75: 神託の巫女
「おはよう。待っていたわ」
カフェに着くと、セイラとルキがコーヒーを飲んでいた。
「おはようございます」
セイラの表情は落ち着いており、ルシナは少しだけ肩の力を抜いた。
「セイラさん、大丈夫ですか?」
「昨日はごめんなさいね……ちょっと、取り乱しちゃって……」
微笑むセイラだが、どこか気力が抜けているようにも見えた。
「みんなは、なにを飲む?」
セイラがキッチンに立とうとすると、ルキがそれを止めた。
「コーヒーと紅茶なら、俺でも淹れられる。セイラは座ってて」
その距離感に、ルシナの心が、わずかにちくりと傷んだ。
セイラはカウンターから四人席へと移り、ルシナたちも席に着く。
ルキは、ルシナとコハナの前にコーヒーを、カイの前に紅茶を置いた。
それから、隣のテーブルから椅子を一つ引いてくると、静かに席に着いた。
「なにから話し始めましょうか……」
セイラは俯いたまま、ぽつりとつぶやいた。
「……私には、妹がいるの。名前は、ジャスミン。……六年前に、ヴォル化したの」
「六年前って……そんなに長く、その状態で大丈夫だなんて、聞いたことないよ?」
カイは驚いたまま、思わず口を開いた。
「症状を抑える未発表の薬があってね……。偶然の産物で……。でも、もうその効果も薄まってきていたの」
「……未発表……偶然の産物……あっ!」
カイは、目を見開いた。
「ええ……カイ、貴方が失敗した薬よ」
「……じゃあ、師匠が言ってた、進行を止められた人がいるって……」
「ジャスミンのことね……」
「……なるほど……。それで、その薬の効果がなくなって、症状が悪くなってる……ってこと?」
カイは遠慮がちに、セイラを見つめた。
「……ええ。薬の副作用なのか、ほとんど眠っている状態だったんだけど……。数週間前から体調を崩し始めていて、医師からも、もう目覚めないかもしれないって言われていたのよ」
セイラは、静かに涙をこぼしながら続けた。
「ずっと様子見の状態が続いていて……昨日届いた手紙には、『危篤状態。連絡待て』と書かれていたのよ」
「そんな……」
ルシナは、涙をこぼすセイラの姿に、胸を締め付けられるようだった。
(セイラさんが、たまに寂しそうな視線を私に向けていたのは……妹さんと重ねていたからかもしれない)
「……でも、なんでヴォル化なんてしたのさ?」
カイは真剣な眼差しで、セイラを見つめた。
原因を知りたくなるのは、研究者のさがなのかもしれない。
「それについては、俺から話そう……」
それまで静かに話を聞いていたルキが、穏やかな声で口を開いた。
「ジャスミンは、明るくて優しい、純粋な子だった。ただ、人の善意と悪意の区別がつかないところもあってな……。人の噂にも翻弄されてしまっていた……。あるパーティーで事件が起きたんだ」
ルキは拳を震わせながら、続ける。
「大勢の前で、事実ではないことを追及されて、罵倒されて、冷たい視線を向けられた。
その前から妙な噂は立っていて、元気もなかったんだが——それが決定打になった。
俺が気付いた時には、うつむいて、ふらふらしていた……。ずっとそばにいれば、守れたかもしれないのに……。
その時、俺は……近くにいなかったんだ」
ルキの拳に、セイラがそっと手を重ねた。
「……ルキオ……貴方のせいじゃないわ。
それに——報復は、もう終わっているわ」
セイラの瞳には、慈愛と狂気が静かに宿っていた。
「ルキオ……ルキは、ジャスミンの護衛騎士だったのよ」
「……そうだったんですね……」
ルシナは、ルキの手に触れているセイラを見て、胸の奥がわずかにざわつくのを感じた。
「……危篤か……心配だな」
カイは、真剣な眼差しで紅茶に視線を落とした。
「……えぇ……私も、もう限界なのかもしれないわ……」
セイラは肩を震わせ、うつむいた。
涙が、ぽたり、ぽたりとテーブルに落ちていく。
その様子を、コハナはじっと見つめていた。
何かを言いかけて、口を閉じると、銀の腕輪をぎゅっと掴み、何かを小さく呟いた。
コハナは一度うつむくと、やがて静かに顔を上げて、セイラをまっすぐに見据えた。
「目覚める」
コハナの小さく可愛らしい声が、静かな店内に響いた。
「ジャスミンは、目覚める」
その場の視線が、一斉にコハナへ向けられる。
「……コハナ?……何を言っているの?……慰めのつもり?……冗談だったら、許さないわよ」
セイラの目には、狂気が宿っていた。
それでもコハナは、セイラをまっすぐ見つめた。
その瞳は、金色に輝いていた。
「神託の巫女、コハナが宣言する。ジャスミンは目覚め、意識を取り戻すだろう。そして、再び笑い合うことが出来る」
コハナの異様な気迫に、店内は静まり返った。
コハナの瞳の色が金色から、普段の黒に戻る。
「……神託の巫女?……ってなに?」
カイの間の抜けた声が、空気を崩した。
「ねぇ、コハナ、それって予言?それとも予知?」
カイは、臆せずコハナに問いかける。
「予知でも予言でもない。確定事項……神託の巫女の言葉は、絶対」
「……じゃあ、ジャスミンは回復するの?……期待していいの……?私は……どうしたらいいの?」
セイラは縋るように、コハナを見つめる。
「待てばいい」
コハナはセイラを見つめ返す。
「……待てばいいの?……待ってれば、ジャスミンの笑顔は取り戻せるの?」
セイラは立ち上がり、コハナのそばに移動すると、その腕にしがみついた。
「大丈夫。すぐに連絡くる」
コハナは、どこか感情の薄い目でセイラの頭を撫でる。
「だから、少し寝て。安心して」
コハナがセイラを抱きしめると、セイラはそのまま意識を手放すように、眠りに落ちた。
「ルキ、セイラをベッドに寝かせて」
「……あ、あぁ」
コハナは淡々とルキに伝えると、セイラからそっと離れた。
ルキがセイラを自室に連れて行っている間、コハナはテーブルに戻ると、何事もなかったかのようにコーヒーを口にした。
「……コハナ?」
コハナは、ルシナが呼びかけると、いつもと変わらない表情で首を傾げた。
「なに?」
「……神託の巫女って?」
理解が追いつかないルシナは、カイの言葉を繰り返した。
「……説明、難しい。……私は未来が見える。でも確定じゃない。……けど、言葉にして発すると、それは事実になる」
「……それって……怖くないの?」
「怖い……。だから、逃げてきた」
「……どこから?」
ルシナが聞くと、コハナはふるふると首を振り、コーヒーを飲んだ。
(……あれ?そういえば、コハナの独特な言い回し……。未来に関することは、言っていなかった?)
小さな体に、無表情なコハナ。
(……コハナ、一体どんな人生を、送ってきたの?)
ルシナは、そっとコハナを抱きしめた。




