8 ロジャーの記憶①
遠征を終えて王城に帰り、魔道士団では穏やかな時間が流れていった。
アデルが所属する前線部隊は魔物退治の要請がかかるとすぐさま現地に飛んでいくが、非番の日も多い。いつ呼び出しがかかるかわからないし一度遠征に出向くとなかなか帰れないことも多い仕事のため、休みをゆっくり取らせるという方針だった。
といってもアデルはこれといった趣味もないし、実家も王都にあるのでたまにふらっと帰る程度だ。だから非番の日は王城にある自室で本を読んだり町をぶらついたりと、気ままに過ごしていた。
部下たちも同じで、エリンは実家で過ごしているしロジャーも家に帰っている。……昨日の夕方、「クリスティンに贈るのです!」と言って、山ほどの本を抱えていたものだ。
クリスティンは読書も好きなのかと聞くと、ロジャーは笑顔でうなずいた。
どうやらクリスティンは淑女向けの詩集や恋愛小説などより戦記物などが好きらしく、ロジャーはクリスティンのために新刊を取り寄せたのだとか。
(いいなぁ。ロジャーが見せてくれたやつ、私も読みたいと思っていたのよ)
ロジャーは婚約者のためなら労力を惜しまないらしく、先日発売されたばかりの貴重な小説本も朝早くから並んで買い求めたという。
(クリスティンさん、私と趣味が合いそうなんだけどねぇ……)
ふわふわ砂糖菓子のように愛らしい雰囲気の少女だったが、ロジャーから聞く限りなかなかアクティブなようだ。出会い方さえ違えば、クリスティンとは同じ趣味で盛り上がれる仲間になれたかもしれない。
(お菓子でも買いに行こうかな……)
自室でごろごろしていたアデルは、部屋に置いているお菓子用の缶がそろそろ底をつきようとしていることを思い出した。甘いものも苦いものも好きなので、アデルはいつも缶の中にチョコレートなどを入れている。
そういうことでアデルはささっと身仕度を調えて財布をポケットに入れ、宿舎を出た――のだが。
「……あれ? ロジャー」
「あっ、隊長。こんにちは」
あちらはちょうど宿舎に入ろうとしたところだったらしく、ロジャーと鉢合わせた。彼は昨日から実家に帰っていて、確か今日の夜に帰ってくるはずだったが。
「早い帰りね。クリスティンさんと会うんじゃなかったの?」
「……はい。昨日隊長にも見せた新刊を贈ろうと思ったのですが、少し体調が悪いようで。あと、新刊も同じものをもう持っていたそうです」
ロジャーは苦笑して、昨日アデルに見せたばかりの新刊を鞄から出した。包装紙も開かれていないので、そのまま持って帰ったようだ。
「そうなのね。さすが、クリスティンさん。私も読みたいと思っていたのだけれどすぐに売り切れてしまったその本、ばっちり手に入れていたのね」
「あっ、隊長も好きだったのですか? じゃあこれ、どうぞ」
ロジャーはぱっと笑顔になって、アデルに包装紙に包まれたままの本を差し出してきた――が、アデルの胸がぞわっとした。
(私は前、架空戦記ものが好きだってロジャーに教えた。なのに……忘れている?)
どくん、と心臓が嫌な音を立てる。
この前からザカライアにはロジャーの記憶について探りを入れてもらっているが、「ほぼ問題なし」とのことだった。アデルとの思い出も、出会ったときのことや共闘したことなど、ほぼ全て覚えていたそうだ。
(でもロジャーはまた、私の好きなものを忘れている……)
この前は、ビターチョコレートが好きだということと、お酒にそこそこ強いということ。そして今回は、架空戦記ものの小説が好きだということ。
じわじわといやな予感を覚えつつも、アデルはなんとか笑みを取り繕って手を振った。
「それはさすがに悪いわ。いくら被っちゃったとしても、クリスティンさんへの贈り物でしょう?」
「ですがクリスティンも、同じものは二つもいらないと言っていて。だとしたらこの本を読みたがっている隊長に渡すほうが、本も喜ぶでしょうし……クリスティンもきっと、隊長と同じ趣味だと教えたら喜びますよ」
ロジャーはそう言いながら、ほらほらと本を押しつけてくる。前からそうだが、ロジャーは穏やかな物腰のわりにこれと決めたらなかなか引かない性格だった。
(まあ、確かに本は読みたいし……)
「……そういうことなら、ありがたく受け取るわ」
アデルが本を受け取ると、ロジャーはほっとしたように息を吐き出した。
「ありがとうございます。……」
「どうかしたの?」
「……僕たちって、知り合ってから三年経ちますよね? そのわりに僕、隊長のことをなにも知らなかったんだなと思って」
ロジャーが不思議そうに言うので、アデルはどきっとした。これこそまさに、「相手に指摘をするかどうか」の決断が問われる場面だ。
だが今ここには、エリンもザカライアもいない。
(ど、どうしよう。ロジャーにも自覚があるのなら、それとなく指摘をするべき……?)
こういうときに口が達者なザカライアや気遣い百点のエリンがいてほしいのだが……いないのだから、アデルがどうにかしなければならない。
「そう、ね。でもほら、ただ単にど忘れしているだけかもしれないわよ? ほら、ロジャーはこの前の魔物との戦闘のあたりの出来事、忘れているんでしょう?」
「……はい。でも医者からは問題なしだと言われましたし、隊長以外の人のことはちゃんと覚えているんです。でもなぜか、隊長の好きなものとか趣味とか、そういうのが全然思い出せなくて……」
まずい、とアデルは内心冷や汗を掻いていた。
アデルの想像以上の速さで、ロジャーが自分の記憶の違和感に気づいてしまった。
(ここで「あらそうなの?」って言うのは、あまりにも不自然だし冷酷。かといって「じゃあ調べよう!」と言ったらロジャーを追い詰めるかもしれないし……)




