第七段 かへる浪
【本文】
むかし、男ありけり。京にありわびて東にいきけるに、伊勢、尾張のあはひの海づらを行くに、浪のいとしろくたつを見て、
いとどしく過ぎゆくかたの恋ひしきに
うらやましくもかへる浪かな
となむよめりける。
【現代語訳】
昔、ある男がいました。京の都にいるのもつらくなって、東国へ行くことにしました。伊勢、尾張(今の三重県と愛知県)の境の海辺を行くとき、波がたいそう白くなっているのをみて
この旅は、京の都からはどんどん離れて行く。寂しいなぁ、恋しいなぁ。帰っていくことのできる波がうらやましいなぁ。
という意味の歌を詠んだのでした。
【解釈・論考】
波は、寄せては返す、と言います。このことからは「波」と「帰る」は縁語の関係にあります。波は帰っていくことができるが、自分は帰ることができない、という悲しみを歌っています。
第六段の直後に配置されていることから、京都にいられなくなった理由は、藤原高子との恋に破れたこととみるのが自然でしょう。彼女の兄たちから政治的な圧迫を受けた、とする見方もあるようです。そのエッセンスを否定はしませんが、伊勢物語は恋と雅の話ですので、やはりここは失恋で傷ついた心の旅であるとみたほうが抒情的であるように思います。
失恋して、そのまま住み続けるのも辛いほどの京の都ですが、しかし一方で女との幸せな時間の思い出も残ります。辛い気持ちと、懐かしむ気持ち。男の気持ちもまた、波のように揺らいでいるように思われます。
折口信夫は、このように若い貴族や神などが旅をしてさまよいながら様々な試練を乗り越えていく物語の型を貴種流離譚と呼びました。倭建命伝説や、桃太郎の物語などはこの典型ですね。東下りもその類型にあたります。
源氏物語も貴種流離譚の系譜に連なります。というより、源氏物語の朧月夜から明石の段は、伊勢物語のオマージュであると言えるでしょう。
かくして、有名な東下りが始まります。




