第八十六段 いと若き男女
【本文】
むかし、いと若き男、若き女をあひ言へりけり。おのおの親ありければ、つつみていひさしてやみにけり。年ごろ経て女のもとに、なほ心ざし果さむとや思ひけむ、男、歌をよみてやれりけり。
いままでに忘れぬ人は世にもあらじ
おのがさまざま年の経ぬれば
とてやみにけり。男も女もあひ離れぬ宮仕へになむいでにける。
【現代語訳】
昔、ずいぶんと若い男が、やはり若い女と互いに好意を持っていたのでした。しかし、それぞれに親がいたので、親に気兼ねをして気持ちを包み隠して交際を途中でやめてしまったのでした。年が経って女のもとに、やはり想いを遂げたいと思ったのでしょう、男は歌を詠んで贈ったのでした。
今となっては忘れないでいる人はまさかいないでしょう。お互いさまざまなことがあって年が経ってしまったのですから。
といって結局二人の間柄は途絶えてしまいました。しかし男も女もすっかり離れてはしまわない同じ宮仕えになっていたのでした。
【解釈・論考】
この段は物語文と歌の内容がちぐはぐであるような印象を受けます。若い男女がお互いに好意を抱いており、成人するころに想いを伝えるという話の流れは第二十三段(筒井筒)の前半部分にも似ていますが、これが歌になると結ばれたいんだか別れを告げているんだかよく分からない曖昧なものとなっています。
俵万智はこうした歌を受け取った場合、女の返事としては次の三つに分かれるだろう、と著書で述べています(『恋する伊勢物語』)。一つ、「ええ、すっかり忘れていました」(縁がなかった)となるケース。二つ、「そんなことはありません。あなたのことを忘れられるものですか」(すんなりOKがもらえる)というケース。三つ、「でも、こうして手紙をくれるというのは貴方は忘れていないということでしょう?」(これからやり取りが再開する)となるケース。二番目はいささか都合がよすぎるだろうから、男が期待していた三番目くらいの答歌だったのではなかろうか、と推測しています。なるほど、非常に納得のいく解釈ではあります。
結局この二人には縁がなかったようで、末文にも「やみにけり」とあります。ひょっとしたら俵万智が推測した三パターンいずれでもなく、返事すら来なかったのかもしれません。




