10 真実①
アデルが王都内にある小洒落たカフェに足を踏み入れたのは、ロジャーが復帰して一ヶ月ほど経った頃のことだった。
そろそろ冬の色が見え始めるようになった空の下を歩いて向かったカフェは、普段のアデルならちょっと入りにくいと思えるようなかわいらしい雰囲気の店だった。
エリンに聞いたところ、「上流階級のご令嬢が、お忍びで行くのに人気の場所らしいわ」とのことだが、お忍び場所が人気のカフェというのはいかがなものなのだろうか。
それはともかく、入店したアデルを迎えた店員に名乗ると、彼女はアデルを二階席に案内してくれた。
広々としたホールにテーブルと椅子が並ぶ一階席と違い、二階は予約専用でテーブルごとに壁とカーテンで仕切られているので、半個室状態だった。
「こんにちは、クリスティンさん。お招きくださりありがとうございます」
「……こちらこそ、急なお呼び出しに応じてくださり、ありがとうございます」
アデルが帽子を取って挨拶したのは、既に席に着いていた美しい令嬢……ロジャーの婚約者のクリスティンだ。
アデルは「お話ししたいことがあります。一人で来てくれませんか」という彼女からの手紙を受け取り、指定されたこのカフェにやってきた。
そうしてアデルを待っていたクリスティンだが、一ヶ月半ほど前に初めて会ったときのような弾けるような笑顔はなく、髪をきれいに巻きおしゃれなドレスを着ているものの体調もよくなさそうだ。
(……具合が悪そうだけれど、なんの用なのかしら)
クリスティンはアデルの背後を覗き込み、同伴者がいないのを確認してからそっと息を吐き出した。
「……お忙しいところ、本当に申し訳ございません」
「いいえ、今日はうちの部隊は非番だったので、お気になさらず。……それで、ロジャーのことで何かお話でも?」
クリスティンに呼び出されるなんて彼のことしか思い当たらないので早速問うと、途端その美しい瞳からぼろっと涙が零れた。
「えっ!?」
「……ごめんなさい、アデルさん。わたくし……あなたに謝らなければならないのです」
「え、ええと……どの件で?」
「わたくし、わたくし……どうしても、ロジャーのことが好きで。子どもの頃から好きで、お嫁さんになると夢見ていて……。だからつい、魔が差してしまったのです」
「魔?」
なんのことかわからず首をひねるアデルに、クリスティンは痛みを堪えるかのような表情で言った。
「……はい。わたくしは……魔法の力で、ロジャーの記憶を奪ったのです」
今から約二ヶ月前、任務中に重傷を負ったロジャーが男爵邸で療養生活を送ることになった。
それを聞いたクリスティンは、これこそロジャーに近づくチャンスだと思った。彼女は子どもの頃に初めて会った日からロジャーのことが好きで、なんとか彼の一番になろうと日々頑張ってきた。
負傷した彼を真心込めて介抱すれば、きっと恋してくれるはず。クリスティンの片思いではなく、ロジャーからの愛も得られるはず。
そう思ってクリスティンは看護役に名乗り出て、まだ意識がはっきりしないロジャーの世話を焼いた。彼は薬を飲んだり髪を洗ったりするなどのときはクリスティンの手を借りたが、清拭などをされるのは嫌がった。
それでもと自分にできることを続け……看護の甲斐あり、ロジャーは少しずつ元気になっていった。
『わたくし、あなたが無事でよかったわ。本当に……』
『うん、ありがとう、クリスティン。君のおかげで、もう少しすれば仕事に復帰できそうだ』
ロジャーが明るい声で言うので、クリスティンは辛くなった。
そもそも彼が負傷したのは、魔道士である隊長を庇ってのことだったらしい。いくらか年上の女性というその上司がもっとしっかりしていれば、ロジャーが酷い怪我を負うことはなかったのに。
だからクリスティンは女性隊長を非難したのだが、ロジャーはゆっくり首を横に振った。
『違うよ。隊長は、とても素晴らしい人だ。僕はあの方に仕えられて幸せだし、隊長を何が何でも守りたいから庇ったんだ』
『な、なによそれ。まるでそんなの、恋しているみたいじゃない』
これまでロジャーに否定されたことがほとんどないため、動揺のあまりクリスティンはそんなことを口走ってしまった。
だがそれを聞いたロジャーは『恋か……』とつぶやき、そして照れたように笑った。
『実は、そうなんだ』
『……えっ?』
『僕、隊長のことが好きなんだ。だから、もう死ぬかもって思ったときに、プロポーズしちゃったんだ』
『プロポ……えっ、え?』
青ざめるクリスティンとは対照的に、ロジャーは幸せそうに目を細めて言葉を続けている。
