60: パンケーキとチョコ
ルシナが小屋に戻ると、扉の前にベリーの実がたくさん入った籠が置かれていた。
(……ノアさん?無事だったんだ)
籠を持ち、扉を開ける。
フーが尻尾を振りながら、ぴょこぴょこと飛びついてきた。
「フーちゃん、ただいま」
ルシナは、籠をテーブルの上に置くと、フーのお尻をガシガシと撫でる。
フーはお尻を撫でられるのが好きなようで、ルシナが手を降ろすと、すぐにお尻を擦り付けてくる。
満足そうな顔をして、くるくると回っている。
「ルシナ、おかえり」
コハナは、変わらず編み物を続けていたらしく、小屋を出る前よりも編みかけのブランケットは幾分、大きくなっていた。
「たくさん採れたね」
コハナは、籠いっぱいのベリーの中から、一粒手に取ると、ぱくりと口に入れた。
「……これ、私が採ったんじゃないの」
コハナは、無言のままルシナを見つめて、続きを促す。
「群生地に狼型の魔獣がいてね、ノアさん……が、逃してくれたの……」
背が高く、細いのにがっしりとした体躯。
細く鋭い視線。
そして、たくさん展開された魔法陣。
(あの後、どうなったんだろ……。ベリーも置いてあったし、大丈夫なのかな……)
「そうなんだ……無事で良かった」
コハナは、短く息を吐くと立ち上がり、キッチンに向かう。
コンロにフライパンを置くと、パンケーキを焼き始めた。
甘い香りが漂い、フーが鼻をクンクン動かしている。
ルシナはコハナの隣でベリーを洗っていく。
無言でいても落ち着く関係が、心地よい。
焼き上がったパンケーキに、ホイップバターとベリーをたっぷり乗せて、二人で食べた。
パンケーキを頬張るルシナを、コハナは無表情で見つめる。
(無事で良かった……。大丈夫だと分かっていても、実際に会えるまで不安だった……)
「ん?コハナどうしたの?おかわりする?」
ルシナは首を傾げながら、コハナを見る。
「大丈夫」
コハナは短く答え、目を細めてルシナを見つめた。
ーーーー
数日前——
ノアの元に、一通の依頼書が届いた。
伝書魔法で届けられたそれは、依頼というより、命令に近かった。
特務部隊——正式な名称はない。
貴族の間で時折語られる、噂の存在だ。
王族特務、密偵、暗殺、影の支配者——
様々な呼び名があるが、いずれも噂の域を出ない。
ただ共通しているのは、
どんな人物か、名前も、年齢も、性別も、すべて秘匿されている集団——
それだけだ。
だが、ノアは知っている。
その集団が、実在することを。
ただし、実際にはいくつか違いがある。
集団と呼ぶには人数は少ない。
互いに誰なのか、何をしているのかも、はっきりとは分からない。
せいぜい、一人か二人を知っている程度だ。
それぞれが、それぞれの役割を果たす。
管理者が王か王妃か——それすら知らされていない。
ノスタルジアから加護を受け、膨大な魔力量と、高い戦闘能力を手に入れた。
元々持っていた体躯や、警戒心の強さ、潜入技術も相まって、仕事も増えた。
自分の居場所は、力を手に入れれば作り出せる——そう思っていた。
けれど、ルシナを見ていて思う。
自分の選択は、間違っていたのではないか。
もっと違う居場所が、あったのではないか。
そう考えることが、増えてきた。
“のあー、ちょこー!やくそくなのー”
鼻にしがみつこうとする妖精を、顔を逸らして避けると、妖精は、耳にぶら下がった。
ノアの住む部屋は簡素だ。
鍵付きの引き出しのある机と椅子、棚、ベットしかない。
クローゼットには最低限の服しか入っておらず、剣も今はベット脇に立てかけている。
ノアは軽くため息をつくと、、棚から小箱を取り出す。
そして、皿の上にトリュフチョコレートを三つ並べた。
机の上に置くと、妖精は耳から離れ、チョコレートを食べ始めた。
ノアは、鍵付きの引き出しから依頼書を取り出した。
薄い黄色の紙に、紺色のインクで書かれており、薄暗い部屋の中でも読みやすい。
美しく丁寧な字で書かれており、ほのかに花の香りがする。
森に生息している、赤目の狼型魔獣の討伐依頼だった。
ヴォル化した人間を数名喰っており、自警団のみの討伐は難しい。
討伐の条件は、森の主を怒らせない事。
討伐している姿を見られない事。
潜伏・偵察場所からの脱却し、この国の任務に専念する事。
中々に厄介な条件が付け加えられていた。
潜伏先からの脱却は、協力者もあり、問題なく終了している。
しかし、森の主を怒らせないことは難題だったが、思わぬ事態が起きた。
青目の狼型の魔獣との邂逅だ。
―シヴァル。
自身を『蒼き深緑の王』と名乗っていた。
森の主からも、討伐せよ!と命じられた。
これで森の主を怒らせずに、赤目の狼型魔獣を討伐出来るだろう。
赤目の、弱点も寝床も、シヴァルから情報で把握済みだ。
(明日―夜明けと共に実行しよう)
トリュフチョコレートを、口いっぱいに頬張りながら食べる妖精の頬を、つんと軽く突くと、僅かに唇を上げる。
ノアは依頼書を丁寧にたたみ直し、封筒に戻す。
パステルカラーの封筒には、“R”と小さく書かれていた。
『明朝、実行』
ノアは、紙に短く書くと妖精に持たせた。
「これを、Rのところに持っていけ」
“わかったー”
“また、ちょこくれるー?”
「あぁ」
短く答えて、妖精を見送った。
(もし、違う選択をしていたら……。自分は今、何をしている……)
ノアは窓の外を睨みつけるように、夕陽を眺めていた。




