74: 変化の前に
「セイラ」
ルキは立ち上がると、座り込んでしまったセイラの肩にそっと触れる。
「……その手紙は、リオン様からか?」
セイラは俯いたまま、頷く。
「中身を確認しよう……立てるか?」
ルキはセイラを支えるようにして立ち上がらせると、そのままバックヤードへと連れていった。
「みんな……すまない。今日は帰ってもらえるか?」
ルキはルシナたちに視線を向ける。
「カイ、二人を送ってくれ」
そう言って、ルキとセイラはバックヤードの奥へと消えていった。
「……セイラさん」
ルシナは、ただならぬ空気に戸惑いながら、バックヤードの扉を見つめたまま、動けずにいた。
「……とりあえず、出よっか〜。俺の店、来なよ〜」
*****
カイが薬草屋の扉を開けると、ハーブの香りがふわりと鼻先をかすめた。
落ち着くはずの香りなのに、今はまったく落ち着く気がしない。
「あの二人さ、昔馴染みらしいんだ」
カイは、ハーブティーを淹れながら、ぽつりと話し始めた。
「ルキとアンナは、王都で一緒に仕事をしてたんだ。俺は薬草研究で引きこもってたから、幼馴染のアンナ以外とは、あまり交流がなかったんだけどさ……」
カウンターにカップを置き、椅子を用意すると、ルシナとコハナに勧める。
「ルキと会ったのも、この町に来てからだし……セイラさんもね。たださ、セイラさんが、ルキのことをたまに『ルキオ』って呼ぶのは、聞いたことがあったんだ……」
ルキが、王都で暮らしていた頃の話をしてくれたことが、ふと頭をよぎった。
「……アンナに聞いたんだ。ルキとセイラさんは、王都にいた時から親密な関係だったって……。だけど、それ以上は、聞くなって……」
カイは、ハーブティーを飲むと、少しだけ遠くを見るような目をした。
「……前に、セイラさんは、どこかの貴族の令嬢じゃないかって噂があるって話をしたろ?」
「あっ……町を案内してくれた時に」
「うん……そう。その噂、多分本当かも。ルキが言っていた『リオン様』。領主様と同じ名前なんだ」
ルシナも、薄々気づいていた。
セイラが貴族の教育を受けていることを。
魂の融合をしてから、ルシナの記憶は安定してきている。
セイラの所作には、どこか見覚えのある品があった。
——それは、自分がかつて身につけていたものと、同じだった。
『りーちゃん』からのファンレターに、いつも反応していたことも、ずっと気になっていた。
(セイラさん……何を抱えているの?ジャスミンってだれ?)
「まっ!明日になれば、きっと話をしてくれるさ!」
カイは明るく手を叩くと、陽気な笑顔をルシナに向ける。
「そうだよね……。今は、ルキに任せて帰ろうか……」
「うん」
カイの明るさに、少しだけ心がほぐれた気がした。
コハナは、変わらず無表情で頷いている。
「じゃ、送るよ……って、二人どこに住んでんの?」
「同じところ」
コハナは、短く答える。
「えっ?一緒に住んでたんだ〜。んで、どこ?」
「崖上」
コハナは、淡々と答えた。
「崖上?……それって、崖の上ってこと?」
「うん」
「隣国だよ?」
「うん、知ってる」
「……そうなんだ〜。どうやって降りてるのかは分かんないけどさ〜、とりあえず近くまで送るよ〜」
*****
カイは崖下まで来ると、崖を見上げて、口をぽかんと開けた。
「ね〜、すんごい崖だけど、ここでいいの?どうやって上に行くのさ?」
(うん……ごもっとも……)
ルシナは、横目でコハナを見る。
(コハナの通り道は、知ってる人が少ない方がいいと思うけど……)
「ここ」
コハナは、隠された扉の中に案内する。
「ここ?……何これ、こんな滑りそうなやつ?ここから降りてんの?」
コハナは無表情のまま頷くと、滑り台の前まで案内した。
(コハナが見せてもいいって思うなら……それが、正しいんだろうな)
「ほ〜すっげ〜長さだな〜。んで、どうやって上に行くの?」
(……そう、思うよね〜)
コハナは滑り台に乗ると、逆走を始める。
「こう」
「……は?そうやって登るの?……上まで?」
カイは、信じられない様子で目を丸くしている。
「えっ、ルシナもそうやって登んの?」
「私は、飛べるから……」
「……は?」
カイを信用していないわけではない。
けれど、コハナがこの場所を教えたことに安心して、ルシナはカイにも自分が飛べることを伝えた。
そう言うと、ルシナはその場で、ふわりと浮き上がる。
「……は〜、すごいね〜。少し飛べる人は見たことあるけど、ここまで飛べる人は見たことないや」
「……そうなの?」
「そうだよ〜。なるほどね〜。そりゃ、ルキは登れないや」
「え?」
「いやさ、ルキにルシナの家に行かないのか?って聞いたことあってさ。そしたら、場所は大体知ってるけど、行けないって言ってて。ヘタレとか思っちゃったよ〜」
「……ヘタレ?」
「あ〜、はは……こっちの話ね」
カイは視線を逸らすと、登り続けるコハナを見上げる。
「これ、コハナだから登れるんだね〜。ルシナは子どもの頃から飛べたの?」
「ううん……違うよ。この崖上から落ちたことがあって、それで、自分が飛べるって気づいたんだ」
ルシナは、女神からの加護のことには触れず、飛べると分かった時の話だけをした。
「えっ!落ちたの?……上から?」
「うん」
「……あれ?前に噂になった、珍獣の声って……まさか」
「……うん、私だね」
「……なんか、今日は情報が多くて、頭がいっぱいになってきたな……」
カイは、苦笑いをしながら、二人に向かって手を振ると、町へと戻って行った。
*****
翌朝、コハナとルシナたちは、朝早くから町に来ていた。
「なんか、眠れなかったね……」
「うん」
二人の息が、白く吐き出される。
「カイの店、もう開いてるかなー」
「うん」
ルシナは、カフェに行く前にカイの薬草屋に立ち寄ることにした。
店には明かりがついていて、カイはカウンターで欠伸をしていた。
「おはよう……」
「おはよう。カイも眠れなかった?」
「……なんか、いろいろ考えちゃってね〜」
カイは、すっきりする香りのハーブティーを淹れると、ルシナとコハナに差し出した。
「まぁ……これでも飲んで、目を覚まそうか」
「ありがとう」
三人でハーブティーを飲みながら、たわいもない話をしていると——
薬草屋の扉が開き、ルキが顔を出す。
「おはよう……みんな、ここにいたか……良かった。カフェに来てくれるか?セイラが呼んでる」
穏やかなルキの声が、薬草屋に響いた。




