48: ジャスミンの香り
「採寸が終わったから、あとは木型を作って本格的に靴を作り始めるよ」
カイとアンナが帰ってから、ルキはルシナにこの後の靴作りの流れを説明した。
「町の雰囲気が良くないな。ルシナはコハナと一緒に住んでるんだよね」
「うん。そうだよ」
ルキは様子を伺うようにルシナを見つめた。
「どこに住んでるか聞いていいか」
真剣な眼差しに、ルシナは戸惑う。
心配してくれているのが伝わる。
だけど、崖上にいることをルキに教えてもいいのか……。
崖上は隣国だ。
簡単に登れるものでもない。
コハナの滑り台ルートも隠されるように存在している。
「心配なんだ……」
ルキの切ないような表情に、ルシナの胸が締めつけられる。
(あぁ……秘密にできない……)
「崖の上なの……。隣国の」
ルシナは俯きながら呟くように答えた。
ルキはすぐには言葉を返さなかった。
驚いているというより、頭の中で状況を整理しているようだった。
それから小さく息を吐く。
「……そうか」
短い言葉だったが、その声にはいつもと変わらない優しさが滲んでいた。
「途中まででいい。送らせてくれないか」
ルシナが顔を上げると、ルキは心配そうな顔をしていた。
「お願いします」
ルキの顔を見たら、断ることも誤魔化すことも出来なかった。
靴屋を出るとルキは腕を差し出す。
その腕にルシナは躊躇いもせず、そっと手を添え、二人は歩き出した。
休息日の町は静かで、閑散としている。
人が少ないからなのか、黒い影もまばらで少ない。
青い空と、少し冷たい風が心地よい。
カフェの前を通ると、店の奥の部屋の明かりがついている。
セイラは今日も会計業務をしているのだろうか。
公園では、郵便屋のマーリンと娘のリーリエが遊んでいるところを見かけた。
オレンジ色のくるくるとした髪が、ちょこちょこと動く様子に、思わず笑みが溢れる。
民家では、シーツが干されており、その下では猫があくびをしながら、寝転んでいる。
ルキの隣は歩きやすい。
歩幅や速度をルシナに合わせてくれている。
そっとルキを見上げると、ルキは真っ直ぐ前を向いて歩いている。
(どこまで、送ってもらったら良いんだろう……崖下?)
(でも、どうやって上に行ってるのかってなるよね)
(コハナの滑り台は言わない方がいい気がする)
そんなことをぐるぐると考えていると、ミュリーの花屋が見えてきた。
休息日だからか店先には花はない。
扉は開いており、箒で掃除をする音がする。
ルシナが立ち止まって中を覗くと、ミュリーと目が合った。
ルキも立ち止まり、花屋を覗く。
「ルシナ、どうかした?」
「ルシナちゃん!」
ミュリーが箒を投げ出し、駆け寄ってくる。
「ミュリーさん、体はもう大丈夫ですか?」
「えぇまだ怠さとか、もやもやとか残ってて、掃除をしていたところなの。今日が休息日で良かったわ」
いつもと変わらない、優しい口調と笑顔にルシナは、胸が軽くなるのを感じた。
「あら。ルキさんじゃない。こんにちは」
「ミュリーさん、こんにちは。体調悪かったんですか?」
ミュリーは、ルキの腕に添えられたルシナの手をちらりと見た。
けれど何も言わず、ルキに微笑みかける。
「昨日、ルシナちゃん達が来てくれて助かったわ。気づいたら萎れた花が散乱してるし、ココは怯えているし……」
ミュリーは小さく首を振る。
「自分でも、よく思い出せないんだけどね」
ミュリーはふっと視線を落とした。
「なんだか、目の前が真っ暗になって、感情も何もなくなった気がしたの。でも、ルシナちゃんが抱きしめてくれたことだけは覚えているのよ」
ミュリーはルシナの手を取り、優しく微笑んだ。
「光を照らしてくれる天使かと思ったわ」
ミュリーは、ふふふ、と笑うと可愛らしい笑顔を見せた。
「そうだ!ちょっと待ってて」
ぱん、と軽く手を叩くと、ミュリーは店の中へ入っていく。