『本当に素敵な人なんだよ。隊長、僕が元気になったら結婚するって約束してくれたんだ。だから早く戻って、改めてプロポーズしたいんだ。あ、これ、他の人には内緒だからね? 父上と母上なんか、勝手に先に行動しちゃいそうだし』
ロジャーははにかんで言ってから、『内緒』と自分の唇に人差し指を当てた。
信頼できる幼馴染みで――隊長と同じ女性だからこそこっそり打ち明けられると思ってのことだったのだろう。
だが、クリスティンはショックを受けた。
ずっと恋い焦がれていたロジャーが、既に他の女性にプロポーズしていた。それも、クリスティンのような貴族令嬢ではなく、部下を守ることもできない、年上の女性に。
自宅に帰ったクリスティンは、泣き崩れた。
長年積み重ねてきたロジャーへの愛は潰えるどころか、ますます激しく燃えている。
やがてその熱は怒りと憎しみに変わり――クリスティンは、金を積めば何でもしてくれる魔道士を探した。
クリスティンは彼に莫大な依頼料を払い、「ロジャーの記憶を改ざんしてほしい」と頼んだ。
心理的な魔法を得意とするらしい彼はクリスティンと相談の末、「ロジャーの中にある『隊長』の記憶を、クリスティンのものに置き換える」という方法を提案した。
ロジャーの記憶にある、恋い焦がれる女性についての美しい記憶。
それらをそのままクリスティンとの記憶に書き換えて細かな整合性もつけることで、ロジャーはその女性隊長ではなくてクリスティンを愛するようになるはずだ、と。
クリスティンは、その提案に乗った。ロジャーの飲み物に眠り薬を入れ、彼が眠っている間に魔道士を屋敷に侵入させ、ロジャーに魔法を施させた。
魔法は、大成功だった。
次に目が覚めたときのロジャーは女性隊長への愛情に関わる記憶を全て失っており、それらはクリスティンに向けられるようになった。
クリスティンもまた彼が向けてくれる愛に応え、すぐさま二人は婚約を結んだ。クリスティンの両親もロジャーの両親も、この婚約をとても喜んでくれた。
もうしばらくロジャーの中での記憶が定着するように、クリスティンは魔道士から与えられた薬草を紅茶の中に入れ、彼に飲ませた。
ロジャーは日々クリスティンへの愛情を募らせ、クリスティンは幸せだった。
……そう、幸せ、だった。
「でも、だめだったの」
「……」
衝撃発言の連続で既に言葉を失っていたアデルは、目だけを動かしてクリスティンを窺う。
彼女はうつむき、ぽろぽろ涙をこぼしていた。
「ロジャーが愛しているのは、あなたの皮を被ったわたくし。彼はたくさんの贈り物をしてくれるけれど、それはどれもわたくしではなくてあなたが好きだったもの。彼が語る思い出はどれも、わたくしにとって覚えのないもの。わたくしではない、ここにはいないあなたへの愛を向けられることが……苦しくなってきたの」
「……」
「やっとわかったわ。人の記憶を奪って愛してもらっても、それは本当の愛ではない。わたくしは、やってはならないことをしてしまった。……ごめんなさい、アデルさん」
「……はぁ」
思わず間抜けな声が出てしまったが、むしろ今なんと言えばいいのか。
(ええと、ええと……つまりロジャーは記憶喪失になったわけじゃなくて、私に関する好意的な記憶をクリスティンさんの記憶として改ざんされてたってこと?)
だからロジャーはアデルの好きなものや趣味などを覚えていなかったし、アデルとクリスティンの趣味が異様に一致していた。
ただし「好意的な部分」だけをすり替えたので、トイレで滑ったとか泥まみれになったときのこととか、そういうマイナスな部分はちゃんと覚えていた。
最初は愛情を向けられて喜んでいたクリスティンも、次第にロジャーが見ているのが「自分ではない人」であることに気づき、その苦しさゆえにこうして罪を告白しにきたということのようだ。
事情は、わかった。
「……ええと。それで、ロジャーの記憶はもとに戻るのでしょうか?」
ひとまずアデルとして一番気になっていることを問うと、なぜか少し驚いた様子を見せたのちにクリスティンは肩をすくめた。
「それは……。魔道士は解除方法などは教えてくれなかったので、わかりません」
「……そうですか。でも魔道絡みのものなら、相応の治療を受ければなんとかなるかもしれません。ただ精神に作用する系統の魔法はどうしても人体に悪影響を及ぼしがちなので、ロジャーにとって辛いものになると思います」
「はぁ……」
クリスティンの間の抜けた声に、アデルは少しむっとしてしまった。
今、ロジャーの体や心に関する大切な話をしているのに、なぜそんなつまらなそうな顔をするのだろうか。




