿下にも罪悪感はあったのだろう。そこから逃げるように、一層エルセにかまける姿が、更にわたくしを追い詰めた。
エルセもまたセルファース殿下に恋するようになったと気付いてからは地獄だった。
もとより、優れた血を取り込んできた上位貴族の容姿は極めて整っている。他国の王族とも結ばれる王家の血を引く王子は更に、理想を現実のものとしたように美しい。恋に恋する未成熟な娘が夢中になってもおかしくはないほどに。
わたくしという障害があることが、ふたりの想いを燃え上がらせ、やがて周囲の目を気にすることもなく寄り添い、あげくに婚約破棄を宣言されるに至った。
それがわたくしの命を奪うことであると、セルファース殿下が知らなかったとは言わせない。知った上で排除しようと画策したのだから。
実質的な王太子妃教育を受けていたわたくしは、婚約が破棄されてしまえば、他の貴族家へ、ましてや他国に嫁がせるわけにはいかないのだ。それだけのことを婚姻も間近だったわたくしは知ってしまっている。
ならば、殿下以外は既婚者しかいない王族の誰かの側妃となるか、生涯幽閉か、はたまた毒杯かしかない。
どれも決して選びたくはない三択だというのに、毒杯を受ける以外の道さえ、殿下は潰した。わたくしに冤罪を被せてまで。国王陛下も実家の両親も、庇えぬほどの大罪の証拠を積み重ねた果てに。
「わたくしに、どれほどの罪があったでしょう。ただ殿下をお慕いすることが罪であったと? 予定されていた妃の座から追い払うだけでなく、命を奪わずにいられないほどに、わたくしが怖ろしいのですか? 恨まれて当然であるというご自覚はおありですのね。ええ。お恨み申し上げますわ。わたくしの心を努力を矜持を名誉を踏みにじった貴方様方おふたりを。死して後、我らが神に、罪の在処を問うといたしましょう」
押さえつけられ、無理やり飲まされた毒によって、そうしてわたくしは死んだはずであった。だが目覚めたのは学園の入学式。セルファース殿下がエルセと出会ったまさにその日。
あの苦しみをもう一度味わわねばならないのかと絶望に襲われた。しかし、馬車が学園の門を潜った後、わたくしは己の記憶に齟齬があることに気付く。
エルセという次期聖女の娘なぞ、入学予定はない。光魔法を授かったのは、子爵家の令息。すなわち未来の大神官にして聖者。
そして王家には。ヴェンデル王太子殿下おひとりしか子がおられなかった。国王夫妻には子ができずに迎えられた側妃腹で、わたくしと同じ歳。お身体は至って丈夫であられ、そしてわたくしの婚約者である。
馬車から降りようとするわたくしに手を差し出し、愛し気な視線を注いでくださっているヴェンデル殿下のご容姿は、記憶にあるのと同じであったが、ずっと健康的な身体つきをされていた。表情もどこか暗かった記憶よりも溌剌としておられる。
「今日から、アンジェリーンと学園生活が送れると思うと、嬉しすぎて昨夜はほとんど眠れなかったよ」
「まあ。新入生代表として壇上でお話されるのでしょう? 大丈夫でいらっしゃる?」
「アンジェリーンが側で見守ってくれるならば」
自然と自分の口から会話がこぼれる。セルファース殿下とは、これほど砕けたやり取りすらなかった。そしてこれほど、好意を注がれることも。
ヴェンデル殿下が代表挨拶をされるのを、同じ壇上にて眺めながら、入学式の行われる会場を見下ろしてみるが、どこにもセルファース殿下もエルセも見つけられなかった。
そもそも、そんな人物は二人ともに存在しないのだ。
何故か。
答えは、死んで再び目覚めるまでの間に与えられていたと、ようやく思い出す。
死と生の狭間で、主神たる光の神リヒトとの邂逅を。
『あのように俗に堕ち、我の花嫁になることも忘れ、不貞に走る聖女なぞ不要。未来永劫、人でなく虫としての生を繰り返させる。人であった頃の記憶を残したままに。不貞相手のそなたの婚約者も、同じくとした。我が花嫁の資質を見誤ったことで、罪無きそなたを死に追いやった代償として、時間を遡り、多少の改変を行う。そなたの魂の傷も無かったこととなり、やがて改変に沿った記憶だけが残るであろう』
魂に刻まれた記憶が揺らめき、そうしてようやく実感する。
(そう。もうどこにもおられないのね。セルファース殿下も、エルセも)
そのあたりに飛ぶ羽虫が、あるいはそうであるかもしれないし、そうでないかもしれない。だがもう、縁は断たれたのだ。
(あら? 誰の事だったかしら。セルファース? エルセ? そんな名前の方なぞ知り合いにもいなかったはず)
わたくしはアンジェリーン。デ・ベール公爵家の娘。年齢は十五。我が国ベイエルスベルヘンの第一王子にして王太子ヴェンデル殿下の婚約者。
わたくしの視線に気付いた殿下が、ちらりと甘い微笑みを向けてくださって、わたくしの心は幸福感で満たされる。
幼い頃から婚約を結ばれたヴェンデル殿下との間には、確かな愛情が育っていた。わたくしは愛しいヴェンデル殿下に相応しい淑女となり、やがて彼を支えて、この国の王妃となるだろう。
一番得したのはおそらく王太子。先の正妃から生まれたことで弱かった身体が、側妃の子となることで健康に。記憶はなくとも、アンジェリーンのおかげであるという意識があって、素直に好意に育った。
この世界の聖者・聖女は俗世での婚姻は不可。なので、回帰前にアンジェリーンを死なした後の時間があったとしても、セルファースがエルセと結ばれることは許されない。まあ、神罰であっさりその世界線はなくなりましたが。
ループした! じゃあ前回と同じようにならないように改変しなきゃ! ……ではなく。何故かループ原因の方に関心がいってしまうのは、おそらく書き手の性格による。




