44: メンダヴォル
聞いてくれよー、薬草の買い占めが起きてるんだよー!」
カイはカフェの扉を勢いよく開けると、開口一番、セイラに泣きついた。
ちょうど店内の賑わいが落ち着き、そろそろ閉店にしようかとセイラと話していた頃だった。
大きく開かれた扉の向こうから、冷たい空気が流れ込む。
その後ろから入ってきたルキが、静かに扉を閉めた。
「カイ、落ち着け」
ルキはそう言って、カイの頭をぐしゃっと撫でる。
兄弟のような仕草に、ルシナは思わず小さく笑った。
「カイ、ルキ。何か飲む? ちょうど閉店にしようとしていたところなの」
セイラは変わらぬ穏やかさで二人をカウンターへ案内をすると、カフェの入り口の扉に「閉店」の札をかけた。
外の空気が閉じ、ゆったりとした時間が店内に流れ始める。
セイラは、カウンターに並ぶ、ルシナとルキにコーヒーを、カイには甘いミルクティーを差し出た。
「それで、何があったの?」
セイラはカウンターの内側でレモンティーを一口飲むと、カイに話を促した。
「やっとだよ。フェスティバルの後の忙しさが、やっと落ち着いたんだよ!?」
項垂れて、もうすぐカウンターに額がつきそうだ。
「なのに……なのに……」
ミルクティーの湯気が揺れる。
「魔除け、魔獣よけ、熱冷まし、痛み止め、それから気分を落ち着かせるハーブまで……一気に注文が増えたんだよ!」
がばっと顔を上げると、涙目になっている。
「寝たいよー。辛いよー。薬草取りに行かなきゃだよー。こないだ行ったばっかりなのに……うぅ」
隣に座っていたルキは、ため息をつきながらコーヒーを一口飲んだ。
「さっきから、こんな調子なんだ」
カイはフェスティバル前から徹夜が続いていた。
ようやく少し休めると思っていた矢先、この騒ぎだ。
「うぅ……ぽっきりだよ。やる気が」
両手をだらりと垂らす。
「終わったと思ったらさ、ゴールが遠のくの。つらい……」
ミルクティーの甘い香りが、やけに静かに漂う。
明日も早朝から、アンナと薬草を取りに行くらしい。
「カイ、何か手伝えることある?」
ルシナが身を乗り出し、ルキの隣にいるカイの顔を覗き込む。
「くすん……ルシナが優しい。そして、かわいい」
カイは目を潤ませたまま、ぽそりと呟く。
次の瞬間、パシンとルキの手が、容赦なくカイの頭に落ちた。
「お前にはアンナがいるだろ」
「へ? アンナはいるけど……何で俺叩かれてんの?」
ぎろり、とルキが横目で睨む。
それでもカイは、不思議そうな顔をしている。
「うぅ……セイラ。ルキがいじめる」
セイラは腕を組んだまま、爪を弾くのをやめると、大きくため息をついた。
「薬草の買い占め……ね。変な噂が広がっているみたいね」
そう言って、窓越しに町の方へ視線を向ける。
「噂って、さっきお客さんが言ってたやつですか? 隣国が……って」
ルシナは、客席から漏れ聞こえていた会話を思い出した。
「そうね……それもあるけど、買い占めの原因はそれだけじゃないと思うの」
セイラはゆっくりと続ける。
「みんなイライラしているし、町の雰囲気も、どこかギスギスしている」
ヒソヒソと話す声――
どこか疑うような視線――
「メンダヴォル……」
セイラがぽつりと呟いた。
その声は低く、一切の感情を含んでいない。
無表情なセイラを見て、ルシナは背筋に冷たいものを感じた。
「メンダヴォルか……その可能性はあるな」
ルキは眉間に皺を寄せると静かにセイラの呟きに賛同した。
「えっ……メンダヴォルって、伝承じゃないの?……魔獣の一種なんだっけ?……あれって、本当にいるの?」
カイは目を丸くし、慌てて二人の顔を見比べた。
「あの……メンダヴォルって、火をつけにくるってやつですか? 私も花屋のミュリーさんが言っていたのを聞いたんですけど」
「メンダヴォルはね――」
爪を弾く音が小さく響く。
「黒い火とも呼ばれているわ」
ルシナの胸が、どくんと鳴る。
(黒い……火……)
これまで見てきた黒いものが脳裏によぎった。
あの影ーー。メンダヴォル?
「それってどんな姿なんですか?……火なんですか?」
黒い影で、もそり、もそりと動くものーー。
その答えが知りたかった。
「わからないわ。黒い火という記述はあるけれど、見た人もいないし、絵にも残されていないの。だから、例え話なのかも知れないわ」
(見えていない?……私だけ?)
ルシナは、ミュリーが話していた伝承を思い出す。
『メンダヴォルが来るぞ。
火をつけに来るぞ。
大人も子どもも連れてくぞ。
メンダヴォルは仲間を増やすぞ
仲間同士で争うぞ
残るのは心を無くした人間ぞ
メンダヴォルの後には燃えかすぞ
見えぬ火は広がるぞ
残るのは心を無くした人間ぞ』
ミュリーの話し方が怖かったが、内容も恐ろしかった。
黒い火ーー。
確かに、あの影は火にも見える。
「この町に古くからある伝承だけど、百年ほど前にこの伝承は広く伝わった……とされているわ」
セイラは、爪を弾きながら静かに言う。
「俺、あれ聞いたとき眠れなかったんだよー」
カイが肩をすくめる。
「王都で師匠がよく言ってたんだ。あと、ばーちゃんも」
「ただの伝承ではない……のだろう」
ルキが呟く。その表情は、フェスティバルで打ち上げ魔法をみた時と同じ横顔だった。
ルシナはルキのその静かな眼差しが、誰かに向けたものだとーーそう思った。
「伝承の『心をなくた人間』って……なんなんでしょう」
『残るのは心を無くした人間ぞ』
ふと、伝承の繰り返されるフレーズが気になった。
「……ヴォル化だな」
ルキが低く短く答えた。
「ヴォル化?」
「ああ……人が――いや、その人らしさを奪われる」
ルキは少し言葉を探すように視線を落とした。
「……廃人みたいになる」
硬い表情のルキは、そっとセイラを見る。
セイラは爪を弾いて俯いたままだ。
「えっ……それって……」
カイが、セイラとルキを交互に見る。
「まだ研究中なのよね。多くは廃人になったまま。徘徊してどこかへ行ってしまうの」
セイラは自身を落ち着かせるように、レモンティーを一口飲む。その手は僅かに震えていた。
「魔獣はね、ヴォル化をした人間を食べて強くなるのよ」




