51: 三日月の微笑
開店前のカフェは、静かでどこか寂しい気配がしている。
カウンターの中、コンロの上にはフライパンが数枚重ねて置かれ、皿やカップはすべて食器棚に仕舞われていた。
まだ目覚めていないカフェには、コーヒーの香りも、パンケーキの甘い匂いもない。
バックヤードから、淡い光が差し込んでいる。
机の上には書類と、ウサギやネズミのスタンプが押された、可愛らしい色合いの封筒が、丁寧に並べて置かれていた。
セイラが早くから事務作業をしていたことがわかる。
セイラはコンロに火をつけ、湯を沸かしてコーヒーを淹れた。
「ルシナはブラックコーヒーよね」
手際よくカップにコーヒーを注ぎ、小さなバスケットにバタークッキーをいくつか入れる。
それをトレーに乗せて、ルシナの前に置いた。
ルシナは、自分がお花畑にでもいるような心地で、セイラの動きをぼんやりと見つめていた。
トレーをカウンターに置くと、セイラは隣に座るようにルシナを手招いた。
「セイラさん、開店時間になりますよ?」
ふと我に帰ったルシナに、セイラはイタズラな笑顔を向ける。
「いいじゃない。今日くらい…。お客さん来ても待って貰えばいいのよ。開いてなかったら、時間をおいてまた来てくれるわ」
鼻にコーヒーの香りが届く。
ルシナは、両手で包むようにカップを持つと、ゆっくりと一口飲んだ。
「それで?な〜んか、いい雰囲気だったわね。靴の採寸終わったの?」
ルシナの顔をまじまじと見つめながら、探りを入れてくるセイラは、変わらず満面の笑みを浮かべている。
「あの……はい。昨日、採寸終わって……。ルキも作り始めるって、さっき言ってくれました」
「それは良かったわね。楽しみね」
目を細めてセイラは笑う。
「はい……」
採寸の時の距離の近さや、抱きしめられた時の体温を再び思い出し、ルシナは気を逸らすようにコーヒーを、大きく一口飲む。
「びゃ。あちっ……うぅ」
「あらあら……ふふふ」
セイラは見守るように微笑む。
その美しさに、ルシナの顔はまた違う理由で赤くなる。
「あの、セイラさん」
ルシナは、思い切ってセイラに相談をしてみる事にした。
「例えば……なんですけど、好きっていう気持ちが……大きくなったり、ならなかったりして。何が自分の気持ちなのか分からなくて……その……えっと……。自分がどうしたいのかなっとかってなって……。すごくドキドキして……。あれ?私なにを言ってるんだろ……」
話しながら、首を傾げる。
これでは、相談される方も答えられないのではないか。
「んーと、つまり……えーっと……。私、どうしたらいいですか?」
(あああ。こんな質問の投げ方ってある?セイラさん困るよね。あわわわ……)
セイラは、茶化すこともなく、ただ微笑んでルシナの話を聞いている。
その目は、他の誰かと重ねているようにも見えた。
セイラは、コーヒーをきれいな所作で飲むと、ルシナの手を軽く包み込む。
「いっぱい悩みなさいな。それが恋をしている時の特権よ」
「特権……」
「そう……特権。でもね、ドキドキする、ふわふわするって、なんとも思ってなかったら、そんな風にはならないと思うの。手が触れた……。目が合った……。なんとも思っていなければ、いちいちドキドキしないわよ」
「そう……ですよね。意識しないようにしても、意識しちゃう……。これって、私の感情なんですかね」
セイラはルシナをジッと見つめる。
その眼差しは、優しく諭すようで、見守る姉のようだった。
「ルキの顔を見ると、ホッとする?それとも、ドキドキして顔も見られない?」
セイラの問いかけに、ルシナは少しだけ考える。自分の胸の奥に問いかけてみた。
「どっちもです」
「そう……。改めて聞くわね。ルシナはどうしたい?」
「私は……。たわいもない話をして、一緒に歩いて、ダンスが出来たら……」
少しずつ小さくなる、自分の声を聞きながらルシナは少しだけ、腑に落ちた。
(あぁ……。一緒に歩きたいは、流美の魂だ。一緒にダンスをしたいのは、ルシナの魂だ……。恋をする気持ちは同じだった……)
「少しだけ、思いの整理が出来たかしら?」
ふふふと笑うセイラからは、大人の色気を感じる。
(セイラさんって、どんな恋をしてきたんだろう)
「セイラさん、一つ、聞いてもいいですか?」
「なぁに?」
セイラはコーヒーを一口飲むと、大きな目をルシナに向けた。
「セイラさん、自分の気持ちに迷った時とか……どう進んだらいいのか、分からなくなった時って、どうしていますか?」
セイラはしばらく天井を見つめ、爪を弾きながら物思いにふける。
ルシナはそっとコーヒーを口に運び、セイラの答えを静かに待った。
「そうね〜……」
セイラはルシナに向き直ると、切なくなるような表情を見せた。
「まずは、どんな道があるのかを探すわね。
そして、与えられた道以外の可能性や、未来を想像するの」
セイラの表情が、いつもの強さを取り戻す。
「それが例え、あり得ない道でも……。苦しくて辛い道でも……。周りが敵になっても関係ないわ。私の心に従って進むわね。選択権は自分自身にあるのよ。選択肢だって作ってやる!ってね」
少し語尾が強くなった事に照れながらセイラは続ける。
「ふふ……。ちょっと熱く語っちゃったわね。まあ、そうやって、今はカフェを経営しているわよ。好きな事をするって楽しいじゃない?」
セイラはウィンクをして、にっこりと微笑んだ。
「そうね……ルシナなら……。
うん。ハイヒールが出来上がったら、ルキをダンスに誘いなさいな。男性から誘われるのを待たなくてもいいのよ。自分から誘うのも、一つの選択肢だと思わない?」
セイラは妖艶に笑う。
「自分から……」
(選択肢を作る……?)
