12: 女神の加護
(やだやだ! これ、死ぬやつぅぅ!!)
意味がないと分かっていながら、空に向かって必死に手を伸ばす。
「びゃあぁぁぁ〜!!」
地面が迫った、その刹那ーー
ふわり、と。
体が軽くなる感覚とともに、
ルシナは、音もなく地面に降り立っていた
手を空に向かって伸ばしたまま、ルシナは固まっていた。
「……え。なに、これ」
(生きてる?)
恐る恐る視線を上げる。
崖は、切り立った石柱が層のように重なり、空へと伸びていた。
崖上までの距離は、果てしなく遠く感じられる。
その事実を認識すると足の力が抜け、へなへなとその場に座り込んだ。
土の冷たさがかえって心地よい。
“ルシナ、とんだのー”
“ちがうのー。おちたのー”
妖精の姿をした二つの光が、ルシナの周りをふわふわと飛び回る。
「……飛んだのかな」
小さく呟く。
「最後、なんか……身体、変だったけど」
“とんだよー”
“ちょっとだけね”
妖精たちが、揶揄うように笑っている。
まだ腰が抜けて立てそうになく、ルシナは座ったままあたりを見渡した。
崖から少し離れたところに緑地があり、木々の隙間から町の灯りがポツリと見えた。
(町か……でも、ちょっと怖いや)
しばらく町の灯りを眺めているうちに、ルシナは少しずつ落ち着きを取り戻していった。
「さて、どうしようかな……」
崖に触れながら、つぶやく。
(どこかに道があるのかな)
(それとも登る?)
(いやいや、無理だろ)
心の中でそんな押し問答をする。
「……やっぱ、登るしかないか」
そう言って、手足を掛けられそうな場所を探し始めた。
“ふふふ”
“ルシナ、へんなのー”
“またとべばいいのー”
妖精たちが、ルシナの頭の周りをくるくる回りながら笑う。
「飛ぶって?」
いまいち、ぴんとこない。
“さっき、とべてたのー”
“れんしゅうするのー”
妖精たちは上下に動きながら、飛べと言わんばかりだ。
「どうやって? さっきは飛ぼうとも思ってなかったから、わからないよ?」
“んとねー、ふわってすればいいよ”
“そらをむかって、いこうっておもうのー”
空高く舞いながらアドバイスをするが、あまりにも抽象的すぎて、ルシナにはさっぱり分からなかった。
「……うん。登ろう」
要領を得ない説明に、現実を思い出したルシナは、石の壁を見つめる。
(ここに手を置いて……足をかけて……次は……)
「行ける!!」
目測を立てながら、よじ登っていく。
“ルシナ、のぼるのー?”
“がんばれー”
何やら楽しそうに応援する妖精たちの声を背に、よいしょ、よいしょと登っていく。
(そういえば、ルシナはお転婆だったな……よく木に登って怒られてたっけ……)
思ったよりも、ずっと軽快だ。
(次はここで……その次は……)
ふと、おかしなほど軽々と登れていることに気づく。
手をかける場所が、明らかに遠いのに届く。
足をかけ、体重を預けているはずなのに軽い。
……軽すぎる。
いつの間にか静かになっていた妖精たちは、口を手で押さえ、震えるように笑っていた。
ルシナが妖精たちを見ると、堪えきれず吹き出す。
“あはは”
“ルシナ、それのぼってない”
“とんでるのー”
思わず手を離してしまったが、落ちない。
“そのまま、ふわりだよー”
“かぜにのるんだよー”
手を上にかざしたまま、ヒーローが空を飛ぶようなイメージで上へ行こうとすると、すぃっと体が移動した。
すぃー……
次の瞬間、ぎゅいんと加速する。
「いやちょっと待って待って! 早い早い!」
堪らずバランスを崩すと、そのまま落下する。
「びょぇぇぇ」
ピタッと、また地面すれすれで止まった。
「うぇ〜ん……」
涙が出てくる。
(こっ、怖い……)
“あはは”
“がんばれー”
涙目になりながらも、ヒーローポーズをして星を見上げると、すぃーっと浮上する。
「わっ!!…と、飛んでる!」
足を踏ん張れず、そわそわするけれど、すごく爽快だ。
(ジェットコースターみたい)
「あは……あははは」
安全だと分かると、だんだん楽しくなってくる。
“ルシナ、たのしそう”
“もっと! うえ、いくのー!”
