39: 静かな部屋
翌日、モーヴェ便が届いた。
相変わらず置き配だが、今回はいつもと少し違っていた。
解熱剤とのど飴が含まれていたのだ。
「えっ……こわっ」
風邪をひいているのを何故知っているのだろう。
(監視カメラ……なんてここにあるはずないか。それに似た魔法も無いはずだ)
「……こわっ」
ブルッと風邪とは違う寒気をしたルシナは、昨日よりかは僅かに楽になった体を起こし、水を飲む。
「うん……偶然だな…最近寒くなってきたし……気が効くな、モーヴェ」
偶然と思う事にして、部屋の中を見渡す。
人の気配のしない、静かな空間が広がっている。
テーブルの上にポットと、犬のぬいぐるみが置いてある。
『起きたら飲んで』
癖のないコハナの字で書かれたメモを、フーに似た犬のぬいぐるみが抱えていた。
「ふふっ」
思わず声が漏れる。
「お世話になってばかりだな……」
ルシナは小さなため息をつき、呟いたその声は、小さいのに、心に重く響いた。
進みたいと思う気持ちと、立ち止まりたい気持ちが、同じ場所から生まれ、行き場を無くし彷徨っている。
思い描く未来は同じなのに、そこへ向かう道だけが、二つに分かれているーー。
体は一つしかないのに、歩く速さが左右で違うみたいに、足並みが揃わないーー。
このまま進んでしまったら、今感じている迷いも、違和感も、いつか当たり前になってしまう気がして、怖くなる。
ルシナはぬいぐるみの耳を撫でながら、小さく息を吐いた。
ハイヒールへ視線を向ける。
「うん……それでも前に進まなきゃ」
それでも、胸の奥に薄い膜が張ったような感覚が残る。
ルシナはハーブティーを飲み、そっと目を閉じた。
ーーーーー
革の匂いがする靴屋のバックヤードでは、作業に集中できないルキがコーヒーを飲んでいた。
気づけば、片足だけのボルドーのハイヒールを眺めている。
『靴を“前を向くためのもの”として見てくれる方に、持っていてほしいんです』
ルシナに向けて言った言葉を、ルキは思い出していた。
「前を向くためのもの……か」
小さく呟き、カップに口をつける。
酸味が強くなったコーヒーに僅かに顔を顰める。
「あれは……」
言葉は続かず、ルキは冷めたコーヒーを一気に飲み干すと目を閉じた。
開けたままにしていたバックヤードの扉から、軽いノックが響き、ルキは目を開けた。
「ルキオ、作業に身が入らないなんて珍しいじゃない」
「セイラか」
目を開けて顔を上げると、ダークブラウンの髪を下ろしたセイラが扉に寄りかかっていた。
「それで、難しい顔をした靴職人さんは、何を考えているのかしら?」
セイラがルキに近づくと、ルキは自然な動作で椅子を引く。
「今、紅茶をお持ちしますね」
「ありがとう……」
当たり前のように腰をかけると、セイラはルキを見つめ、小さく笑った。
「私は、ただのセイラよ。忘れないで」
確かめるような視線を投げる。
「そう……だな。それを言うならセイラ、俺もただのルキだ」
その声には、少し皮肉めいた響きがあった。
「ふふ……そうだったわね」
セイラは視線を落として笑った。
ルキは何も言わず、紅茶の用意を始めた。
ーーーー
トレーには紅茶とともにマドレーヌが用意された。
紅茶には薄くスライスしたレモン。砂糖やハチミツはない。
「私の好みを覚えてくれていたのね」
レモンと紅茶の香りを確かめるように息をつき、セイラは静かにマドレーヌを口に運んだ。
「忘れるはずはありません…。ジャミーも好きでしたから」
ルキは真っ直ぐセイラを見つめた。
その視線に耐えきれず、セイラは爪を弾く。
「進展は?」
「ないわ」
ルキが短く問うと、セイラは短く答えた。
その表情は、昔と変わらなかった。
冷たい静寂が、革の匂いが漂う作業場を占領した。
セイラは、「ふぅ……」と、ため息をつくと、紅茶を一口飲んだ。
緩やかに作業場の空気が温度を取り戻す。
「んで?あなたの進展は?デート……したんでしょ?」
セイラは妖艶にルキを見上げた。
「あぁ……。楽しんでもらえただろうか……」
視線を逸らさず、わずかに首を傾げた。
「楽しかったに決まってるでしょ!もー女心が分かってないわね!」
「体調崩してしまったし……」
セイラは盛大にため息をついた。
「体調が悪いことに気付かないくらい、楽しかったってことよ!」
まだ納得をしていない様子のルキをみて、セイラは爪を大きく弾く
「たくさんご馳走して?さりげなく腕を回して?ブローチまでプレゼントして?大満足に決まってるじゃない!」
セイラの勢いにルキは思わず一歩下がる。
「相変わらず、情報が早い」
「ふふ……でしょ?」
ため息混じりに呟くルキを、セイラは得意げに見上げた。
「ルシナは楽しそうにしてたと思う。途中、魔獣が出たけど大事にはならなかったし」
ルキは手のひらを見つめた。
「襲ってきたら、守ろうと自然と武器になるものを手に取っていた」
僅かに眉をひそめ、セイラを見つめる
「何か知っているか?」
セイラは目を閉じ、ゆっくりと開ける。
カフェでは決して見せることのない、鋭い眼差しをルキに向ける
「ルキオ……」
セイラは、ただのルキではなく、ルキオへ告げた。
「ルシナから目を離さないで」




