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崖上小屋で今日もハイヒールを眺めます  作者: 小原みん


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42: 見えないもの

ルキの店に着く頃には少し息が上がり「ゲホッ」と咳が出た。


ルキは店の外でショーウィンドウを磨いている。


癖のない少し長めの黒髪は後ろで一つ結び、変わらず姿勢がいい。


白いシャツを肘まで捲り、ジーンズとエプロン姿はいつも通りだ。


ルシナがショーウィンドウに写り、ルキが振り向く。


「ルシナ。体調大丈夫か?」


「ルキ、心配かけてごめんなさい。もう大丈夫だよ……ケホッ」


ルキは再びショーウィンドウを見ると僅かに眉をひそめる。


「走ってきた?」


「うん……ちょっと怖くなっちゃって」


「中に入って」

低く、短い声だった。


ルキは布を畳みながら、もう一度だけ通りを確認する。


何もいない。だが、何かが引っかかる。

その違和感を胸の奥に押し込め、扉を開けた。




店内は変わらず革の匂いが漂っている。

“いらっしゃい〜”

“またきてくれたの〜”

妖精たちも靴を磨く手を止め手を振ってくれる。


温かい照明と革の匂いにルシナはホッとひと息をついた。


ルキは店の扉に「休憩中」の札をかけるとルシナをバックヤードのテーブルに案内をしてコーヒーとチョコレートを用意した。


コーヒーの湯気が、ゆっくりと立ちのぼる。


ルシナはカップを両手で包み込む。


温かい。


――それなのに、胸の奥のざわめきは、まだ完全には消えていなかった。


「何かあった?」


落ち着く柔らかい声にルシナはルキを見る


「……何かあった訳ではないんだけど。町の人は変わらず優しいし、カフェの仕事も増やせるし、良いことが続いているんだけど、なんか不安で」


ポツリと呟く。


「あっ、そうだ!パン!ブレンダさんのパン、ルキ何食べたい?」


ルシナがパンの袋を差し出すと、ルキはハニートーストを選んだ。


「今、お皿を持って来る。ルシナも食べるか?」


ルキは皿を二枚持ってくると、ルシナの前に静かに置いた。


手拭き用の布巾も添える。


ルキの黒い瞳が様子を伺うようにルシナを見つめる。


「ルシナはどれを食べる?」


ハニートーストを選ぶと、ルキは皿の上に静かに置いた。


「ブレンダさんは元気だった?」


「うん。町のお母さんって感じだね。元気だったよ」


ふと、パン屋で見た黒いものが脳裏をよぎる。視界の端に、何かが揺れた気がした。

けれど、瞬きをしたときには何もない。


(……気のせいだったのかな)


背中がぞわりと粟立つ病み上がりだからだろうか。


「ブレンダさんはいつも元気だからな。コハナには会えたか?」


「おつかいで居なかったみたい」


「そうか……。コハナと家が近いのか?」


「近いっていうか、一緒に住んでるの。いつもコハナには面倒見てもらっちゃって」


「そうか……なら、少し安心した」


ルキはハニートーストを一口サイズにちぎり、口に運ぶ。


ルシナはそのままかじろうとして手を止めた。少し迷ってから、同じようにパンをちぎる。


ふわりと甘い香りが広がった。


ルシナは作業場を見渡す。


整えられた工具。

静かな光。

そして、片足だけのボルドーのハイヒール。


「ルキ、あれ」


視線の先を追い、ルキは「あぁ」と短く答えた。


一瞬だけ、目が柔らぐ。


「前を向くための靴……だな」


その言葉は、誰に向けたものでもないようで、

どこか自分自身に言い聞かせているようだった。


「私、不安な時とか、いつも眺めているの。不思議とね、胸を張って進めそうな気がするんだ」


ルシナはそう言って、ハイヒールを見つめた。


深く澄んだ青い瞳が、まっすぐ前を向いている。


その光に触れた瞬間、ルキの胸が小さく高鳴った。


――進め。


そう言われた気がした。


いつまでも前を向けずにいた自分を、

静かに照らされているようで。


眩しいと思った。

同時に、守りたいとも思った。


(守れなかったくせに……)


