64: カフェには妖精がいない
翌日、ルシナはコハナとパン屋の前で別れ、カフェへ向かう。
ブレンダは試作品の感想に満足しているようで、新商品の販売に向けて張り切っていた。
店の前まで、焼きたてのパンの香りが漂っている。
人通りは昨日より多く、すれ違う人たちの表情も明るい。
ルシナも、カフェの営業再開に胸が少し弾んでいた。
「おはようございます」
「おはよう。もうすぐ郵便が届くと思うの。
それまで店内の清掃を任せてもいいかしら?」
セイラはバックヤードで、メニュー表を書き直していた。
「わかりました」
ルシナは腕まくりをして、いつもより少し丁寧に清掃を始めた。
あの、よく見かけていた黒い影もなく、床やテーブルを丁寧に拭きあげていく。
扉を開け、外の空気を取り込んでいると、通りの向こうから歩いてくるマーリンの姿が見えた。
「マーリンさん!お疲れ様です!」
ルシナが声をかけると、マーリンは軽く手を振り返し、
「お手紙、お持ちしました!」
と、明るく応えた。
「ルシナさん、お久しぶりですね!お元気そうでなによりです。セイラさんはいらっしゃいますか?」
「お久しぶりです!マーリンさんもお元気そうで、よかったです!少々お待ちくださいね」
ルシナはマーリンと軽く握手を交わし、バックヤードにいるセイラに声をかける。
ほどなくしてセイラがカフェの入り口に現れ、マーリンから手紙を受け取った。
「……今回は、領主様からの発令もあり、セイラさんに直接お渡ししたくて……ルシナさん、お気を悪くなさらないでくださいね」
「いえ……そんな。当たり前のことですから……」
ルシナは一歩下がると、マーリンとセイラの会話を、少し離れたところで聞いていた。
「今回の発令で、今までの発令内容の解除がなされました。店舗の営業再開と、コミュニケーションの制限の緩和が行われるそうです」
マーリンは今回も各家庭や店舗に声をかけて回っているようだ。
以前は憔悴していたが、今回はえくぼを浮かべて笑っている。
「そう……それは良かったわ」
「赤目の魔獣は、自警団によって討伐された……とあるわね」
「はい!この町の自警団は、本当に優秀ですね!」
「そうね……。その人たちがいるから、安心して生活ができるわね」
マーリンの迷いのない笑顔に、セイラは穏やかな笑みを浮かべ、発令の内容に静かに目を通した。
「セイラさん、あとこれ。いつものファンレターです」
マーリンはカバンから手紙の束をセイラに渡すと、「ではまた!」と言って、次の配達先へと向かっていった。
セイラは発令を読み直し、ルシナに向き直った。
「カフェは、予定通り明日から営業再開ね。これからも、よろしく」
「はい!よろしくお願いします」
ルシナは思わず背筋を伸ばし、少しだけ声に力が入った。
セイラはファンレターの封筒をひとつずつ確認していく。
シンプルな封筒、金色の縁取りが施された豪奢なもの、そしてパステルカラーの可愛らしい封筒。
『りーちゃん』からのファンレターも、いつものように可愛らしいスタンプで飾られている。
セイラは妖精のスタンプを見ると、短くため息をつき、苦笑した。
「メニュー表に、妖精の絵でも入れようかしら…」
「いいですね!たしか、妖精がいるとその店は安泰……でしたっけ?」
ルシナは、少し大きめのセイラの独り言に返事をすると、ふと気づく。
(……そういえば、カフェに妖精さん、いない?)
カイの店、ルキの店、ブレンダの店にだって妖精はいた。
繁盛しているカフェで、妖精を見かけたことは無かった。
(……妖精がいるのは、当たり前じゃないんだ〜。なにが違うんだろ?)
「妖精の絵……は難しそうね。ルシナ、絵は得意?」
「えっ……」
「ちょっと描いてみて!」
ルシナはセイラが用意した紙に、妖精の絵を描いてみる。
(えーっと、羽と目と、身体と……)
セイラの首が、肩につきそうになるまで傾いていく。
「……個性的な絵ね。兄と同じ才能だわ」
(それって……褒めてます?)
