7 小さな違和感②
アデルは宿舎のほうに歩いていくロジャーを見送り、ふむ、とあごに手をやった。
(普段からああやって、贈り物をしているんでしょうね。本当にかいがいしいわ。好きな人に好きなものを買ってもらえて、クリスティンさんも喜んで……)
「ん?」
ふと、アデルは目を瞬かせた。
クリスティンの好きなものが甘いものと苦いもので、お酒も平気というのはまあいい。
だが……。
「……ロジャー、私の好きなものを覚えていないの?」
ビターチョコレートが好きだと言ったとき、ロジャーが初耳みたいな反応をしたこと。
アデルがお酒が平気かどうか尋ねたこと。
(苦いのが好きってのは普段から言っているし、仕事のあとの打ち上げでもお酒を飲んでいる。それをロジャーも見ているはずだけど……)
もしかすると、彼はこの前魔物と戦闘したときの出来事だけでなく、その他にも記憶に穴があるのかもしれない。
(だとすると……よくないわね)
既にロジャーは体力面でも精神面でも全快しているとのことだが、細かな記憶の欠落までは判明していない。
ひょっとしたら、魔物との戦闘やアデルの食の好み以外にも、彼の記憶から抜け落ちているものがあるのかもしれない。
「こういうのって、指摘したほうがいいのかな……?」
うーん、と頭を悩ませる。
記憶喪失になった場合、無理に刺激を与えないほうがいいという説と、ほどよく刺激を与えて思い出させたほうがいいという説がある。
ロジャーの場合、「おまえはいろいろなことを忘れている可能性がある」と指摘したがために、彼が自分を責めて追い詰めてしまう可能性もある。逆に、ならば精密な検査を受けたほうがいいだろうと前向きに治療を受けることだって考えられる。
(うー……わかんない! エリンたちに聞こう!)
こういうのは、脳筋な自分が一人で突っ走るより賢い人に縋ったほうがいいと、アデルはよくわかっていた。
夜、宿舎に帰ったアデルはエリンとザカライアを呼んで、ロジャーの記憶について相談してみた。
「アデルの好み……ね。確かに、ロジャーがアデルのお酒の強さを知らないわけがないわ」
「記憶喪失にもいろいろあって、一定期間のことをごっそり忘れることもあれば、虫食いのようにあちこちに小さなほころびが生じていることもあるらしい」
ロジャーは後者なのかもな、と椅子にだらしなく座ったザカライアは述べる。
「ただ俺の意見としては、ロジャーに下手に指摘しないほうがいいと思う。まずはあいつの言動を観察して、できるかぎり俺たちのほうでフォローして……それでもまずいとなったら、あいつに一つ一つ質問する形で自覚させるのはどうだろうか」
「そうね。『あなたの記憶には欠陥があります』と言われても、素直に受け取ることはできない。ロジャーの場合は、自分で自分の問題に気づいて解決しようと思わせたほうがいいと思うの」
ザカライアの言葉にエリンも同意を示したので、アデルはうなずいた。
「……ありがとう。じゃあ、そうしてみる。二人にも……特にザカライアには、ロジャーの様子見をお願いすることになると思うけれど」
「おう、任せろ。ちょうどこのあと風呂の時間だし、裸の付き合いをしながらそれとなく探ってみるよ」
「でも……不思議ね。私はロジャーと話していて、記憶に大きな欠落があるようには思えなかったの」
ザカライアが胸をどんと叩いて言ったところで、エリンが首を傾げた。
「仕事ぶりを見ていても、問題ないようだったわ。それにご飯のときも、食の好みは変わっていなかった。使い終わったタオルをちゃんと畳む丁寧なところとかも、前のままだったわ」
エリンは「私はそこまで強くないし、もう若くもないから」と言って、今回のような遠征でも後方支援を担当することが多い。
だが家事全般が得意な彼女のおかげでアデル隊が飢えたことや不潔な毛布を使うことなどは一度もなかったし、帳簿もきっちり管理してもらっていた。
そんな彼女は普段から隊員の生活の様子もつぶさに観察してくれているので、ロジャーが負傷する前と変わらず活動できていると判断したようだ。
「となると、あいつの記憶にヒビが入っているとしたら対人関係のほうかもしれないな。とはいえ、俺もあいつと話していて特に違和感はなかったんだが……」
「……もしかして、私関連のことだけすっぽり忘れているとか?」
その可能性に思い至ったアデルは、頭を抱えてしまった。
「だとしたら、あのプロポーズの前後がごっそり抜け落ちているのも納得できちゃうわ! ……いや、でも去年私がトイレで滑って転んだところを見られたのも、忘れてもらえているのならいいかも……」
「いやいや、よくないだろ?」
「そのあたりも、突いてみたほうがよさそうね」
ツッコミを入れたザカライアに続き、エリンがうなずきながら言う。
「もしアデル関連だけ忘れているのなら……それはちょっと異常だもの」
「ロジャーが無意識のうちに、私にプロポーズをかましたことを忘れたいと思っているとか……?」
「そうじゃない……とは言い切れないのが世知辛いところだな」
そうしてザカライアはずうんと落ち込んだアデルの頭を叩いてから、座っていた椅子から立った。
「じゃ、そのへんも含めてロジャーを突っついてみるよ。……俺も、ちょっといやな予感がする」
「困ったわね。ザカライアの『いやな予感』って、たいてい当たるじゃない?」
エリンが不安そうな顔をすると、ザカライアは彼女を見てからりと笑った。
「心配させたのならすまない。……ま、俺の勘違いであることを祈っていてくれ」
そうしてザカライアは部屋を出ていき――寝る前の彼の報告により、ロジャーは去年アデルがトイレで滑って転んだことは覚えていたと判明したのだった。
……アデルとしては、そちらを忘れてビターチョコレートが好きなことのほうを覚えていてほしかった。




