第七十四段 かさなる山
【本文】
むかし、男、女をいたううらみて、
岩根ふみ重なる山にあらねども
逢はぬ日おほく恋ひわたるかな
【現代語訳】
昔、ある男が、女のことをたいそううらんで、次のような歌を詠みました。
岩を踏んで越えていかなければならない山々が重なっている訳でもないのに逢えない日が続いて、それでも私は貴女を恋い慕っているのです。
【解釈・論考】
「うらむ」という言葉については第七十二段で言及しました。この歌からも相手を嫌っているという意味の「うらみ」ではなく、自分は好意を寄せているのに相手からはすげなくされ、拗ねてしまうような気持ちを歌にして詠んだ訳です。
この歌は初句の「岩根ふみ重なる山…」の出だしがよく効いています。二人の間には実際に物理的には岩を踏み歩かなければならないほどの障害がある訳ではないでしょう。しかしながらこの言葉からは、きっとこの男は岩根を踏み歩いていくように足繫く相手の女の下へ通っておりながら、しかしその度に逢えなかったであろうというところまで連想されます。その暗喩は下の句の「逢はぬ日おほく…」からも自明です。上の句が直喩で表している「恋の障壁となる山々」は幻想でありその存在を「あらねども」と否定しつつ、暗喩として込めている「足繁く通っているのに逢えない」ことは現実として認めてもいます。これによって恋の道筋の険しさを表している訳ですが、しかしこの歌からは湿度の高い嘆きは感じられません。それよりも「どうして逢ってくれないんだよ…」とでも言うような、女の気を引くための可愛らしささえ含んだ雰囲気をもつ歌です。




