17: ボルドーのハイヒール
店内はやわらかな明るさに満ち、革の匂いがした。
青年はルシナを一人掛けのソファへ案内すると、ショーウィンドウに飾られていたボルドーのハイヒールを取り出す。
「見ていたの、これですよね」
よかったらどうぞ、と両手で差し出した。
受け取ったハイヒールは、想像よりも軽い。
インソールにはやわらかなクッションが入り、見た目より歩きやすそうだった。
店内の灯りの下では、また違う色に見える。
深く濃い赤。光沢を帯びて、いっそう美しい。
革のやわらかさと形の流れに、作り手のこだわりが伝わってくる。
「きれい……」
思わず漏れた声に、青年はわずかに表情を緩めた。
「ありがとうございます」
「靴って不思議ですよね。新しい靴とか、魅力的な靴を履くと、それだけで前向きな気持ちになると思うの」
ルシナの言葉に、青年の目がかすかに輝いた。
流美はどちらかといえばスニーカー派で、色や形にこだわって選んでいた。
パンプスや革靴は、就職活動のときくらいしか履いていない。
それでも今、こんなにもハイヒールに惹かれるのは――ルシナの魂だ。
どちらの魂も靴を大切にしていた。
「私が靴を作る上で、履く人が前向きになって欲しいという願いを込めています。もちろん、安全性と機能性も大切です」
落ち着いた声色で語る姿は、まさに職人だった。
靴作りに信念をもって向き合っている様子に、思わず憧れを抱く。
「ボルドーのハイヒールが気に入りましたか?」
そう問われて、ルシナは両手に持つハイヒールに目を向ける。
「はい……。この深い赤と靴の曲線がきれいで、これを履いたら自分を取り戻せるような気がするなって……」
少し迷ってから続ける。
「でも、支払いも出来ないし、今は眺めるだけでも幸せな気分になれそうです」
ハイヒールを見つめながらそう言うと、青年はどこか懐かしむような目でルシナを見ていた。
「……そう仰って頂けると、職人冥利につきます」
「靴をファッションの一部としてだけでなく、心を整えるものとして捉えてくれるのは嬉しいです」
そう言って、座っているルシナと目線を合わせる。
「先ほどの言葉、本気で言っているように聞こえました」
「このハイヒールは展示品です。同じものを、採寸を行ってから作成をしています」
視線がルシナの左足に向く。
「足、痛めていませんか? 少しかばっているように見えました」
「ちょっと怪我をしてしまって……治ったんですけど、たまに痛むんです……」
青年は静かに頷き、もう一度まっすぐルシナを見る。
「良かったら、これを持って行かれませんか? あくまで、お貸しするという形ですが」
ルシナは驚いて顔を上げた。
「そんな……受け取れません」
思わず首を横に振る。
青年は困ったように小さく笑う。
「先ほどの言葉が、心からのものだと思ったので」
ボルドーのハイヒールを、そっと差し出す。
「靴を“前を向くためのもの”として見てくれる方に、持っていてほしいんです」
少し間を置いて続ける。
「展示品でサイズも合っていませんし、今すぐ履けるものでもありません」
「だから――片方だけ、というのはどうでしょう」
「お支払いが出来るようになったら、その時は、貴女のサイズに合わせてお作りします」
「それまでは、時々、眺めてください」
その眼差しには、無理に勧める強さではなく、静かな願いが込められていた。
ルシナはしばらくハイヒールと青年の顔を見比べていた。
受け取りたい気持ちと、遠慮が胸の中で行ったり来たりする。
「……本当に、貸してくださるんですか?」
「ええ」
静かに頷く。
「いつか、きちんとした形でお返ししていただければ」
その言い方があまりにも自然で、押しつけがましさがなかった。
「ありがとうございます…大切にします」
両手で包み込むように抱きしめた
「こちらこそ」
青年は優しく微笑んだ
「そうだ。まだ名乗っていませんでしたね」
軽く一礼する。
「ルキと言います」
「ルシナです」
名前を交わしただけなのに、心が解れる気がした。
ーーーふと現実が頭をよぎる。
「私、仕事も探さないと……」
その言葉に、ルキは少し考える。
「でしたら、薬草屋のカイに声をかけてみてください。顔が広いので、何か知っているかもしれません」
そういうと、片方だけのボルドーのハイヒールを包んでルシナに手渡した。
ーーーーー
ふわふわした気持ちのまま、小屋へ戻ると、コハナとフーの姿はなかった。
手の中のハイヒールを、そっと見つめる。
(前向きに……)
胸の奥で、小さな灯りがともる。
働き口を探そう。
そして、コハナに町へ行っていることをちゃんと伝えよう。
ルシナは、静かにそう決めた。