すぐに戻ってきたミュリーの手には、小さな白い花がいくつもついた枝があった。
「この花、散乱した花の中でも無事だったやつ。噂に惑わされないあなたに」
そう言って、ミュリーはその花をルシナの右耳にそっと添える。
ジャスミンの甘い香りが広がった。
「ルシナちゃん、本当にありがとう。あなたに会えて良かったわ。よかったら、またお店に来てね」
「こちらこそ、お花ありがとうございます。またお店に寄りますね」
ルシナは耳につけられた花を軽く触れながら
笑顔で答えると、ミュリーは手を振り、店の中へ戻っていった。
「花……きれいだな」
ルキはそう言うと、ルシナの耳元にそっと手を伸ばした。
指先が花に触れ――
そのまま、耳にかすかに触れる。
二人の間に、ジャスミンの甘い香りがふわりと広がった。
「昨日何かあったのか?」
ルキが花屋を見つめる。
「ミュリーさんが、錯乱状態になってて……。空気もすごく重くて……もしかしたら……」
ルシナは昨日のことを思い出す。
あれを、どう説明したらいいんだろう。
メンダヴォル……ヴォル化。
それに近い気がした。
けれど、確信は持てない。
「メンダヴォル関連か?」
ルキの声が僅かに低くなる
「……。確信はないけど、かなり異様な感じだったの。メンダヴォルかも……」
ルキは目を細めて再度、花屋をみる。
「そうか……。今は大丈夫そうだな……」
ルシナの手を取ると再び二人は崖下へ向かって歩きだした。
ーーー
崖下に着くとルシナはピタリと足を止めた。
ルキは周囲を警戒するように見渡している。
「この上なの」
ルシナが崖の上を指差す。
崖は、切り立った石柱が層のように重なり、空へと伸びている。
とても登るようなものではない。
「この上?どこかに登れる場所があるのか?」
ルキはそびえ立つ崖を見上げる。見上げても崖の頂上は見えない。
ルシナは一歩下がると、ふわりと体を浮かせた。
風がわずかに揺れる。
ルキは思わず目を見開いた。
気づけば、ルシナの顔が自分と同じ高さにあった。
空に浮かぶように、静かに。
「私ね、飛べるの。女神さまに加護をもらったの。いざとなったら、飛んで逃げれるから大丈夫だよ」
ルシナは微笑むと、そっとルキの頬に触れる。
「またね。送ってくれてありがとう」
次の瞬間、ルシナの体は軽やかに空へ舞い上がった。
ルキは自身の頬に触れながら、飛んでいるルシナを見上げる。
天使……そんな思いが胸に募る。
ジャスミンの甘い香りだけが、その場に残った。
「ジャミー……」
ダークブラウンの髪に、大きな目。
弾ける笑顔。
顔の作りはセイラによく似ている。
「ジャスミン……」
守れなかった笑顔が浮かぶ。
もう一度、ルキは空を見上げた。
そこにはルシナの姿は見えなかった。
しばらく呆然としていると、視界の端に青い光が見えた。
振り向くと、青い目の大型の狼がこちらを見ている。
どこか試すような視線にルキの体は強張る。
やがて、狼は興味をなくしたかのように視線を外すと木々の中に紛れていった。
ーーーー
ルキはカフェの扉を叩いていた。
中からセイラが出迎える。
「どうしたの?今日はデートじゃなくて?」
「セイラ、聞きたいことがある」
ルキの声はいつもより低く静かだ。
「入って」
セイラは店内に案内すると、ルキにコーヒーを差し出す。
「聞きたいことって何かしら」
どこか、挑むような眼差しだ。
「崖の上には何がある?」
ルキは静かに問いかける。
「たどり着いたのね」
セイラの形のいい唇が妖艶に上がる。
「ルシナは一体……」
「あの子は町の……いえ、ジャスミンの鍵になる」
ルキは鋭い視線をセイラに向ける。
「……利用する気か?」
セイラは答えない。
ただ、妖艶に笑う。
それでも、その瞳には悪意は感じない。
「あなたが守ればいいじゃない」
ダークブラウンの髪をかきあげると、大きな瞳でルキを見つめた。
「ルシナから目を離さないで」