「はい……。頑張ってみます!」
「大丈夫よー。ルキなら喜んでダンスのパートナーになってくれるわよ!ダンスしたいなら、閉店後なら、ここ使っていいわよ!」
そう言うと、セイラは立ち上がり、開店準備に取り掛かった。
「さて、お店開くわよ。何人か覗きに来てたし。今日もよろしくね」
「はい!」
―――
カフェを開けると、すぐに客が入り、店内にはコーヒーの香りとパンケーキの甘い匂いが広がった。
目を覚ましたカフェは、いつもと変わらず賑わいを見せている。
客たちの話題は、もっぱら昨夜の魔獣の話だった。
倒したのは超絶イケメンの魔法使いだとか、
魔獣は結局、誰も喰っていないとか。
真偽の分からない噂ばかりが飛び交っている。
その中に混じって、こんな声も聞こえてきた。
花屋のミュリーが体調を崩したらしい。
あれは変な噂のせいだ、可哀想に──。
その言葉を聞いた瞬間、ルシナの心がヒヤリと冷えた。
「ミュリーさん、大丈夫なの?」
セイラはコーヒーをテーブルに置き、頬に手を当てて心配そうに客へ声をかける。
「セイラちゃん。ミュリーは、今日は花の仕入れに行くって言ってたよ。今朝は普通だった。でも一昨日はね……」
客は声を少し潜めた。
「真っ青な顔で、ぶつぶつ呟きながら花を荒らしててさ。みんな心配してたんだよ」
心配そうな顔をセイラに向ける。
もう1人の客も同じ表情だ。
「嫌な噂だったからなあ。薬草を隠してるとか、隣国に横流ししてるとか……」
客は、そんな噂が流れるなんて信じられないと、首を振った。
「ミュリーを知ってる奴なら、そんなことする人じゃないって分かるのに」
「そうだったの……。ミュリーが心配ね」
セイラは客に「ごゆっくり」と声をかけ、その場を離れる。
そして、ふっと視線をルシナへ向けた。
ルシナはパンケーキをひっくり返すのを失敗したのか、目を見開いて、あたふたしている。
「すいません……。失敗しちゃいましたー」
しょんぼりするルシナを見て、セイラは思わず笑ってしまう。
「それは、まかないとして後で食べましょう」
「すいません……」
ルシナは気を取り直して、パンケーキを焼き直す。
そして、カフェのピークタイムは過ぎ、静かな時間が流れる。
「休憩にしましょう」
ルシナは最後の一人を見送ると、カフェの扉に「休憩中」の札をかけた。
――――
ルシナはカウンターに座り、失敗したパンケーキを頬張る。
形は崩れているが、味は美味しい。
セイラがハチミツを多めにかけてくれたので、ブラックコーヒーによく合う。
「さっきのミュリーの話だけど」
セイラが何気ない口調で言った。
「カイがハーブティーを届けたって言っていたのを思い出したわ。そこにコハナとルシナもいたって聞いたけど……何か知ってる?」
「はい……ちょうど居合わせて……」
ルシナはどう話そうか、少し悩む。
「ミュリーさん、錯乱状態だったんです。表情も人形のようでしたし、目も赤くて……。
話も出来ないくらい、異様な感じでしたよ。
見てられなくて、思わず抱きしめちゃいました」
ルシナがポツリと呟くように話すと、セイラは身を乗り出して、大きな目でルシナを見つめる。
「それで?」
セイラの距離が少しだけ近くなる。
「どうなったの?」
セイラに珍しく、言葉が早い。
「んー……。ふわってなって、落ち着いてきましたよ。一瞬、意識なくなった気がしましたけど、ココちゃんが顔を舐めたら戻りましたし」
セイラは爪を弾きながら深呼吸をした。
「そう……」
セイラは、しばらく俯き考えている。
ふと顔を上げたセイラと視線があう。
「他に何か、変わったことあった?」
セイラの質問に、ルシナは少しだけ考える。
「なんか、黒い火みたいなのが見えました」
セイラの目が、三日月のように細くなる。
(やはりルシナは……鍵だ。ジャスミンを取り戻すための)
ルシナがパンケーキを頬張っている姿を見ながら、セイラは妖艶に唇を上げた。




