35: コハナの笑顔
パン屋の屋台では、コハナが無表情で客寄せをしていた。
それでも人が集まるのは、妖精たちが客の髪を引っ張ったり、歓迎のダンスを踊って誘い込んでいるからだろう。
「コハナちゃんがいるとお客さんが寄ってきてくれて嬉しいわ」
パン屋のおかみさんは笑顔で次々とパンを売っていく。
屋台には、ハチミツとバターが染み出るほどのトースト、チーズの乗ったホットドッグ、カップに入った一口サイズのラスクが並んでいる。
手頃な値段で味もいい。繁盛の理由は、コハナや妖精たちだけではなさそうだ。
「コハナ、おすすめは何かな?」
「ハニートースト」
ルキの問いかけに、短く答える。
屋台の中でハチミツを舐めている妖精たちにルシナが気を取られている間に、ルキが注文を済ませていた。
コハナは一瞬だけ目を見開き、すぐに細めた。
パン屋のおかみさんが豪快に笑う。
「なんだい、ルキ。イベントに来るなんて珍しいじゃないか」
手際よく仕上げたハニートーストを差し出す。
「いや……引きこもりじゃないですから……」
苦笑いしながら受け取り、一つをルシナに渡した。
「コハナは仕事、いつ終わるの?」
おかみさんの冷やかし混じりの世間話を、ルキが落ち着いた声でかわしているのを横目に、ルシナが尋ねる。
「あと少し」
コハナは、いつもの調子でぽつりと答えた。
「コハナちゃん、友達かい?」
「うん」
おかみさんは、ぱっと顔を明るくした。
「ルキ、コハナも一緒にフェスティバルを廻ってくれないかね。いつも店の手伝いで、遊んでいるところを見たことがないんだよ」
おかみさんは、少し声を落としてルキに頼んだ。
「えぇ、もちろん。その方が……ルシナも喜びます」
「せっかくのデートなのに、悪いねぇ」
二人の距離感を微笑ましそうに見つめ、おかみさんは目を細めて笑った。
その視線を受けて、ルキは耳を赤くしながら、わずかに視線を逸らした。
「コハナ!もうお店は大丈夫だから、少しフェスティバルを楽しんできな!」
おかみさんはコハナにウィンクすると、明るく笑った。
コハナは目をほんの少し見開き、おかみさん、ルシナ、ルキの順に視線を向けると、ふっと下を向く。
エプロンをぎゅっと握りしめ――
やがて顔を上げた。
「……いいの?」
そう言って、コハナはルシナをまっすぐ見つめた。
「もちろん!コハナとも、一緒に見て回りたかったんだ!」
「……ありがとう」
コハナは、ほんの少しだけ目を細めた。
(あっ……この表情。コハナの笑顔なんだ)
何度か見たことのある表情は、必ず嬉しそうな雰囲気が出ていた。
(思いっきり笑ったところ、見たことない…)
ルシナは、胸の奥が、きゅっと締めつけられるような気がした。
ーーーー
コハナはお腹は空いていないらしい。
おかみさんがこまめに休憩を取らせて、
ハニートーストや他の屋台の食べ物を食べさせていたようだった。
守られている。そう感じた。
「ハニートースト甘かった。串揚げ、熱かった」
仕事だったはずなのに、
目を少し細めて話すコハナは、いつもより少し早口だった。
――楽しかったのだろう。
コハナは十五歳だと言っていたが、
並んで歩く姿は、まだ幼く見える。
二年前、この町に来たばかりの頃は、
きっと今よりもっと小さかったのだろう。
町の人たちは、必要以上に踏み込まない。
けれど、そっと役割を渡して、居場所だけは残してくれる。
噂はする。
けれど……追求しない、縛らない。
やっぱり不思議な町だと、ルシナは思った。
ーーーー
食べ物の香りが漂う通りを抜けると、小物やフェスティバル限定の品が並ぶ一角に出た。
銀細工の屋台が目に入る。
指輪や腕輪、髪飾りのほか、磨き上げられた銀食器が光を受けて静かに輝いていた。
ふと銀の腕輪に目を留め、ルシナは足を止める。
「ごゆっくり〜」
店員が間延びした声で迎える。
「何か気になるものありました?」
すぐ隣から、ルキが小さく声を落とした。
相変わらず距離感がおかしい。
