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第七十九段 氏の中の親王

【本文】

 むかし、氏の中に、親王うまれ給へりけり。御産屋(うぶや)に人々歌よみけり。御祖父方(おほぢがた)なりける翁のよめる。


 わが(かど)()ひろあるかげを植ゑつれば

   夏冬たれか隠れざるべき


 これは貞数の親王。時の人、中将の子となむいひける。兄の中納言行平のむすめの腹なり。



【現代語訳】

 昔、ある一族の中から親王がご誕生なさいました。御産屋の祝いに人々が歌を詠みました。親王の大叔父にあたる老人が次のような歌を詠みました。


 わが家の門にたいそう広く大きく竹を植えました。夏も冬も一門の誰もがこの陰に守られることでしょう。皆きっと繫栄するでしょう。


 この親王は貞数親王のことです。当時の人は、宮様は本当は業平の子だと噂しました。兄の中納言行平の娘からお生まれになられた方です。



【解釈・論考】

 この段の親王は、貞数親王と言われています。この御方は在原業平の兄・行平の娘の文子からお生まれになられました。貞観十七年(875年)にご誕生され、このとき業平は五十一歳でした。平城太上天皇の変以降、業平の父・阿保親王および在原氏は衰微し、没落していく一族であったため、この親王のご誕生は殊更よろこびが大きかったものでしょう。我が子の誕生のごとく大喜びした業平の様子をみて世間の人は彼の子供なのかもしれない、と思ったのかもしれません。

 歌をみていきましょう。「千ひろあるかげ」の「かげ」の部分が「たけ」となっている伝本があり、これによって訳者の間では竹を植えたとすることが多いようです。写本の誤字の可能性もありますが、中国の故事でも皇族を竹になぞらえていたり、『竹取物語』の例もあるようにこの時代においては竹を高貴な存在のメタファーとして用いることがありました。竹のようにすくすくと育ってほしい、という願いも込められているのかもしれません。親王の健やかな成長と、一門の皆の幸福とを祈った優しい老人の歌であるように思われます。

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