15: 町(1)
翌日――
目を覚ますと、コハナもフーもいなかった。
地下へ続く床板は開いており、どこかへ出かけているようだ。
(散歩かなー)
テーブルの上には『良かったら食べて』と書かれたメモと、卵焼きとバゲットが置いてあった。
「コハナ……ほんと出来る子だな」
(それに比べて私は……)
ありがたく食べながら、今日はどうするか考える。
ーー町にでも出て、見聞を広めなさいな。
ふと、ノスタルジアの言葉を思い出した。
「よし!町に行こう!」
思い立ったらすぐ行動。
それは流美でもルシナでも共通する性格らしく、躊躇いも違和感もなく決断できた。
外に出ると、今日も穏やかな空気が広がっている。
絶好の探索日和だ。
小屋裏の崖を見下ろすと、飛び降りるのはさすがに怖く、その場でふわりと浮遊する。
そのままゆっくりと降下し、ノスタルジアとの特訓のおかげで、バランスを崩すことなく安全に着地できた。
目の前には緑地が広がり、六十メートルほど歩くと町の外れへたどり着く。
―――
街道に出ると、そこはT字路になっていた。
まっすぐ進めば町へ、左右の道はどこか遠くへ続いているように見える。
ルシナは真っ直ぐ進みながら、少しずつ人の気配を感じ、足取りが重くなっていった。
(散策って意気込んだけど、コハナ以外の人がちょっと怖いかも……)
勢いで出てきたものの、改めて考えると不安が胸をよぎる。
花壇には彩り豊かな花が咲き、手入れされた垣根が並ぶ。
干されたシーツが風に揺れ、欠伸をする猫が日向に丸まっている。
真っ青な郵便受けの家からは、美味しそうな料理の香りが漂ってきた。
そこには人々の暮らしが広がっていた
(シーツ、洗わなきゃな……)
そんなことを考えながら、いくつかの民家を通り過ぎると、次第に店舗が増えてくる。
薬草屋――。
看板には『恋の病以外は、相談のります』と書かれている。
(ふふ……薬草でも恋の病は治せないのね)
パン屋――。
看板には『雨の日は割引きます!』の文字。
(美味しそうな匂い……)
郵便屋――。
青い看板には『受付は午後から』と書かれている。
すれ違う人々の表情は穏やかで、治安の良さが伝わってくる。
町へ入る前の不安が、いつの間にか遠のいていた。足取りも自然と軽くなる。
中心部に入ると人通りが増え、屋台や肉屋、野菜屋、卵屋などの食料品店に加え、洋服屋、帽子屋、靴屋、カフェが並んでいた。
人が多くなるにつれて、左足がピリリと痺れ、歩幅が小さくなる。
ふと靴屋が目に入り、足を止める。
ショーウィンドウには、ボルドーのハイヒールが飾られていた。
「素敵……」
値段は表示されていないが、高いものだと推測されてる。お金を持っていないルシナには、ただ眺めることしかできない。
店の奥では、靴職人が背を向けて作業をしている。
(姿勢がいいな……かっこいい。あの人が、このハイヒールを作ったのかな)
そう思いながら振り返った瞬間、背後から来た人影とぶつかった。
「ぶへっ」
「わー、ごめんなさい!大丈夫ですか?」
反動で尻もちをついたルシナに、青年が慌てて手を差し伸べる。
差し伸べられた手に戸惑いながらも、ルシナはそっと重ねる。
青年は軽く力を込めて引き上げると、ほっとしたように息を吐いた。
「ほんとにごめんね。前をよく見てなかった」
明るい茶色の髪が陽に透け、笑うと目尻がやわらかく下がる。
「見かけない顔だね。ひとり?この町、初めて?」
急に話しかけられ、ルシナは少し身構える。
「えっと……はい、ちょっと散策に」
ぎこちない返事に気づいたのか、青年は慌てて手を振った。
「あ、怪しい者じゃないよ。薬草屋やってるカイって言うんだ」
そう言って、先ほど通り過ぎた店の方を指さす。
「この街、はじめて来る人には少し分かりづらいし……よかったら案内しようか?」
押しつけがましくならないよう、距離を取りながら続ける。
「さっきぶつかったお詫びもあるしさ。この町、嫌いになってほしくないなって思って」
その言葉に、ルシナの警戒が少し和らいだ。
「……親切ですね」
「よく言われるよ。頼りがいあるって!」
得意げに胸を張るカイの背後で、通りすがりの女性が笑う。
「カイはただのおせっかいなだけよ」
「ひどいなぁ!事実でしょ!」
通りがかったおじさんもカイを揶揄う。
「カイ〜なんだい、ナンパかい?」
「だー違うって! 道・案・内!」
軽口を叩きながらも、ルシナの歩幅に合わせて隣を歩く。
「さっき見てた靴屋、職人気質で堅い奴だけど腕はいいよ」
ルシナは思わず振り返る。
「やっぱり、あの人が作ってるんだ」
「珍しいくらい姿勢いいでしょ?いい奴なんだ。俺の友達!」
さらに続ける。
「セイラさんのカフェも人気だよ。きれいなお姉さんが店主でね、物事をハッキリ言うところがたまらないってファンが多いんだ」
カフェの前を通りながら、急に声を小さくする。
「どこかの令嬢じゃないかって噂もあってさ」
「噂?」
「そう。噂。この町は噂話が好きな人多いんだよ。まあ、半分は当たらないけど」
話していると、香ばしい串焼きの匂いが漂ってきた。思わず屋台へ目を向ける。
「食べていく?あれ美味しいよ!」
「でも、私お金持ってない」
「そんなのいいって。俺がご馳走するよ!」
ルシナが遠慮する間もなく、カイは屋台に注文してしまう。
「はい、どうぞ!」
差し出された串焼きを、ありがたく受け取る。
「美味しい!」
「だろ?」
カイは歩きながら、パン屋の話や郵便屋の営業時間など、街の案内を続ける。
「この町はいい所だよ。安心していつでもおいでよ」
カイと話しているうちに、ルシナの気持ちも明るくなっていった。ここに来てよかったと、自然に思える。
やがて薬草屋の前で足を止める。
「ここが俺の店。恋の病以外は相談のるって評判なんだ」
「さっき見た」
「ほんと?ちょっと嬉しいな」
照れたように頭をかくと、通りの奥を指さす。
「あとさ」
少し声を落とす。
「崖の方、行ったことある?」
ルシナの心臓が跳ねた。
「……崖…ですか?」
「すごい高さでさ。国境だから、崖の上がどうなってるか誰も知らないんだけど」
さらに声を潜め、耳元で囁く。
「最近、変な鳴き声を聞こえたって騒いでる奴がいてさ」
「変な鳴き声?」
「“ふぎゅあぁぁ”とか“びゃあぁぁ”とか、珍獣の鳴き声だ!って噂でさ」
(それって…私か?)
「まあ、酔っ払いの戯言だって誰も本気にしてなかったけどね」
ルシナは思わず視線を逸らした。
怖い話はここまでと、カイは両手を広げて笑った。
「そういえば、君の名前を聞いてもいい?」
明るく尋ねられ、ルシナ少し考えたが答えることにした。
「ルシナです」
「ルシナね!よろしく!」
嬉しそうに頷くと、店先を指さした。
「案内、ここまでになっちゃうけど……帰れる?」
「はい……ここまでで大丈夫です。ありがとうございました」
ルシナが頭を下げると、カイは軽く手を振る。
「じゃあね〜」
そう言って、薬草屋の扉をくぐっていった。




