61: 赤い目、青い瞳、緑の団子
夜はまだ明けきらず、低い位置に月が残っている。
鳥もまだ目覚めていない。
森は、静寂に包まれていた。
ノアは足音を殺し、森の奥へと踏み込む。
“のあー、みえるのー?”
「……ついてきたのか」
“うん!てつだうのー”
「離れていろ」
“えーだいじょーぶー?”
「いいから、下がっていろ」
“わかったー”
妖精はくるりと回ると、ふわりと後ろへ下がった。
気配を押し殺して進んだ先に、大きな岩がある。
その上で、赤目の狼型魔獣が横たわり、寝ていた。
ノアは魔法陣を瞬時に展開し、魔獣の周囲へと配置する。
——刹那。
十字に輝く魔法が、魔獣へと叩きつけられた。
岩の一部が砕け散り、白煙が立ち上る。
——そこに、魔獣の姿はない。
岩には、十字の亀裂だけが残っていた。
「チッ」
ノアは舌打ちをすると、横へと跳ぶ。
赤目の魔獣が、牙を剥いて飛びついてきた。
ノアは一瞬で剣を抜き、その顎を受け止めた。
牙が剣に食い込み、鈍い音が響く。
衝撃で、剣がわずかに軋む。
ノアは体を素早く捻ると、足で魔獣の顎を蹴り上げた。
魔獣は吹き飛んだが、くるりと宙で身を翻し、音もなく着地する。
低く喉を鳴らしながら、ノアを睨み据える。
ノアは魔法陣をいくつも展開し、一気に叩き込む。
魔獣はしなやかな動きで、それらのほとんどをかわしていく。
直撃しても、ほとんどダメージになっていない。
(……くそ)
(何人喰ったんだ)
ノアはさらに魔力を込め、精度の高い魔法陣を次々と展開する。
(簡単には、落とせないか……)
(面白い)
ノアは、にやりと笑った。
青く細く研ぎ澄まされた高濃度の魔法が、魔獣へと撃ち込まれる。
魔獣の肩に直撃し、その一部が抉れた。
魔獣は体勢を崩さないまま、低く唸っている。
「……あお……あお、にくい……」
かすれた声で、言葉を吐いた。
(……話すようになってきたか)
(シヴァルが警戒する訳だ……)
魔獣の赤い目がギラリと光る。
次の瞬間、一気に間合いへと跳躍する。
ノアは素早くポケットに手を差し入れ、緑色の団子を取り出すと、その口へと投げ込んだ。
魔獣は意にも介さず、それを飲み込むと、そのままノアへ襲いかかる。
ノアは魔獣の顎下に魔法を叩き込む。
魔獣は大きく吹き飛ばされ、地面を抉るように滑っていく。
ノアはさらに魔法陣を展開する。
煌めく青の魔法陣が、空間を支配する。
「……あお……グルル……」
魔獣はふらつきながらも立ち上がり、青く輝く魔法陣を睨みつける。
一足で間合いを詰めるが、先程までの勢いはない。
ノアの回し蹴りが、横腹を捉えた。
(薬が効いてきたか……)
ノアは空間に置いていた魔法陣にさらに魔力を込め、研ぎ澄まされた高濃度の魔法を発動させた。
青銀の十字が、赤目の魔獣を貫く。
「……グルルルル……」
(我こそが……森の支配者になる……)
その願いも虚しく、その身体は、十字に焼き切られていく。
近くの草花は、何事もなかったかのように、ただそこに揺れていた。
“おわったのー”
“のあ、かえって、ちょこたべよー”
遠巻きに見ていた妖精が、ノアの肩にひょいと腰掛ける。
「……あぁ」
ノアは、赤目の魔獣の残骸を見つめたまま、静かに呟いた。
―――
すっかり静かなカフェに慣れてきてしまった。
セイラは、カフェの2階にある自室で手紙を読んでいる。
窓から見える町も、人通りが少ない。
まだ、底冷えをするような季節ではないはずなのに、肌寒く感じる。
「……。カフェの営業は再開出来そうね。仕事が早いわ」
セイラはレモンティーを一口飲む。
「王都からの派遣くん、仕事はしてくれたみたいね」
昨日、カイが息抜きに訪れた時のことを思い出していた。
*****
『あの子、きっと真面目で優秀なんだろうけど、言葉選びがね……』
カイはぐったりとした様子で、カフェのカウンターに突っ伏していた。
『師匠が作った対魔獣の薬草配合レシピを、持ってきてくれてさ……。ヴォル化した奴を食べた魔獣用に改変したんだけど……』
