66: 巡る思いと決意
音楽が鳴り止んだ店内は、やけに静かだった。
二人は互いに離れず、見つめあったままだ。
(この時間が、ずっと続くといいのに)
ルシナは、手から伝わるルキの体温を感じながら、心がすっと落ち着いていくのを感じていた。
メンダヴォルも、町の変化も、ルキがいれば大丈夫。
そう思えてしまうほどの安心感があった。
「ハイヒールの履き心地は、大丈夫そうだね」
ルキは一歩だけ下がり、ルシナの足元に視線を落とした。
ルシナは、靴ずれやつま先の痛みもなく、安定して踊れたことを伝えると、ルキは優しく微笑んだ。
「良かった」
「実はね、ハイヒールが出来たら、私からダンスに誘おうと思っていたの」
ルシナは、セイラから自分から誘えばいいとアドバイスを受けたことを思い浮かべた。
「ルキに先に越されちゃったね」
そう言って、いたずらっぽく笑った。
「えっ?……俺と?」
大きく見開いた瞳に、驚きが浮かぶ。
「……うん。そうだよ」
ルシナは、自分の顔が熱くなってきた気がして、視線を外し、店内へと逃がす。
狭い店内も、蓄音機から流れる音楽も、ルシナにとっては、かけがえのない時間だった。
「あまり長居しても、セイラさんに迷惑をかけちゃうから……そろそろ帰ろうかな」
「あぁ……そうだな。送るよ」
ルキは動かしたテーブルを元に戻すと、そっとルシナの手を取り、カフェを後にする。
ルシナは、ルキに靴を履き替えるかと問われたが、首を横に振り、ハイヒールのまま並んで歩き出した。
いつものように、ルキの腕に手を添え、歩き出す。
ボルドーのハイヒールは夕焼けに照らされ、深い艶を帯び、ビジューが細やかに光を返していた。
ルシナは思わず足元を見てしまう。
足のラインも美しく、歩きやすいのも満足だ。
「ルキ、支払いは明日でもいいかな?」
「もちろん……ビジューは俺が勝手につけたものだから、最初の金額のままでいいよ」
「えっ?いいの?こんなに素敵なのに……」
「あぁ、俺がつけたかっただけだから……。素敵って言ってもらえて良かった。好みじゃなかったらどうしようかと思ってた」
「そんなことないよ……すごく好き」
ルシナは立ち止まり、そっと足を上げる。
足の甲を軽く動かすと、ビジューが光を反射した。その輝きを見つめ、笑顔が弾ける。
「良かった……」
ルキは、ルシナを見つめて、ふっと微笑んだ。
ルキが仕入れに行った王都での話を聞きながら、崖下までの道を辿っていく。
「王都はどうだったの?」
「人は多いけど、面白い店も多いな。今はトリュフチョコレートが流行ってた」
「トリュフチョコ?」
「丸くて、口の中で溶けるやつ。お土産に買ってきたから、明日一緒に食べよう」
「ほんと?楽しみ」
ルキが昔、王都に住んでいた話をぽつぽつと続ける。
その声を聞きながら歩いていると、いつの間にか崖下にたどり着いていた。
ルシナは、ルキの隣を歩きながら、好きな気持ちが抑えられなくなっているのを感じた。
離れたくない。
思いを伝えたい。
でも、その前にやらなきゃいけないことがある。
崖下では、離れがたい気持ちが二人を包み込み、ただ見つめ合う時間が流れていく。
その沈黙に耐えきれなくなったように、
ルキは不意に腕を伸ばし、ルシナを抱きしめた。
靴を作りながら、どれだけルシナに惹かれていたのか。
出来上がった靴を見て、目を輝かせるその表情に、胸が熱くなった。
(あぁ……人を好きになるって、こんな気持ちなのか)
ルキは、ハイヒールにビジューをつけながら、自分の気持ちから目を逸らさないと決めた。
「ルキ?」
ルシナは、突然抱きしめられて驚いたが、なんでルキが自分を抱きしめているのか、分からないほど鈍くはなかった。
ルシナもそっと腕を伸ばし、ルキの背に回す。
ルシナが抱き返した瞬間、ルキの腕の力が、ほんの少しだけ強くなった。
(……自分の選択に、向き合わなきゃ)
ルシナは一瞬だけ目を伏せると、ルキの胸にそっと手を当て、静かに押して離れる。
「……またね」
そう言うと、ふわりと浮き上がり、振り返ることなく崖上へと飛んでいった。
***
「またね」
その言葉だけを残して、ルシナは飛び去っていった。
先程まで腕の中にいたルシナを、ルキはただ見上げて見送った。
触れられる距離にいたのに、離れていく。
守りたい。
そばにいてほしい。
人の幸せを願うあまり、
自分の思いを抑えることに、慣れてしまっていた。
ハイヒールを渡すだけでは、満たされない思いを抱えていることに、自身でも驚いていた。
気付いたときには、抱きしめていた。
それでも、ルシナは自分から離れていく。
ルシナの瞳の中に、自分だけがあってほしい。
そう願わずにはいられなかった。
***
ルキに思いを伝えるなら、魂の選択をしてから。ルシナは、ノスタルジアに会いに行くことを決めた。
崖上小屋では、コハナが静かに待っていた。
扉を開けた瞬間、コハナの瞳が金色に見えたが見間違えだったらしい。
いつもと変わらない瞳の色でルシナを真っ直ぐ見ていた。
「コハナ、今日パン屋休みだったんだね」
「うん。編み物してた。ブランケット出来た」
コハナが広げたブランケットは、彩り豊かでエキゾチックな模様になっていた。
「すごいよ、コハナ!素敵だね」
「うん。ありがと。ルシナの靴も素敵」
コハナが視線を落とすと、ビジューのついたボルドーのハイヒールが輝いている。
「ハイヒール、出来たんだ」
「うん」
「そろそろ、魂の選択をしようと思うの」
「うん」
「選択……選択肢って、増やせるのかな」
コハナは銀の腕輪をなぞる。
その指先が、ほんのわずかに止まり、ルシナを無表情のまま見据えた。
やがて、ルシナから視線を外すと、何も言わずにフーの頭を撫でた。
「魂の選択……か」
小屋にある片足だけのハイヒールを眺めながら、ルシナはぽつりとつぶやいた。