喉の奥が、わずかに苦くなる。


それでも。


「もちろん。喜んで……」


そう答えた声は、思ったより静かだった。


(靴が出来上がったら……)


その先を、考えないようにする。


完成した靴を履いて、彼女が遠くへ歩いていく姿が、一瞬だけ浮かんだ。


胸の奥が、わずかに締まる。


(……それでも)


作る。

前を向くための靴を。


「今日はもう遅いから、木型作りはまた今度にしよう。料金の説明もその時でいいか?」


「うん! ルキありがとう。楽しみにしている」


ルシナの満面の笑みに、ルキはくすぐったいような気持ちを覚えながら、コーヒーを一口飲んだ。


革と珈琲の香りが、静かに混ざる。


その横では、妖精たちが顔を見合わせ、くすくすと揶揄うように笑っている。


けれどルシナは、なぜ笑われているのか分からず、首をかしげるだけだった。


――ただ、店の中は不思議なくらい穏やかで。


町で感じていたざわめきが、少しだけ遠のいた気がした。


バックヤードを出て店内に戻ると、変わらず靴を磨いている妖精たちが手を振っている。


ルキの靴屋には、不思議と黒いやつはなく、暖かい照明の光だけが満ちていた。


(妖精さんがいるから? でもカイのところにも妖精さんいたよな……)


首をかしげていると、


「どうした?」


背後から、落ち着いた声がした。


「ううん……ここ、居心地がいいなーって思って」


振り返りながらそう答えると、ルキは一瞬だけ言葉を探すように視線を落とした。


それから、何気ない調子で口を開く。


「……今日はもうすぐ日も暮れるし」


わずかな間。


「泊まっていくか?」


言った本人が、少しだけ驚いたような顔をしていた。


「へっ?とまっ……?」


ルキは慌てて手を振る


「あっいや……。その、変な意味はなくて、何か怖がってたし、心配で、その……」





その時ーー


店の扉が、からん、と鳴った。


振り向くと、コハナが立っていた。


「ルシナ、帰る時間」


「あれっ。コハナ、よくここにいるってわかったね」


「うん。カイに聞いた」


コハナは当たり前のように言う。


ルキは小さく息を吐いた。


「そうか……」


肩の力が、わずかに抜ける。


同時に、胸の奥に残っていた何かが、静かに沈んだ。


ルキはショーウィンドウ越しに外を見る。

夕暮れが始まっている。


「送るよ」


コハナは一瞬だけ外へ視線を向けた。

すぐに何事もなかったように戻す。


「……大丈夫」


それは、ルシナに向けられた言葉だった。


ルキは、わずかに眉を寄せる。

何が大丈夫なのか、分からないまま。


「ルキ、ありがとう。まだ日も暮れてないし、コハナもいるから大丈夫だよ。お仕事止めちゃってごめんね」


「本当に大丈夫か?」


コハナは無表情のまま、こくりと頷いた。


「何かあったら、魔法使う」


指先から、小さな火花がぱちりと弾ける。


「そ、そうか……」


ルキは短く答えたが、視線だけは外へ残ったままだった。



店を出たルシナとコハナを見送ると、ルキはショーウィンドウの拭き掃除を再開させた。


ふと、背筋に微かな気配が触れた。


視線を上げる。


通りの奥。


人影が一つ、建物の影へ滑り込む。


灰色の短い髪が、わずかに光を弾いた気がした。


その動きは、無駄がなかった。


呼吸を乱さず、視線も残さず、気配だけを置いて消える。


(……騎士?)


いや、とルキは小さく首を振る。

理屈ではなく、感覚が否定していた。


あの動きは――

もっと、静かだった。




次の瞬間には、もう誰もいなかった。


ルキは無意識に、ルシナ達が去った方向へ視線を戻した。


夕暮れの光の中に、もうその姿は見えない。


それでも、しばらく目を離せなかった。

手にしていた布巾が、いつの間にか強く握られていた。


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