「もしかしたら、コハナの方が上手いかも。編み物や料理とか、器用にこなしてますし……」
「そうね。そうしてみましょう」
ルシナが、スタンプでは駄目なのかと聞くと、スタンプは高価らしい。
セイラも、うさぎや花くらいなら割と上手く描けるそうだが、妖精のように見たことがないものは、描けないとのことだった。
ちょうどそのとき、明日に使用するパンの納品に来たコハナを呼び止め、セイラが妖精の絵を描いてほしいと頼むと、コハナは、さらさらと妖精の絵を描いていく。
簡単に描いたその絵は、シルエットだけなのに、まぎれもなく妖精だった。
「わー、コハナ上手だね!私の絵と比べものにならないよ!」
ルシナはコハナに自分の描いた絵を見せると、コハナは首を直角に傾けた。
「……画伯」
(……これって、褒めてる?)
「コハナ、いくつか同じものを描いて欲しいの。もちろん、給金を支払うわ。パン屋の仕事が終わったら、またここに来てくれる?」
「わかった」
コハナは、短く応えるとパン屋に戻っていった。
「こんなに上手いなんて、妖精が見える人っているけれど、コハナも見えているのかしら?」
「セイラさんのお知り合いに、見える人がいるんですか?」
ルシナの問いかけに、セイラは、ほんの少しだけ切なそうな表情を浮かべる。
「妹がね……よく妖精の話をしていたわ」
「セイラさん、妹さんがいらっしゃるんですね」
「……えぇ。ルシナと同じ、二十歳よ」
そう静かに答えると、コーヒーを淹れに席を立つ。
「ルシナ、コーヒー飲む?」
「えっ……はい!お願いします」
(セイラさん、お兄さんと妹さんがいるんだ……。あれ?セイラさんって、いくつなんだろ?)
「……あの、セイラさんって、おいくつなんですか?」
「私?私は二十六歳よ。歳の離れた妹がいてね。いつも私の後をついてきて……可愛い妹なの」
思い出を振り返るセイラの表情は、慈愛に満ちているのに、どこか寂しげだった。
セイラの淹れたコーヒーを飲みながら、ルシナは店内を見渡した。
……やはり、妖精はいない。
次の瞬間、カフェの扉が大きく開いた。
「明日からカフェ再開するんだって?コハナから聞いたよ!」
カイの明るい声が、静かな店内に弾ける。
大股で店内を歩くと、カウンターの席にどかりと腰を下ろした。
「あなたはカフェが休みでも、当たり前のように来るのね……なに飲む?」
セイラはため息をつきながらも、飲み物のリクエストを聞く。
(セイラさん……やっぱり優しい)
ルシナは、うっとりとセイラを見つめた。
「俺、ミルクティー!甘いやつ!」
セイラはカイのミルクティーを用意しながら、ふっと妖艶に笑うと、紙とペンを差し出した。
「妖精の絵を描きながら待ってて」
「え?妖精?絵本でしか見たことないけど?」
そう言いながらも、さらさらと描いていく。
「……上手い!なんで?」
「なんでって……ルシナ、それちょっとひどくない?俺、薬草とか描きとること多いから、絵には自信あるんだ!」
「でも、妖精は見たことないでしょ?」
セイラが問いかける。
「見たことないけど、こんな感じかなーって想像しただけ!」
(……そうだった……カイって天才肌だった)
ルシナは、カイの才能の広さを改めて感じた。すすっと自分の描いた妖精をカイに見せる。
「何これ?……蝉?」
悪意のないカイの言葉に、ルシナは項垂れ、セイラは思わず吹き出した。
「……うん。蝉。よく分かったわね」
ルシナは、もう“蝉”ということにした。
「だろ〜?そうだと思ったんだ!」
セイラは、とうとう涙を流しながら笑い始める。
「でもさぁ、妖精ってどこにでもいる訳じゃないんだよな」
カイは頭を掻きながら、思い出すように天井を見つめた。
「師匠がさ、よく言ってたんだ。妖精は人に懐くって……。自分を大切にしていると、自然と妖精は応援してくれるんだって!」
「俺のそばにもいてくれるかなー」そういいながら、セイラ特製の激甘ミルクティーをがぶりと一口飲んだ。
「自分を大切に……ね」
小さなその言葉は、カイの明るい声に、そっとかき消されていった。




