8: ノスタルジア
湖に浮かぶその存在は、まさに畏怖だった。
美しく光る白銀の髪は湖面近くまで伸びている。
陶器のように繊細な肌は、温度を感じさせず、冷たい印象を与える。
左右対称の切れ長な眼は、ルビーのように赤く輝き、湖面の光を反射していた。
黄金比と呼ぶしかない肢体は、確かに女性の曲線を形作っているのに、どこか中性的だ。
精巧なビスクドールのようなその存在が、こちらを試すように見つめていた。
「きれい…この世のものと思えない程…」
思わずつぶやき、平伏しそうになる。
“めがみさまなのー”
“今日もきれいなのー”
女神さまの周りを、妖精たちがポワポワと光りながら集まっていく。
その荘厳な様子に、息を呑んだ。
コハナの手の温もりだけが、意識を現実に留めていた。
「やぁ〜ねぇ。そんなに褒めても、サービスしないわよぉ〜」
手をパタパタと扇ぐように話す様子に、強烈な違和感を覚える。
「わたくしは、ノクターンの鏡湖の女神、ノスタルジアよぉ。よろしくねぇ〜」
見た目と言葉遣いの落差に戸惑いながらも、
「は、はい…よろしくお願いします」
震える声で返事をした。
精巧なビスクドールのような顔を、表情を崩すことなく近づけてくる。
赤い瞳が、じっとこちらを見つめた。
全てを見透かすような視線に耐えきれず、思わず目を伏せてしまった。
そんな様子もお構いなしに、ノスタルジアは驚きを隠せないといった口調で話し始める。
「あら。あなた…魂がごちゃ混ぜね?」
視線を外すと、空を見上げるようにして考え込んだ。
「……どこかで回線がくるったのかしら。あとでクレーム入れとくわ」
親指の爪を噛むような仕草で、悪態をつく。
「二つの魂が混在したままだと、あなた、精神崩壊するわよ。やーねー」
パタパタと手を振りながら話すノスタルジアに気を取られていたが、なにか恐ろしいことを言われた気がする…
「精神崩壊…ですか?わたしは一体何者なんでしょう」
消え入るような声だったのに、ノスタルジアには聞こえたようだ
「泣かないで…え?泣いてない?えらいわね」
軽い口調のノスタルジアに、たいしたことじゃないような気すらしてくる。
「あのね〜流美の魂とルシナの魂がごちゃ混ぜになってるの〜。普通はありえないのよ〜」
空を睨み、一呼吸をして続ける
「おそらく魂の質が、恐ろしい程似ていたんでしょうね〜」
ノスタルジアの目が赤く光る
「このままだと環境に馴染めず、精神が崩壊して廃人のようになるのよ〜」
「わ…私は一体、どうしたらいいんですか?」
震える声で尋ねる。
「うん!私がなんとかしてあげる!」
さらっと、あっけなく答えるノスタルジアに困惑する。
「ただし、代償はあるわ」
ビシっと指をたてながら、ウインクをする。
「境界線にいつまでもいるものではないのよぉ。どちらの魂を優先するのか選ばないとねー」
ノスタルジアの重さを感じさせない服がふわりと舞う。
(境界線…)
「あの、どちらかの魂が消えるってことですか?」
おそるおそる尋ねる
「仕方ないでしょ。精神崩壊よりマシよ」
ノスタルジアの周りの空間から一切の音が消えるーーー
周りにいた妖精たちもいつの間にかいなくなり、コハナの手の温もりも感じない。
能面のようなノスタルジアの顔が近き、見下ろしてくる。
その瞳には一切の人間らしさが感じられない。
「選びなさい」
荘厳な声は鼓膜に直接響いた
「流美としての魂を残す?」
「それとも、ルシナとしての魂を残す?」
ノスタルジアの右手には青い光が、左手には黄色い光が灯る。
「流美の魂は、この世界に適応しないかもしれない」
右の青い光が強くなる
「ルシナの魂は、困難が多いかもしれない」
左の黄色い光が強くなる
「…どちらを選ぶ?」
湖面には、青ざめ震える若い女性が映し出されていた
そして、選択肢は投げられた…




