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第七十三段 月のうちの桂

【本文】

 むかし、そこにはありと聞けど、消息(せうそこ)をだにいふべくもあらぬ女のあたりを思ひける。


 目には見て手にはとられぬ月のうちの

   桂の如き君にぞありける



【現代語訳】

 昔、どこにいるのかは聞き知ってはいたものの、手紙を出すこともできそうにない女のことを想って、男は次のような歌を詠みました。


 目には見えていても手にはとることのできない、月の中の桂のような貴女ですね。



【解釈・論考】

 この段は特に伊勢の話とは書かれてはいません。居所を知ってはいるものの、手紙を出す訳にもいかない関係性というのは、二条后と斎宮との恋の両方に共通する状況ですね。ただ、この話の前後では伊勢にまつわる話が多いこと、歌の中の「月のうちの桂」という言葉が一種の神秘性を帯びていることなどから、どちらかというと斎宮のことを見立てた歌であろうかと思われます。


 さて歌をみていきましょう。この段の歌は、『万葉集』巻四・相聞歌に「目には見て手にはとられぬ月の中の桂のごとき(いも)をいかにせむ」という類歌があります。「月のうちの桂」というのは、中国の伝説からきています。その昔、呉剛という男がいました。仙術を学ぶ者でしたが、怠け者で多くの過ちを犯したため玉帝という天の帝を怒らせ、月に流されてしまいました。月には金色に輝き、この上なく美しい芳香を漂わせる桂の木がありました。あると言われています。玉帝は呉剛に「この木を切り倒せたら、仙人になれる」と言いました。呉剛は木を切り倒そうと毎日斧を振りました。しかし、桂の木は傷がつくと自分で治癒することのできる奇跡をもっていたのです。こうして呉剛は永遠に斧を振り続けなければならなくなったのでした。というお話で、これは『酉陽雑俎(ゆうようざっそ)』という唐の時代に書かれた随筆にも書き残されている伝説です。この話から「月の中の桂」というのが、大変美しいものであること、侵しがたい神秘の存在であるということが分かります。


 入内して女御となってしまった二条后、神に仕えるもっとも高貴な巫女として人々に守られている斎宮、いずれの女性を想って詠んだ歌としても、月の中の桂というのは実に優美な表現ですね。

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