その様子を見て、店員はニヤリと笑い、期待に満ちた目で二人を見比べた。
「これ、コハナの腕輪に似てる」
ひょこっと横から顔を出したコハナが、ルシナの手元をのぞき込む。
そして、自分の手首にはめられた腕輪へ静かに視線を落とした。
店員は小さくため息をつくと、今度はコハナの腕輪をじっと見つめた。
「嬢ちゃん、それ純銀じゃないか。しかも模様彫りだ。いい品だよ」
腕を組み、うんうんと満足げに頷く。
「そうなの? コハナ、見てもいい?」
スッと差し出された細い腕にそっと触れ、ルシナは腕輪をのぞき込んだ。
鈍い銀色の表面には、光を抑えた細かな彫刻が刻まれている。
装飾というより、意味を持った印のようにも見えた。
「コハナ、これ……模様? 文字みたいにも見えるね」
指先でそっとなぞりながら顔を上げると、コハナの瞳がわずかに揺れていた。
「これは文字。これは戒め」
ぽつり、と落とすように呟くと、コハナは屋台に並ぶ商品に視線を移した。
「ルシナは、この輝いたブローチ。似合うと思う」
そう言ってから、ゆっくりとルシナを見る。
そして――
静かに、ルキへ視線を向けた。
「買って」
思いがけないコハナの発言に真っ先に反応したのは店員だ。
「そうですよー。お兄さん!彼女にプレゼントしてはどうですか?」
「ちょっ、まって……」
慌てて手を振るルシナをよそに、ルキはブローチを手に取った。小さな花のリースのような銀細工は輝いている。
一瞬だけ視線を迷わせてから、
そっとルシナの胸元に合わせる。
「うん……きれいだ。これください」
「まいど〜」
ルキは、瞬く間に支払いを済ませてしまった。
「あの、ルキ?」
「迷惑だった?」
「そうじゃなくて……ご飯もご馳走になってるのに」
(これ以上、望むなんて……)
言葉を探して口ごもるルシナを、ルキは静かに見つめる。
そして、少しだけ照れたように視線を外しながら言った。
「……今日の記念に」
(そんなこと、言われたら……)
「ありがとうございます。大切にします」
受け取ったばかりのブローチを、屋台に備えつけられた鏡をのぞき込みながら襟元につける。
銀のブローチが、光を受けて小さくきらりと瞬いた。
鏡の中の自分と目が合う。
頬は、まるでチークをのせたみたいに赤く染まっていた。
ーーーー
ほかの屋台を見て回っていると、小さな犬のぬいぐるみが並ぶ店があった。
コハナは足を止めると、並んだぬいぐるみの中から一つを無言で手に取った。
(なんだか、フーちゃんに似てる)
思わず笑いそうになったルシナは、一歩前に出る。
「これ、私が買うよ」
「……いいの?」
コハナがわずかに首を傾げた。
「うん。今日、一緒に回れて嬉しいから……それと、いつもありがとう」
ルシナは、先ほどのルキを思い出しながら、代金を支払った。
コハナは手にしたぬいぐるみをじっと見つめ、それから胸元に抱き寄せた。
表情は変わらないのに、どこか満足そうに見えた。
ーーーー
ほとんどの屋台を廻り終え、三人はベンチに腰掛けてコーヒーを飲む。立ちのぼるコーヒーの香りが、歩き続けた身体の疲れをゆっくりほどいていく。
足も、ルキが支えてくれていたおかげか、思ったほど痛まない。
途中、何度かカイとすれ違った。
カイは葉先の黒ずんだハーブを摘み取ると、指先に灯した小さな火で燃やし、新しい束を手早く屋台へ括り付けていく。
「魔除けのハーブの減りが早すぎるよー」
「休憩とれてないよー」
嘆きながら走り回る姿が、どこか切ない。
ルシナが手伝えることはないかと声をかけても、
「デート楽しんでー」と軽く手を振られるだけだった。
コーヒーを一口飲みながら、寛いでいると、視界の端で何かが動いた気がした。
思わず、屋台から少し離れた場所へ視線を向ける。
黒い影のようなものが、人の足元で揺らめいている。
それは踏まれても散ることなく、
まるで居場所を探すように、ゆっくりと人混みへ溶け込もうとしていた……。




