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第八十九段 なき名

【本文】

 むかし、いやしからぬ男、我よりは勝りたる人を思ひかけて、年へける。


 人知れずわれ恋ひ死なばあぢきなく

   何れの神になき名おほせむ



【現代語訳】

 昔、ある身分の低くない男が、自分より身分の高い人に恋をして、気持ちを伝えられずに何年か経ってしまってから、次のように詠みました。


 人知れず私が貴女に恋焦がれて死んでしまったなら、世間ではいずれかの神様の祟りだと言って無実の罪を着せてしまうのであろうか。



【解釈・論考】

 歌の解釈は少し難解です。この歌は、このままでは自分が相手に恋をしていたということを誰にも知られることはなく死んでいくことになってしまうだろう、そうしたらこの恋は誰にも覚えられないものとなってしまう、という悲しさを詠んだものなのです。それなら、たとえ恋は成就しなくても、せめて相手のことを想っていた男として死んでゆきたい、といっている訳なのです。

 「人知れずわれ恋ひ死なば…」という実に悲観的な仮定から歌が始まる点が目を引きますね。おそらく恋は成就しないであろう、という見込みがあったのでしょう。実際のところ、自分より社会的身分が上である人に恋をしてしまったところで、おそらく成就しないだろうなあ、と考えるのが一般的ではあるようにも思います。その気持ちを閉じ込めたままで年月が経ってしまったということで、そのことがあまりにも悲しくなってしまったのでしょう。


 この話は在原業平と二条后、あるいは斎宮との関係性を意識して創作された歌物語であるとみられます。

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