妖精たちと笑いながら、ぐんぐん上昇していく。
気づけば、あっという間に崖上の小屋の裏へ着地していた。
この高揚感は、きっと忘れられない出来事になる。
ルシナは、そんな確信を抱く。
改めて崖下を覗き込むと、
――よくこの崖を登ろうと思ったな。
自分の判断の浅はかさに、今さらながら気づいた。
「……アホだな、私」
そう呟いて、そのまま大の字に寝転がり、ため息をひとつ…。
空を見上げると、星があまりにも近かった。
「星、きれー……」
先ほどとは違う、理由の分からない涙がこぼれる。
“めがみさまのとこ、いこーよ”
“ほうこくなのー”
「……女神さま?」
“めがみさまの、かごー”
“めがみさまの、おかげだよー”
(……加護?)
“とんでいこー”
呆然とするルシナを置いて、妖精たちは森の方へ飛んでいく。
「あ、ちょっと待って……!」
慌てて走り出そうとした瞬間、足がもつれた。
――飛ぶ……。
ふわりと身体が浮かび上がる。
そのままヒーローポーズで空を切り、妖精たちを追いかけた。
昼に来た時よりも、ずっと速い。
気づけば、ノクターンの鏡湖に辿り着いていた。
「あのー女神さま…。いらっしゃいますか?」
そう問いかけた瞬間、
湖の中央に、ノスタルジアが姿を現した。
ノスタルジアは湖の淵まで音もなく近づくとルシナを一瞥し、頬に手を置いて嘆く。
「……やらかしてるわねぇ〜」
そして、肩をすくめるように続けた。
「え。まさか、見てたんですか?」
やらかしてるとは…。
「でもまあ……やると思ったわ。ええ、ええ。あなた、そういう子だもの」
そう言いながら、じっとルシナの姿を見下ろし、眉をひそめる。
「崖から落ちるところから、見てたわよー」
私は女神だからねっとドヤ顔をしている
「……それより」
一拍おいて、ぴしっと指をさした。
「何なの、そのダサいポーズは」
「えっ。ひどい……」
ダサいと言われて、思わずショックを受ける。
「だって、飛ぶ時のポーズってこれかなって……」
右の拳を空に向け、左の拳を胸につける。
これでマントをつければ、ヒーローの完成だ。
“かっこいいのー”
“とんでるかんが、すごいのー”
妖精たちが無邪気に笑う。
「黙らっしゃい!」
ノスタルジアがぴしりと言い放つ。
「そのダサいポーズ、直すわよ!」
“わー、とっくんだー”
“あはは”
妖精たちがはしゃぐ。
「あの、女神さま? 私が飛べるのは、女神さまの加護なんですか?」
“特訓”という言葉に慌てて確認すると、ノスタルジアは腰に手を当て、にやりと笑った。
「そうよ。抱きしめた時にね」
そう言って湖の中央まで進むと、手招きをする。
「ここまで来なさい。……拳なんて作らなくても、飛べるから」
ルシナは軽く手を握りしめたまま、ふわりと浮かび上がる。
そのまま空を滑るように、ノスタルジアのそばまで移動すると、追いかけっこ(スパルタ)が開始した。
ヒーローポーズをとらなくても上手く飛べるようになると、ノスタルジアは湖の中央で突然動きを止める。
「よく出来ました」
そういうと、ルシナを抱きしめた。
「いつでも逃げていいのよ」
美しいビスクドールのような顔立ちは、本来なら人肌を感じないはずなのに、どこか優しい母のような柔らかさを感じる。
「でも――境界線は、自分で決めなさい」
そう言うと同時に、ノスタルジアは湖面を滑るように移動し、ルシナを湖の淵へと導く。
「町にでも出て、見聞を広めなさいな」
それだけをいい残し、ノスタルジアは湖の中へ、溶けるように消えていった。




