25: ノア
今日は、ルシナはコハナよりも早く目を覚ました。
セイラから分けてもらったコーヒーを淹れようと、湯を沸かす。
やがて、香ばしい匂いが小屋に広がると、地下からコハナが上がってきた。
「コハナ、おはよう!」
「おはよう」
少しだけ寝癖のついた髪を撫でながら、椅子に座る。
フーはまだ眠いらしく、地下から出てこない。
コーヒーとジャムサンド、それにスープで朝食をとる。
今日は休みだった。
二日間のカフェでの仕事は楽しくて、休みが少しもどかしい。
「コハナは今日もパン屋に行くの?」
ジャムサンドをかじりながら尋ねると、コハナは首を振った。
「コハナも休みなんだ。じゃあ今日は、ゆっくりしようか」
甘酸っぱいジャムはコーヒーによく合う。
朝日を浴びながら、ボルドーのハイヒールを眺める。
姿勢のいいルキの姿が浮び、自然とルシナも背中を伸ばして姿勢を正す。
一歩前に進むきっかけをもらえた。
小屋に連れてこられた時は、ただ絶望しかなかった。
訳も分からないまま、魂が混線していると言われた。
それでも前を向こうと思えたのは、このハイヒールのおかげだ。
朝食を終え、洗濯や細かな家事を片付けていく。
日が高くなるころには、やることがなくなっていた。
「群生地、行かない?」
そう誘ってみたが、コハナは首を横に振る。
「行かないの? じゃあ散歩がてら、私だけでも行こうかな」
そう言った瞬間、コハナがルシナの腕をつかみ、もう一度首を横に振った。
「……コハナ? どうしたの? 行かない方がいい?」
戸惑って尋ねると、静かに頷く。
「何かあるの?」
問いかけても、コハナは銀の腕輪に触れたまま、うつむくだけだった。
「んー……じゃあ今日は、お昼寝大会にしますか」
わざと明るく言う。
コハナは無表情のままルシナを見つめ、こくりと頷いた。
ルシナがベッドに横になると、コハナは地下へ降りていき、床板もきちんと閉じてしまった。
(コハナ、どうしたんだろう……)
気になりはしたが、体の重さが勝っていた。
新しい環境で働くというのは、思っていた以上に疲れるらしい。
まぶたがゆっくり落ちていく。
そのまま、すうっと眠りに沈んだ。
どれくらい経ったのか分からない。
まどろみの中で意識が浮かびかけた
その時――
ドン、ドン、ドン。
扉を叩く音がした。
乱暴ではない。
けれど、遠慮もない、力強いノックだった
恐る恐る扉を開けると、背の高い青年が立っていた。
短く刈り上げた灰色の髪。鋭い青い瞳。細身だが、服の上からでも分かる引き締まった体つき。
制服なのかジャケットのボタンは首元までしっかりと留められていた。
「あの……どなたでしょうか」
扉に半分身を隠しながら、ルシナが恐々と尋ねる。
「モーヴェのノアだ。様子を見に来た」
バリトンの声が、重く響いた。
「あの、三日くらい前に……モーヴェさんたちなら、食料を持って来ました。扉の外に……」
隠しきれない困惑と恐怖をこらえながら、ルシナは震える声で伝える。
ノアは鋭い眼光をさらに強め、舌打ちをする。
(こっ怖い)
ルシナは更に身が縮こまる思いになる
「あいつら……いい加減な仕事を」
どうやらルシナに向けたものではないらしい。
「……いや、すまない。怖がらせたな」
自分の頭を軽く撫で、一歩下がって手のひらを見せる。
「ただの確認だ。足の具合はどうだ。何か足りないものはないか」
申し訳なさそうな声音なのに、目つきだけが鋭いままだ。
(ひぇ…こわいよー)
「あ……えっと……大丈夫です。足は痛みますけど、来た時と比べれば…」
本当は平気だ。
けれど、なぜかそう言った方がいい気がして、咄嗟にごまかした。
「そうか…。たまにこうして様子を見にくる。他のモーヴェが変なことを言ったりしてきたら俺に言ってくれ。善処しよう」
とりあえず、と前置きをして、ガーゼや包帯、薬草と暖かそうな毛布を差し出してくれた。
「あ…ありがとうございます」
ルシナが受け取った事を確認すると、ノアは扉から離れる。
ノアの視線は、棚に飾られたボルドーのハイヒールを捉えていた。ノアは、一瞬だけ目を細めたが、何も言わず、そのまま詰め所へと帰っていった
(たまに様子見にくるですって?……いや、放っておいてほしんだけど…。いつ来るか分かんないんじゃ身動き取れなくない?)
そんな不安を抱えながら、ぼーっとしていると、コハナがフーと一緒に地下から出てきた。
「とりあえず、このハイヒールは別のところに飾ろうかな」
独り言だったが、コハナにも聞こえたらしく、賛同するようにコクンと頷いた。
その足元ではフーが前足をテシッと踏み鳴らし、遊ぼうよ、お散歩行こうよと元気にアピールをしていた




