第七十六段 神代のこと
【本文】
むかし、二條の后の、まだ東宮の御息所と申しける時、氏神にまうで給ひけるに、近衛府にさぶらひける翁、人々の禄たまはるついでに、御車よりたまはりて、よみてたてまつりける。
大原やしほの山も今日こそは
神代のことも思ひいづらめ
とて、心にもかなしとや思ひけむ、いかが思ひけむ、知らずかし。
【現代語訳】
昔、二条后が、まだ東宮の御息所の立場であったとき、氏神に参拝なさるときに、近衛府に勤めていたある年寄りの男が、人々が供奉の褒美をいただく際に、后の御車から直接褒美をいただき、次のような歌を詠みました。
この大原の小塩山も今日この日においては、祖先の時代の頃のことを思い出していることでしょう。
ということで、自分自身もかなしいことだと思ったのでしょうか、どのような気持ちであったのでしょうか、我々には窺い知れません。
【解釈・論考】
「東宮」というのは皇太子のことです。二条后(藤原高子)が入内して貞明親王(後の陽成天皇)をお産みになられた頃というのが分かります。ここで登場する翁(老人)というのは在原業平を指します。貞明親王が東宮であったのは貞観十一年から十八年のことであり、このとき業平は四十五~五十二歳にあたります。平安時代の人間は四十歳あたりから翁、媼と呼ばれることがあり、この点は史実と照らし合わせて矛盾しません。「近衛府にさぶらひける…」の部分は、『日本三代実録』によると業平が右近衛中将に叙任されたのは貞観十七年(875年)とされているので、このお話はおおよそその頃のことであろうと考えられます。
「禄」というのは参拝に同行した人々に当座の褒美として与えられた品物です。これを、翁は車の中の后から直接もらったという訳ですが、これはたいそう名誉あることで特別なことです。自分から「直接いただきたいです」など言うわけはないので、后からお声がかりがあったということでしょう。
歌の意味は表面的にはそのまま、「皇太子が参拝する今日、氏神さま方も神々の昔のことを思い出し、今に至るまでのことに思いを馳せてらっしゃるでしょう」という意味になりますが、この場合は二条后と業平で『伊勢物語』の中の章段ですから、やっぱり昔の恋愛を暗喩しているものと受け止められる訳です。
なお、この歌は『古今集』雑上871に「二条の后のまだ東宮の御息所と申しける時に大原野に詣で給ひける日よめる 業平朝臣」という詞書とともにおさめられています。なのでこのエピソードがあったこと自体、おおむね事実なのでしょう。『古今集』の詞書が端的に事実だけを記録しているのに対し、こちらはやはり歌物語ですから、物語文の表現として「近衛府にさぶらひける翁」とあえて業平であることをぼかしたり、「御車よりたまはりて」という記述をすることで、先程述べたような二条后と業平の特別な関係性というのを読者に意識づけるような構成になっていますね。




