46: 白い花、青い目
コハナがパン屋のブレンダを呼びに行くと、ルシナはミュリーと二人だけになった。
ミュリーは、愛犬に顔を舐められ意識を取り戻し、今はゆっくりと水を飲んでいる。
クルクルした毛並の茶色い小型犬ココは、ミュリーの膝の上に乗って丸くなっている。
ミュリーは、ココの背をふわりと撫でると、枯れた花で荒れた部屋を見渡す。
まだ呆然としているミュリーを、ルシナはそっと見守った。
「私……何をしていたんだろう」
ミュリーは、震える声で天井を見上げた。
「何があったんですか?」
ルシナはそっと肩に触れる。
華奢な肩がビクリと揺れた。
「……。分からないの。町の人に薬草を隠し持っているだろって。そして隣国に横流ししているんだろって。そう言われたの。そんなの噂が流れてるなんて……」
そばに落ちていた枯れた花をルシナは眺める。
「薬草に近い花は、確かにあるけど……。薬草とは別物。薬になるようなものじゃないのに……」
誰がそんなことを言ったんだろう。
誰かに恨まれているのか。
そんな噂を鵜呑みにする人達が許せない。
そんな考えが頭から離れなくて、最近よく眠れていなかったと、ミュリーはココの背に顔を埋めながら呟いた。
ルシナはミュリーの背をそっと撫でる。
「そしたら、目の前が真っ暗になって……。
なんでみんな分かってくれないの、なんでって……」
ミュリーは震える声で続けた。
「花も……ココも……大切だったものも、
憎しみも悲しみも、全部ごちゃごちゃになって……。
全て黒くなっていって……何も感じなくなってきて……」
ミュリーは深く息を吸った。
「恐ろしかったの。何も感じない……。
生きていることさえ、何も感じなくなっていったの」
ミュリーの目は、感情の揺れを失っている。
ぽっかりと穴が空いているように仄暗い。
辛うじて、ココを撫でる手だけが人間らしい温度を保っていた。
「ミュリーさん……」
「ルシナちゃん……。ありがとう。やっぱりあなたは白い花ね」
噂の色に染まらない、無垢なあなたーー。
ミュリーは目を閉じてルシナに頭を預ける。
そっとその頭をルシナが撫でるとミュリーはそっと力を抜いた。
再びミュリーが目を開けると、いつもの優しい眼差しに戻っていた。
「ミュリー大丈夫かい?」
ブレンダの声が優しく響く。
コハナがブレンダを呼びに行って、すぐに駆けつけてくれた。
「今、コハナがカイを呼びに行ったからね」
「ブレンダさん……ありがとうございます。ご迷惑おかけしてしまって……」
「いいんだよ〜。お互いさまじゃないか。さっ、そこのソファーに横になって」
ブレンダはミュリーを支えると、そっとソファーに座らせた。
しばらくすると、息を切らしたカイが店に駆け込んできた。
「ミュリーさん、大丈夫?
心が落ち着くハーブ、持ってきたよ。
安眠効果もあるから、これ飲んで寝て〜。
俺のスペシャルブレンドだよ!」
「私が今、お湯を沸かすよ。ミュリー、コンロを借りるね」
ブレンダはそう言うと、キッチンへ向かった。
「カイ、早かったね」
ルシナは不思議に思った。
コハナが呼びに行ってから、そんなに時間が経っていない。
ハーブをブレンドする時間と、薬草屋からここまでの距離を考えると――
少し早すぎる気がした。
「それがさぁ〜!なんか俺のスペシャルブレンドを作らなきゃいけない気がしてさ、ちょうど作ってたんだ。
そしたらコハナが来て、ミュリーのこと聞いたんだよ!
俺のカンってよく当たるんだよねー」
得意げに胸を張るカイの後ろで、
妖精が腕を組んで、うんうんと頷いている。
よく見ると――
その妖精は、薬草屋にいる子だった。
「んで、コハナが“走れ”って言ったからさ。コハナ置いて走ってきたんだー。
あっ、ほら。コハナが来た」
コハナは少し息を切らしながら、ルシナの隣までやって来た。
ココはコハナを見ると、尻尾を振って歓迎する。
「さあ、お湯が沸いたよ。カイ、これはハーブティーにすればいいんだよね?」
ブレンダが声をかける。
「うん。少し濃いめでお願い」
カイはミュリーの顔色を見ながら答えた。
ミュリーはカイのスペシャルブレンドのハーブティーを、ゆっくりと飲む。
その様子を、カイの世話焼き妖精が難しい顔をしながら見ていた。
「とりあえず、これで落ち着くと思うよ。あとは水分をなるべく飲んでね」
「カイくん、ありがとう。代金は……」
「あぁ……代金はまた来週払いに来てよ。とりあえず今は寝て」
そう言うと、カイは足早に薬草屋へ帰っていった。
「皆さん、本当にありがとうございます。また改めて、お礼をさせてください」
ミュリーはソファーから立ち上がると、丁寧にお辞儀をした。
「ミュリーさん、ゆっくり休んでください」
ルシナがそう声をかけると、ミュリーは人好きのする笑顔で答えた。
ブレンダとも別れ、ルシナとコハナは再び崖下へ戻る。
ふいに、コハナがピタリと立ち止まった。
ルシナは少しギョッとしてコハナを見る。
コハナは無表情のまま、ルシナを見返した。
「フーのご飯……忘れた」
「…… 」
(そうだった、それを取りに行こうとしてたんだ)
ルシナもすっかり忘れていた。
「今度でもいい……かな?フーちゃん怒るかなー」
「前は怒らなかった。なんでも食べた」
「じゃあ、フーちゃんには悪いけど、今度にしようか」
「うん」
すっかり日が暮れ、辺りは暗くなってきている。
コハナが人差し指を立てると、金色の光が灯った。
ルシナも真似をして人差し指を立ててみたが、光はつかない。
(えっ。これは誰でもできるやつじゃないのね)
「コハナ、それも魔法だよね」
ルシナはコハナの指先を見つめる。
「うん……光の魔法」
それだけ答えると、コハナは先に進んだ。
コハナが滑り台に繋がる扉を開ける。
辺りはもう暗い。
(これなら飛んでも見られないよね)
「コハナ、今日は私、外から飛んで上に行くよ」
「うん。分かった」
最近は人目につかないように滑り台ルートで帰っていたが、中は飛びにくい。
ルシナはふわりとその場で浮き上がると、そのまま崖上へと飛び立った。
開放的な夜空に、少しだけ心が解き放たれた気がした。
崖上に着いても、ルシナはしばらく飛んでいた。
ここ最近、ずっと下を向いてばかりだった。
夜空は、こんなにも美しかった――。
その夜空を自由に飛ぶルシナを、夜に紛れた黒い大型の狼が見上げている。
青い目を光らせながら。




