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第九十一段 春を惜しむ
【本文】
むかし、月日のゆくをさへ歎く男、三月のつごもりがたに、
をしめども春のかぎりの今日の日の
夕暮にさへなりにけるかな
【現代語訳】
昔、月日が過ぎてゆくことさえもの悲しく嘆くような男が、三月の末頃に、次のような歌を詠みました。
いくら名残惜しんでも春が終わってしまう今日という日の、もう夕暮れにもなってしまったことだなあ。
【解釈・論考】
第八十段で、昔の人は春を三つに分けて三春と呼び、それぞれ旧暦の一月(睦月)、二月(如月)、三月(弥生)が該当するということをお伝えしました。
歌の中の「春をかぎりの今日の日の」というのは、まさしく三月は末ということで春の終わりの日に詠んだ歌ということになります。春も終わる日、その一日も日暮れになり、もうすぐ終わってしまうという意味の歌です。ここでいう春というのは、歌の作者にとっては人生を重ね合わせているのかもしれません。自分の人生は過ぎゆこうとしている、その最後の時間が徐々に迫っているのだなあという感慨が、初句の「をしめども」には込められているようにも思われます。