カイは、セイラが入れた激甘ミルクティーをがぶりと一口飲む。
『それでいいんですか?それ、おかしくないですか?需要あります?って、横からずっと言ってくるんだよ……』
『追い出せばいいじゃない。店主は貴方でしょう』
セイラが呆れた声でカイに投げかける。
『でもさ〜……一理あるんだよね〜。配合が適当なところが気になったみたいなんだ。再現性が〜って言ってたかな……』
『カイは感覚的に作っていることが多いの?』
再現性。
薬を作る上では重要なのではないか。
セイラも派遣君と同意見だ。
『……うん。なんか、こんな感じ!って作ってる。これが結構上手くいくんだ!』
カイは、激甘ミルクティーを一口飲むと、セイラが作った、有り合わせのサンドイッチを頬張った。
リスのように頬を膨らませながら、話を続けた。
『でも、ちゃんと後からどの程度、材料を使ったか数値化してるよ〜。最初に用意した重さを測っていれば、割り出せるし』
もしゃもしゃと咀嚼する。
『まぁ、そうやって使った量からレシピを作るのも、師匠から、そうしろって言われてからだけどね』
はははっとカイは笑った。
(……ジャスミンの薬は、言われる前ってことね……)
セイラは爪を弾きながら、カイの話を聞いていた。
『派遣君も昨日までだったんだ!勉強になりました。ありがとうございますって言って帰って行ったよ』
カイは、サンドイッチをあっという間に食べると、激甘ミルクティーを飲み干した。
『多分、悪い奴じゃないんだよな……。途中から、何も言わなくなったし。魔獣用の薬もね、出来上がったら、すぐに売れたんだ!!良かった良かった!』
『その効果ってどんな感じなの?』
『んー……簡単に言うと、魔獣の弱体化かなー。特に、ヴォル化した人間を喰った奴を、喰う前の状態に戻す……って感じ。派遣君も一緒に考えたいって言ってくれてさ……。だけど提案してくれたやつはさ、効き目が遅くて効果も弱かったから、それを十倍になるようにしたんだ!材料配合も手順も、少し変えるだけで効果って変わるんだよねー』
セイラはカイに水を渡す。
きっと口の中は、サンドイッチと激甘ミルクティーの甘さで喉が渇いているはずだ。
ありがと。とカイは水を受け取ると一気に飲み干す。
『あの薬、多分すごく味が悪いんだけど、魔獣って味覚あるのかな?』
カイは首を傾げながら考えている。
『そこまでは分からないけど、美味しくする必要もないんじゃないかしら?』
『それもそうだね!……しっかし、本当にいいタイミングで売れたなー。自警団の人って感じじゃなかったし……。まあ、まだあるから良いんだけど、赤目の魔獣、翌朝には討伐されてたりして……』
『ふふふ…。そうなったら、カイ、大活躍ね』
セイラが笑うと、カイは照れたように笑い、頭をぽりぽりとかく。
『そうだといいなー。じゃ、ごちそうさま!』
カイが席を立つと、セイラは肩に手をそっと置く。
『お金……払ってね』
『!!もっもちろんだよ!いつも忘れてごめんね』
カイはポケットから銅貨を出すとセイラの手のひらにそっと置いた。
『早くカフェが営業再開して、ルシナも来れるといいね』
『そうね、私もルシナに早く会いたいわ』
カイは『じゃ、また!』と短く別れの挨拶をすると、店の外で待つ、アンナの元へ走って行った。
*****
セイラはレモンティーを一口飲む。
(もう、決着はついたかしら?)
カイの薬を買いに来た人物に心当たりがあった。
特務部隊ー
彼らが動いていることは、手紙で知っていた。
誰とも、どんな姿をしているかもわからない。
ただ、自分がもっと幼い時に、それらしき人と兄が話をしているのを見たことがあった。
灰色の長い髪を後ろで一つに結んだ若者を。
鼻が高く鋭い目つき。
青い瞳が印象的だった。
(超絶イケメンの領主様?対応してるんでしょうね)
セイラは、窓から差し込む朝焼けをレモンティーを飲みながら眺めた。




